4人が本棚に入れています
本棚に追加
ペラペラと捲し立てていた彼は、ようやく彼女の存在に気付く。なきこと呼ばれた少女はあらまあ、と口に手を当てた。
「どこへ行っていたんです? 店番を放ったらかして。困った人ね」
「まあまあ。客を一人捕まえたんだ。大目にみてくれよ。なきこが代わりに店番をしてたのか」
「そうですよ」
言葉は諫めているものの表情は微笑んでいて、そこに怒っている様子はない。
彼女はふいに僕へ視線を向けた。目と目が合い、不覚にもドキリとしてしまう。
「ごめんなさい。さっき打ち水をかけてしまって。靴が濡れてしまいました? 兄さんのことも、すみません。無理やり連れてきたんでしょう? 本当に困った兄さんだこと」
「ああ、いや、違うんですよ」
慌てて僕は否定する。
「僕が困っていたので、山田君……お兄さんが案内してくれたんです。えぇっと」
靴は濡れてないですよ、と頭を掻きながら答える。
「僕は釣りに来たんだけど、どうやら上流の方で雨が降ったようで。お陰で水が濁って、とても釣りなんてできやしない。おまけに宿の手配もせずに、着の身着のままで来たもんだから、往生してしまってね。そうしたら山田君と偶然会いましてね。話してみたら家が宿屋だという。それで連れて来てもらったんです」
「無計画にも程があるよなあ」
そう山田君は笑った。全くその通りで、返す言葉もない。
「それならいいんですけれど。じゃあ、兄さん、店番をお願いね。アタシは出かけないといけないの」
手に持っていた柄杓を渡し、逃げないのよ、と目を眇めて念を押す。山田君は分かった分かったと軽く返した。
そんな兄を不審げに見やった後、なきこちゃんは向きを変える。
「ワラメに気をつけろよー」
揶揄う調子で言う山田君に手を挙げて、彼女は微睡むような陽炎の方へ歩いて行った。
最初のコメントを投稿しよう!