バニシング・ツイン

1/1
前へ
/1ページ
次へ

バニシング・ツイン

 私、若葉と姉である双葉は双子の姉妹だ。    一卵性双生児で同じ顔、同じ体型をしている中学の頃まではよく姉妹を間違われていた。私と妹の双葉の違いは目元のホクロだけだった。  私は右目の下に、双葉は左目の下にホクロがあった。ただそれは、その特徴を覚えている身近な人だけで多くの人は私と双葉の区別が一目ではつかなかった。  しかし今は私たちが間違われることはほとんどなくなった。私の服装やメイクが変わったせいだろう。私は高校に入ってからいわゆるギャルのような派手な化粧をするようになり服装も短いスカートやへそを出すようなファッションをするようになった。  対照的に双葉は中学生の頃の私たちと変わらずほとんど化粧をせずロングスカートにブラウスなど清楚と呼ばれるような服装をしていた。だから双葉とは同じ高校に通っているが私の事を双葉だと間違える人はいない。  公営団地の古臭い鉄の扉の前に立つ。築数十年の外壁の色も変わっている七回建てのマンション。私の家だ。  自宅の玄関に鍵を挿そうとしてためらう。家に入るのが憂鬱だった。とはいえ家に帰らないということも私にはできない。  ため息を吐きながら鍵を挿しこみ回す。鍵が開いた感覚を感じながら扉を開く。ギギギィと金属がきしむ音と共に扉が開く。無言で靴を脱いで廊下にあがる。すぐに母が顔をだした。 「お前。今一体何時だと思っているんだ!」 「そんなに遅くなってねーし。うるせぇんだよ」  私が母に吐き捨てるように言う。 「お前誰に口きいてるんだ!」   母は唾を飛ばしながら近づいてくると手に持っていたコップに入った水を私の顔にぶちまけた。咄嗟に顔を守ろうとしたが間に合わず顔から胸元まで水浸しになる。 「この不良娘が。お前にやる飯なんかないからな!」   小学生の時に買ってもらった安物の腕時計を見る。まだ六時を回ったところだった。母はもう私に見向きもせず台所に向かって行く。濡れた顔を袖で拭きそうになり慌ててやめる。  水を掛けられたせいで化粧が落ちているかもしれない。たった一着しかない制服のブラウスが汚れてしまうかもしれない。洗面台に行ってやはり崩れていた化粧を落とす。鏡には双葉とそっくりな顔が写っていた。右目の下にあるホクロを触る。  私も台所に行くとテーブルに双葉と母が並んで座っていた。夕食は豚汁と鶏肉の煮物らしい。母は双葉に話しかけている。 「今日はどんなことがあったの? 」 「テストが返って来たの良い点だったので良かった」 「今日のお昼は何を食べたの?」 「お母さんのお弁当だよ。美味しかった。いつも作ってくれてありがとう」 「伊藤さんと話すのはいいけど斎藤さんとは友達をやめなさい。あの子はあまり頭の良い子ではないから」 「斎藤さんとは友達じゃないよ。委員会が同じだけ。心配しないで」 「そう。双葉は良い子ね」  双葉は母の質問攻撃に優しく笑いながら答えていた。私は母の子供のころからずっと変わらない質問に口元を歪める。  母は私たちが幼少のころから私たちを管理したがった。食べ物。言葉遣いに服装。性格に立ち振る舞い。あげくには友人関係まで干渉してきた。 「私の言う通りにしていれば貴方たちは必ず幸せになれるから」  それが母の口癖だった。父は私たちが物心つくころには病気で亡くなったらしい。幸い多くの不動産資産を持っていた上、それを管理してくれる伝手もあったらしく母は働かなくても生活できるほどの財産を持っていた。だから、母は常に家にいて私たちを管理した。  母好みの清楚で三つ手をついて後ろをついて夫を支えるような女性に私たちを育てようとした。  それが不幸だとは思わなかった。そういうものだと思っていたから。母は本当に私たちのことを考えてくれているんだと信じていた。  母は父が死んだ後にとある宗教に入信した。それは聞いたことも無いような名前の新興宗教だったが父が病気の時に勧誘されたらしく教祖の言うとおりにすれば父の病状は緩和したらしい。それはただの偶然だったが藁にもすがりたい気持ちだった母はその偶然を奇跡だと信じた。  結果的に父は助からなかったが安らかに逝けたのは自分の信心と教祖のおかげだたお思い込んでいた。その為母はその宗教の教祖と呼ばれる人物に心酔していた。    私が中学三年生の時、家に帰ってくると知らない中年の男の人が家の中にいた。