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一日目、立花植物園
呉島の憂鬱な四日間がはじまっていた。
都心から朝早い特急列車に乗って西へ二時間、N県にある立花植物園に向かっている。六月の末、梅雨のさなかのことで、列車の窓の外はどこまでもすっきりしない雨模様だ。
山岳のふもと、湖沼の点在する高原地帯に立花植物園はある。この古風な名前もかえって熱狂的なファンを惹きつける。呉島が在籍するガーデニング専門誌でも繰り返し特集や連載を組む人気の植物園だ。
その植物園の主である立花碧が、新しく写真集を出版した。
植物園よりも立花その人の写真のほうが多いくらいで、呉島は「アイドルじゃあるまいし」と苦々しく思っている。編集長が「ガーデニングの貴公子、全編撮り下ろし」などと軽薄なキャッチコピーの帯を巻こうとしたのにも最後まで抵抗を試みた。しかし呉島の意見など虚しく聞き流され、そうして発売された本はよく売れたし話題にもなった。
――自分が責任編集だったら、こんな浮ついた本にはしなかったのに。立花先生の魅力はこんなものじゃない。
呉島はおおいに不服だった。しかしそれでも写真集を開くたび、彼は立花碧の麗しい姿と庭の様子につい見とれてしまうのだった。
◆
今日から四日間、立花植物園にドキュメンタリー番組の密着取材が入る。写真集のプロモーションを兼ねて制作されるテレビ番組だ。呉島はその現場に、立花の担当編集者として立ち会うことになっていた。
呉島が憂鬱なのにははっきりと理由があった。それは、立花から徹底的に嫌われているからだ。この一年ほど彼の連載記事を担当しているが毎月かならず難癖をつけられる。
写真の選び方がなっていない。
原稿の書き方が気に入らない。
誌面構成が思っていたのと違う。
はじめのうちは自分の仕事ぶりが至らないせいだと謙虚に受け止めていた。しかし取材時の態度やメールのささいな表現、あげく呉島の服装にまで不満が及ぶようになって、さすがに嫌われているのだと気づいた。心が折れかけて編集長に担当を変えてもらうよう訴えたが、のらりくらりとかわされた。
「立花先生って不満屋だけどさ、担当を変えろとは言わないんだ。あれは好きな子いじめだと思うんだよ。あんまり深く考えないで、そういう人だと思ってうまくやってよ、ねっ」
およそ園芸や植物などとは縁遠い、しかし売れそうなものや人気が出そうなものの匂いには犬なみの嗅覚を発揮する俗物編集長だ。ここの編集長に収まる前は男性ファッション誌の副編集長だった人物である。おそらくこの編集部にも長居するつもりはなく、数年後にはどこか別の編集部へ移っていくのだろう。ガハハと笑って忙しなく去っていく。
その背中を見送りながら、呉島はいつものように、いっそ致命的な不始末でも起こしてやろうかと思う。しかし決行する勇気はなかった。どんなに立花碧に嫌われようとも、彼と、彼の庭に対するあこがれを捨てきれない。
特急列車の降車アナウンスが聞こえて我に返る。呉島は重い気分のままプラットフォームに降りたった。
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