三日目、秘密の庭

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 その夜、食事やミーティングを終えて寺の宿坊に戻った呉島は、落ち着かない気持ちで過ごしていた。片時もスマホを手放さず、何度も画面を見ているが立花からの連絡はまだない。  陽が落ちたころから再び雨が降り始めていた。呉島は掃き出し窓の雨戸を()て忘れていたことに気づき、カーテンぐらいは引いておこうと腰を上げた。  そのとき、窓の向こうに立花が立っているのが見えてドキリとした。外は寺領の杜だ。立花は部屋の明かりがようやく届くあたりの杜のほとりにいて、雨に打たれながら、黙ってこちらを見ている。  ――驚いたな。迎えに来てくれたのか。電話をくれたら、こちらから行ったのに。  急いで掃き出し窓を開けたが、立花は入ってこない。ひっそりと笑って手招きする。呉島は裸足のまま、傘も持たずに窓から外に出た。  ◆  立花は身をひるがえして駆けていく。  ぽつぽつと青白い外灯がともっているが、大きな杜はほぼ暗闇に近かった。それなのに立花の背中だけはぼうっと鈍い光を放っているようにくっきりと見える。  いつの間にか、寺の水辺に来ていた。ようやく呉島が立花に追いついたとき、彼は池のほとりに立ってじっと水面を見ていた。  呉島は彼に近づいた。立花は笑みを浮かべたまま呉島の手を取って唇を重ねてくる。雨に濡れているせいか、その手のひらと唇はひどく冷えていた。  温めてやりたくて身体を抱きしめたとき、ふと訝しく思った。  暗闇のなかに浮き上がって見える立花の顔はきれいだ。しかし――何かが違う。  すぐに違和感の正体に気がついた。  昼間、立花のアトリエで彼と抱きあったときに感じた精油の香りがしない。それどころか体臭も体温もなかった。  ふいに到着初日に聞いた、住職の不可解な言葉が頭をよぎった。  ――紺君が生きていたら、あなたが好きになったのは碧君ではなくて紺君だったかもしれない。だって二人とも同じ顔、同じ才能を持っているのだから。  まとわりつくような住職の表情と声が呉島の脳裏によみがえる。十年前に亡くなった、立花の双子の兄。立花紺。いま目の前にいるのは、碧ではなくて紺なのか――。  あっと思ったときには、呉島は強く手を引かれて池に入っていた。  足首から、シャツの袖口から、襟元から、冷たい水と泥が流れ込んでくる。池に棲む(ふな)たちの鱗がひらめいて頬に触れた。やわらかい水草も生き物のように呉島の首に絡みついてくる。  声を上げようと開けた口からも容赦なく水が流れこんだ。そしてそのあとは何もわからなくなった。  (四日目につづく)
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