その日双葉は図書委員の仕事でまだ学校に残っていて家に帰ってきたのは私だけだった。  母はにこにこしながら私に近寄ってくると「双葉ちゃんは?」と聞いて来た。まだ学校と答えると母は少し考えたようだったが「じゃあ、若葉にしましょう」と呟くと中年の男に近寄っていくと言った。 「どうぞ、教祖様。私の娘の若葉です」  教祖と呼ばれた呼ばれたその男はにこにこと薄ら笑いを浮かべながら私に近づいて来た。 「初めまして若葉さん。大丈夫。何も心配いらないからね」 「いやっ!」  肩を掴まれた時、背筋に悪寒が走って両手振り払う。教祖は勢いあまって床に尻餅をつく。 「何をしてるのっ!」  母が駆け寄ってきたかと思うと私の横を素通りして教祖に駆け寄った。 「大丈夫ですか? 貴方はなんてことをするの!」  母は鬼の形相で私を睨みつける。 「母さん?」  私はその光景を呆然と見つめていた。教祖はゆっくりと立ち上がるとにこにことした笑顔を崩さないまま言った。 「これぐらい元気な方が教えを説きやすいというものです」  教祖は両手を広げて私に襲い掛かってくると私の両手を掴み押し倒してくる。その力に逆らえず私は床に抑えつけられる。 「助けて! 母さん!」  母に助けを求めようと声を上げると母はこちらに両手をあわせながら拝んでいた。 「ああ。これであなたは幸せになれるのよ。良かったわね」  母は泣いていた。うれし泣きをしていた。私が。娘が男に押し倒されているというのに。そこでようやく私は気が付いた母は私を売ったのだ。いや、売ってすらいない。差し出したのだ。吐き気がした。  必死に抵抗したが暴れまわるだけで抜け出すことはできなかった。私の服が乱される。叫び声を上げようが、暴れようが母は動かなかった。テーブルに足が当たってテーブルの上に乗っていたガラスのコップが床に落ちてきた。私は教祖の腕に噛みつくと腕の力が一瞬緩む。コップを拾い上げるとコップを教祖の顔面に思い切り叩きつけた。  教祖が獣のようなうめき声をあげて床の上にのたうち回る。その内に私は男の下から這い出すと家を飛び出して逃げた。それからどうしたのか分からない。しばらく街中を一人でふらふらとさまよっていた。しかし、ふと双葉のことを思い出した。双葉が家に帰れば私と同じ目に合うかもしれない。それだけは避けなければならなかった。双葉と私はスマホを持っていない。学校に行ってすれ違うと間に合わないかもしれない。私は自分の中の恐怖を押し殺して家に帰った。  双葉は家にすでに帰っていた。結果的に言えば双葉は教祖には会っていなかった。教祖はあの後すぐに病院にいったらしい。母は激怒して私を何度も何度も殴った。 「どうして、私の言う事を聞いてくれないの!」 「私の言う事を聞いていれば貴方は幸せになれるのに!」 「貴方は、貴方たちは黙って私の言う事を聞いていればいいの!」  そう言って泣いては私の頬を平手で叩いた。私はもう母のことを母だとは思えなくなっていた。  母は教祖に怪我を負わせたということでかなりの金銭を払ったらしい。住んでいた家も売り払いほとんどの財産を教団に支払った。私たちは家賃の安い公営住宅に引っ越すことになった。  私は母に反抗して母の好みとは真逆の恰好をするようになった。それが私にできる唯一の反抗だった。家を逃げ出そうとも思ったが双葉がいた。私が家を飛び出せば次に標的にされるのは双葉かもしれないと思うとこの家から逃げる事も出来なかった。  記憶のフラッシュバックから意識を引き戻す。いけない。物思いにふけりすぎた。視線を双葉と母からテーブルに移す。   テーブルの上には二人分の料理しか用意されていなかった。仕方なく冷蔵庫を開けようとすると背後に人の気配を感じて振り返る。  いつの間にか母が立っていた。 「勝手に人の家のもの食べようとするんじゃないよ。本当に卑しい娘だね」  母が右手を振り上げるビクリと体が硬直する。なすがままに左頬を平手を受けて床に座りこむ。 「この愚図が!」  叫んで母は私を見下す。すると今度は母が体を震わせたかと思うとばたりと床に倒れた。背後には無表情な顔をした双葉が立っていた。 *  母が目を覚ました。 「ちょっと。一体これは何の真似だい!」  母が正面にいる私に唾を飛ばしながら叫ぶ。それは仕方がないだろう。気がついたら椅子に両手両足を縛られて座らされているんだから。 「お母さんに聞きたいことがあるんだ」  私は汚い言葉で罵ってくる母に静かに聞いた。 