第94話 ラヴィ

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第94話 ラヴィ

「アネット! 情報更新(アップデート)の準備、できたぞ!」  人体を構築する膨大なデータが緑の光線となり、上空のドローンから照射された。光りはクロエが抉った小さな隙間を通り、ミッシュ・マッシュの子どもへ一直線に伸びる。 「ッ!!」  脳天から光に貫かれ、赤黒く血走った目が飛び出しそうなほど見開かれた。  左目にはマコトとアーティが、そして右目には(もや)が象る仮面が見える。ぐんと上半身を反らし、相反する強烈な力に引き裂かれるような苦痛に身を捩った。 『無駄です、私の融合の方が早い。さぁ、無為な命よ。せっかく生まれて来たのだから、少しは世界の役に立ちなさい。私の身体となってあの化け物共を好きなだけ食らい尽くしましょう。その次は人間です。生身の味は、もう知っていますね?』  融合と具現化の狭間(はざま)で朦朧とする精神へ、うっとりとした呪言が響き渡る。過重な負荷のせいで泡立った血を吐き出した。もうすぐ、命の残量が尽きる。  すると――初めて死を自覚した白い頬へ、冷たい手が伸ばされた。 「なぁ、こんな奴の宿主になるために生まれて来たのか? 違うだろ」  喀血を真正面から浴びたマコトが問いかける。前髪を滴る血の隙間から色違いの双眼に射抜かれ、ぴたりと身動(みじろ)ぎが止んだ。  瞬きもせず茫然と向かい合うもう片方の頬に、今度はアーティが手を伸ばす。鼻や目尻、耳などのあらゆる隙間から血を噴き溢し汚れた顔を、小さな手が構わず撫でた。 「人間は生まれたら名前を貰うのよ。だからラヴィはどうかな? 私の国の言葉で、『命』って意味なの」 「ら゛、ビ……?」  情報転写式具現装置(リアライズ)で新たに作られた未熟な声帯が、空気を震わせて音を鳴らす。がさついた酷い声だった。それでもアーティは大きく頷く。 「そう、ラヴィ。あなたが生まれたことを世界にちゃんと教えてあげよう? 産声を上げるの。ここにいるよって、大きな声で泣いて世界中に伝えるの。みんなそうやって生まれて来るんだよ。だからラヴィも……ね、マコト先生?」  薄い背中にもう片方の手を添え、愛しい人に同意を求めた。身を乗り出して手を伸ばしているため、狭い肉壷の中で二人の頬がぴたりと寄り添う。 「いいんじゃない? 俺だって受肉した時は泣き喚いてたし」 「あの時はまぁ、色々ありましたからねぇ」 「うん、色々あった」  こんな状況でさえ、口元を緩ませながら穏やかに微笑み合える。  大切な人を失った怒りも、悲しみも、虚しさも。山藤が咲き乱れる下でその全てを吐き出した慟哭はもう、思い出に昇華した。これからの未来はアーティと共に多くの世界を見続ける。だからこそ、まずは目の前の命と向き合いたい。 「写真に写るのは、この世に存在することの証明なんだって」  視えなくてもここにいるんだと証明したくて、自分の左目から作り出したレンズフィルターで世界のありのままを切り取り続けた。片目を失い徐々に色が衰退しても、どうしても諦めきれなくて。  がむしゃらにシャッターを切っていたのはアーティではなく、きっとマコトの方だった。 「君の写真を撮りたい。一緒にここを出よう、ラヴィ」  だらりと下がった白い手を取り、そのまま引き上げる。初めて触れ合った時に感じた恐怖はもうない。共に戦ってくれている温もりが背中にあるから。  花芽に埋まり壊死していた下半身を、情報転写式具現装置(リアライズ)の光が構築し始める。ラヴィの意思に呼応するように肉の花が徐々に開き、花びらの先端から粒子化して新たな足へと生まれ変わった。 「Joyeux anniversaire(ジョワイユー ザーニヴェーセール)……生まれて来てくれてありがとう、ラヴィ」  アーティが一つの命に心からの祝福を贈った。フランチェスカが歌った呪いとは全く違う。その言葉に誘われるように、確かな光を宿した瞳が大きく波打った。 「う、ぁ――……ッ、わぁぁああああアア゛ア゛アアアーーーーーーッ!!!」  風を起こし全てを吹き飛ばすような、力強い雄叫び。生誕を祝してくれた初めての言葉に縋り、大地を揺るがすほど大きく泣き叫ぶ。 「生きたい」という願いで生まれた(ラヴィ)は、ようやく産声を上げることができた。 『ぐっ、このォッ……!!』  何者でもなかった身体を乗っ取ろうと(たか)っていた古代人の怨念は、確立された自我に邪魔をされて取り憑く隙を失った。  激しい産声に追い出され、堪らず肉壷の外へ噴出する。呪いの(もや)は水面に滲む墨のように、薄く広く拡散した。  マコトとアーティを飲み込んでいた花がべろりと開く。緑光が降り注ぐ中心には、生まれた命を抱き締める二人がいた。 「やっぱりすごいね、アーティは」  泣きじゃくる子どもの背をさすりながら愛おし気に囁き、赤毛の頭部に頬を寄せる。  成し遂げた安堵で穏やかに微笑むマコトを、星空を映した水面のように輝く瞳が見上げた。 「先生とずっと一緒にいたいから頑張れたんです。だって言ったじゃないですか、絶対に成功させるって」  出会った日からマコトを照らしてくれていた柔らかな光は、いつしか人類の希望へと変わった。知らなかった世界を知り、目を逸らさなかったからこそ。 「んにゃぁ~~~~~っ!」  尻尾をぷるぷると震わせたタマキが、やり遂げた二人の周りを嬉々と走り回る。  短足で踊るように飛び上がり、肉付きの良い横腹が景気よく揺れた。
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