150人が本棚に入れています
本棚に追加
契約成立
茶髪男の言葉ではっと我に返ったと同時に、現実に思考が戻ってくる。
今の状況。
怒りに任せて、ヤクザの若頭らしき人にお茶をぶっかけてしまった。
本人は何も言ってないけど、周りのヤクザはブチ切れ寸前。
これをヤバいと言わずなんというのか、私は知らない。
怒りに任せて後先考えずに行動すると身を滅ぼすなんて、どこかで聞いたことがあったが、まさにその通りの展開だ。
やはり現実はドラマのようには上手くいかないらしい。
というより、下手したらこのまま殺されてもおかしくない。
私は慌てて、スーツ男に対して頭を下げた。
「す、すみません! ちょっとカチンときちゃって。その……」
「ごめんで済めば警察いらねぇんだよ!」
「ご、ごめんなさい!」
「まぁ、待て」
スーツ姿の男は、今にも私に殴りかからんとしている柄シャツの男を留め私の方へ近づいてくる。
「お前、ヤクザ相手にいい度胸してんな。そんなに女優のことを馬鹿にされたのがムカついたのか?」
「それはそうですよ。私は女優であることに誇りを持ってるんですから」
「ほぉ……それならどんな役でも演じられるんだな」
「それは……」
「まさか、女優に誇りを持ってらっしゃるあんたが、演じられない役があるとは言わないよな?」
「あ、当たり前じゃない! 出来るわよ!」
「言ったな」
スーツ男の口の端が上がる。どこか社長の浮かべるあの笑みに似ており、嫌な予感が胸をよぎった。
「お前……俺の契約恋人にならないか?」
「…………は?」
今なんて目の前の男は言った?
契約、恋人?
目が点になっている私を置いてきぼりにして、スーツ男は話を続ける。
彼の話をまとめると。
どうやら、組長からいい年なんだから、早く身を固めろと会う度に見合いやなんだ言われるらしいのだが、自分は女に困っていないし、今は結婚する気はない。
しかし、組長があまりにもしつこいので「結婚前提で付き合ってる彼女が出来た」と報告。もちろん真っ赤なウソだ。
それを組長は本当だと信じただけではなく、とても喜んでしまい今度組の大きなパーティーがあるのでそこに恋人を連れて来いと言われたとか。今更ウソというわけにもいかず、どうしようかと困っていたところに私が現れたとのこと。
「ただとは言わねぇ……そうだな。パーティーが無事終わったらお前の父親がした借金チャラにしてやるよ。まさか、ノーなんて言わないよな?」
私を見てくる視線は、相手をいじめるのが楽しくてしょうがない、いじめっ子のそれだ。かと言って、このまま引き下がれば、女優なんて所詮そんなものだよなっていうのが彼の中で確実になるし、期間限定の恋人を演じるだけで500万の借金がチャラになるのは正直ありがたい。
私は顔を上げると、正面からスーツ男を見る。
「言うわけないでしょ。女優はなんてすごいんだって思わせてやるんだから」
「そうこないとな。これからよろしくな。西明寺緋梨」
借用書を振りつつ嘲笑を浮かべてくる男を、私は睨みつけたのだった。
最初のコメントを投稿しよう!