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けぶるような小雨が降っていた。呉島は月に一度、取材のために立花植物園を訪れている。この日も駅前のロータリーからタクシーに乗った。市街地を抜け、苔に覆われたうす暗い林のなかを三十分ほど走ると急に視界が開ける。山岳に連なる高原に古い寺の杜があって、そこに包まれるようにして立花植物園はあった。
奇妙な魅力に満ちた植物園だ。植栽は典型的なイングリッシュ・ガーデンなのに門構えや母屋は日本式で、この季節は石壁につる性のバラが満開だった。無数の白い花が房になって咲き、濃い香りを振りまいている。
立花植物園を興したのは先代――つまり立花碧の父親だ。
先代は造園の本場である英国で修行を積んだあと、生家である日本家屋と敷地、屋敷森をまるごと植物園につくりかえた。バラの育種家としても著名な人物で、彼が作出した数多くの育種品種はいまも世界じゅうのガーデンで愛されている。
その先代が十年前、思いがけず病で急逝してしまった。それで植物園を継いだのが彼の息子たち――紺と碧、双子の兄弟である。双子は子どものころから父の造園を見て育ち、数年前からは英国に修行に出ていたのだったが、訃報に急きょ呼び戻されたのだった。
ガーデニング関係者の誰もが、帰国した紺と碧の姿に目をみはった。
―――ガーデニング界の美しき「紺碧」。
名前のとおり凛々しく美しく成長した双子のガーデナーと、和洋折衷の不思議な魅力を湛えた植物園。この取り合わせはメディアで盛んにもてはやされ、彼らは鮮烈なデビューを果たしたのだった。
当時はまだ高校生だった呉島も、そのときのことをよく覚えている。ガーデニングに強い関心があったわけではない。しかしアロマテラピーと調香をひそかな趣味にしていたので、バラや香料植物の情報を求めて専門誌やインターネットの記事を読み漁るうちに彼らの存在を知り、すぐにのめり込んだ。
とりわけ弟の碧に目を奪われた。社交的で明るい気質の兄にくらべて、碧はいくぶん控えめでいつも兄より半歩後ろにいるような雰囲気だった。やや憂い顔でいつも伏し目がちの碧に、呉島は言葉どおり、ひと目惚れしたのである。
だから就職活動では、かねて志していたマスコミのなかでもガーデニング専門誌をもつ老舗の出版社を第一志望に挙げた。首尾よく内定を手にして、目当てのガーデニング専門誌の編集部に配属されたときは、言葉どおり小躍りしたものだ。そして一年前、ついに念願かなって立花碧の連載記事担当にしてもらった。このときは人の目もはばからずに編集部のオフィスでガッツポーズをして周囲をあきれさせた。
だからこそ「やることなすこと気にくわない」と立花碧に冷たくあたられるのがつらい。
◆
呉島は植物園の中に入る前に、門前のフラワーショップでテッポウユリを購入した。カサブランカやヤマユリほど強烈な香りがなく、「純潔」の花言葉が似つかわしい。呉島の好きな花だ。
大ぶりの真っ白な花はよく水揚げされていた。花粉のこぼれがちな雄しべも念入りに取り除かれて、ここで働くフローリストの充分な技量がうかがえる。墓前への供花であることを伝えて簡素に包んでもらった。
呉島は大きな花束を抱えて植物園に隣接する寺の敷地に入った。その奥にある墓地へ向かう。
植物園とは対照的に、この寺を訪れる人はほとんどいない。寺領全体が鬱蒼とした杜に包まれていて気安く山門をくぐれる雰囲気ではないのだ。この地を訪れるガーデニングファンにとっても、目当ては立花碧と彼の庭なのだから、この寺の杜は植物園の借景としか思われていない。
呉島が目指す墓地は、柳の枝垂れる大きな池の先にある。雨でやわらかくなった土を踏みながら池のほとりを歩いた。水の中に魚が泳ぐ気配がある。墨色と朱色。鯉ではなく鮒だ。音もなく水草の間を行き交った。
たどりついた墓地は無人で、ひっそりと静かだった。目的の墓前に花を供えて手を合わせていると背後に人の気配がした。
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