「うるさい! この縄をほどけ!」  私の話をまったく聞こうとしない母に肩を竦めてみせる。部屋の扉が開いて人が入ってくる。 「双葉! 助けて!」  母がすがるように叫ぶ。しかし、彼女は無言のままだ。 「この人知ってるよね」  私は母の目の前まで行って高校に入ってから買ったスマホの画面を見せる。そこには教祖の写真が写っていた。 「……」  母は無言だ。 「この人が私に何をしたか分かる? もちろん知ってるよね? 私はあれを許したつもりは無いんだ。だから報いを受けてもらった」  私の言葉に母は目を見開く 「教祖様に何をした!」  画面をスライドさせる。そこには体中を切り刻まれて首を吊っている教祖の写真が写っている。 「……っ。教祖様! 教祖様! なんてこと! なんてことをしたんだ! お前は! もうおしまいだ! 私たち家族はおしまいだ! 幸せになってほしいと一生懸命生きてきたのに!」 「よく言う」  私は吐き捨てるように言うと錯乱している母に平手打ちをした。信じられないという表情で母がこちらを向く。本気で娘は自分に絶対服従すると信じていたんだろうなと思う。 「お母さん。現実を見た方がいいよ。教祖を殺ったのは私。そして、お母さんはそんな私に捕まってるんだよ。そして、私はお母さんを許したつもりもない」  手に持っていた包丁を母の首元に突き付ける。ようやく自分の置かれた状況が分かったのが母が黙りこくる。 「素直はお母さんは好きだよ。最初に言ったけどお母さんに聞きたい事があるんだ。いいかな?」  母は小さくうなずく。 「ね? お母さんは私たち双子がどっちがどっちかわかる?」 「当たり前のこと聞かないで!」 「そう。良かった。じゃあ、これからお母さんに質問するね。どっちが若葉でどっちが双葉だと思う? 正解出来たらお母さんの事を許してあげようって思う。でも」  一呼吸。右目下のホクロを触る。 「間違えたら殺すね? 当然だよね? 当たり前に分かることが分からないんだもん。幸せしてあげたいって思っている娘を間違えるわけないよね。一分だけあげるよ。充分に考えてね。ああ。考えるまでもないか」  私はクスクスと笑いながら母から離れて二人並ぶ。母はじっと私たちを見つめていた。無言の一分が流れる。 「はい。一分経ったよ、質問に答えて。双葉はどっちで若葉はどっち?」  ギャル風の恰好をした私とロングスカートにブラウスを着た彼女。交互に指さして母に問う。  母はゆっくりと私に向かって指を向けた。 「あなたが双葉」  次に隣立つ彼女に向かって指をさす。 「あなたが若葉でしょう」 「へぇ」  私は思わずつぶやいた。 「どうしてそう思うのかな?」 「服装を変えたって間違えるわけない。それにそのホクロ。化粧でしょ。自分たちにの区別をつきやすくするために貴方たちが自分でつけていたのよね。だからホクロだって逆にできる」 「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」  母の言葉に大笑いしてしまう。 「意外。意外とちゃんと見てたんだね」  私は隣にいる彼女からコットンを受け取ると右目下をふき取る。そこにあったホクロが綺麗に消える。 「それに双葉は私の事をお母さんって呼ぶの。若葉。あんたは私の事を母さんって呼ぶ。どれだけ姿が似てても無意識の癖までは似てないんだよ」  どこか自慢気に母が言う。 「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」  今度は私の隣にいた彼女が笑う。そして私の隣に並ぶ。 『似てないなんてことはないんだよ。お母さん』  二人で同じ声で同じ動きで言う。 『私たちは時折入れ替ってた。入れ替る遊びをしてたんだよ。そんなことも分からなかったんだろ? 母さんは』 『私たちはいつからこの入れ替る遊びをやってたと思う?』 『あの教祖に襲われたのは本当に若葉だったのか?』 『双葉だったかもしれないよ?』  母の顔が驚愕で青ざめる。 『 』 『それともどっちでもよかったのかな?』    私は母の喉元に包丁を当てる。 『ね。お母さん。母さん。あなたの答えは。本当に合っていると思う?』 『答えは。今から教えてあげるね』    私は。包丁を握る手にぐっと。力を込めた。    
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加