二日目、あなたの香り

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二日目、あなたの香り

 番組収録の初日は打ち合わせと準備で終わり、二日目の早朝から実際の撮影が始まった。午前六時前、呉島は寺の宿坊を出た。昨日からの小糠(こぬか)(あめ)はすっきりとやんで、澄んだ朝の青空が広がっていた。  いま、立花はカメラや照明に囲まれながら、植物園のスタッフとともに庭の手入れをしている。撮影ディレクターが時折、ちょっとした「やらせ」の指示を入れる。  ――立花先生、庭の奥からもう一度歩いてきてください。ああ、さっきのしぐさ、すごくいいですね。もう一回お願いします。カメラ、こっちのアングルから撮って。  立花はそれに機嫌よく応えている。呉島は撮影の進行を遠巻きに眺めていた。立花はカメラが顔の近くに寄っても気にせず、自然体で作業を進める。わかりやすい言葉でそれぞれの植物について説明を織り交ぜる。  呉島はあらためて感じ入った。彼のガーデナーとしての腕は確かだ。彼の庭にも、彼そのものにも惚れている。だからこそ自分だけに向けられる厳しさが身に(こた)える。  立花と撮影クルーの背中を追いながら、植物園内をゆっくりと巡った。  いま、園内は夏の盛りを迎えている。  派手な植物はない。  花の色は、白、青、紫が中心。  葉と茎の緑色。樹肌の色。  日本家屋の寂びた瓦の色。  年経た石壁の色。  それらが入りまじって、静かな美しさに満ちている。  植物それぞれが放つ香りにも、立花は(こま)やかな心配りをしていた。植物は花だけではなくて茎や葉、幹にも芳香がある。ほのかな香りのものは姿や色で取り合わせて植え、香りが主役の植物ならその香りを堪能できるように。園内の動線や配置は考え抜かれていた。  立花植物園に来たときに必ずするように、呉島は歩きながら大きく息を吸い込む。ちょうど常緑樹の木陰にアナベルを咲かせた一帯に差し掛かっていた。咲きすすむにつれて緑から白に色を変えていくアナベルの花は、この時期、たっぷりと雨を吸ってみずみずしい。重たげな丸い花からは濃密な夏の匂いがした。 「……さん、呉島さん」  ディレクターに呼ばれてハッとした。 「朝の分はこれで終わりです。次は植物園オープン後。それまでクルーは休憩です」 「あっ、はい。わかりました」  ぼんやりしていたせいで、抱えていた資料やファイルを取り落としそうになった。慌ててこのあとの進行を確認していると、立花の容赦ない言葉が飛んでくる。 「呉島君、あんまりぼさっとするなよ、仕切りは君の役割だろ。率先して動きなよ」  立花のひとことで和やかだった現場が一気に緊張する。 「……すみません」  呉島はうつろな返事をした。冷たい視線を投げてよこして立花は立ち去る。なぜこれほど嫌われるのかわからず辛かった。
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