第100話 はじまりのドアを開けて

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第100話 はじまりのドアを開けて

「アーティ!?」  ミュンヘンで別れたはずの彼女が、どうしてここに。動揺のあまり声を上ずらせたが、HITO型の腹の外には届かない。向こうからはこちらの姿も見えないようだ。肉体を失ったのだから当然と言えば当然だが。  ずぶ濡れになりながら泣きじゃくるアーティの姿を見て、急激に焦燥が募る。最適な素材と言ったか。意味深に言い放った友を、色違いの鋭い視線が突き刺した。 「アーティに何する気? いくらあんたでも、あの子に手を出すのは許さない」 「こっわ! お前、いつからそんなせっかちになったんだよ」 「だって……!」 「ったく……俺が使いたいのは、あの子が大事そうに持ってるネックレスだよ」  今にも涙に溺れそうな両手が握り締めていたのは、マコトから託されたレンズフィルターだった。それはかつて、彼自身の左眼だったもの。 「お前の承認欲求を形にして色んなデイドリーマーズを撮ってきただろ? ()わばお前そのものだ。あれ一個で十分な器が創れる」 「……でも、あんたは命あるものを創れない。俺そっくりの器ができたとしても、それはただの人形だよ」  適した材料と想像力さえあればあらゆるものを作り出せる創造の異能は強力だが、やはり制限はある。どれだけ完璧な器を創ろうと、そこに生き物が生き物たる由縁(ゆえん)の魂が宿ることはない。 「だからこいつの力が必要なんだよ。なぁ、いけるか?」 「……わかりません」  曖昧な答えは自信のなさの表れだ。何せフランチェスカが最後に異能を使ったのは肉体が燃やされる前のこと。それ以前の長い旅路でマスターピースと共に様々な試みをしたが、もう感覚すら覚えていない。 「――ですが、やるしかないのでしょう?」  彼の誘いに乗るのはいつも癪だった。一番欲しいものは何一つ与えてくれないくせに、自分ばかりが振り回されているようで苛々する。断る理由を一つずつ理屈で潰して、最後に何も残らなければ「仕方ないですね」と受け入れた。  だが今は、妙に気分が良い。曇天が裂け、しばらくぶりに晴れ間が差し込んだような清々しさに満ちていた。 「ふはっ、そうこなくっちゃ」  フランチェスカをそっと下ろしたマスターピースは、まず自分たちの真下へ手を向ける。HITO型が座る花托(かたく)の下には、瓦礫(がれき)が積み重なった小島があった。捕食された際に飛び散った血痕が残る場所に、巨像の腹の中と外を繋ぐ出入口を創ろうと言うのだ。再会に相応(ふさわ)しいデザインは、すでに見当がついている。  日に焼けた浅黒い手が(かざ)され、外の世界に創造の(いかずち)が放たれた。フィールドの中心に走った閃光に、アーティたちは弾かれたように顔を上げる。 「マスターピース……?」  見覚えのある光に導かれ、フィリップは巨大な十の頭の一つに浮かぶ旧友の顔を呆然と見上げた。  彼は知っている。世界への有り余る希望と想像力であらゆるものを創り出してしまう神秘の力を。  やがて、辺り一面にひときわ(まばゆ)い稲妻が駆け抜けた。堪らず目を(つむ)った一瞬で、瓦礫(がれき)の下から何かが勢い良く()り上がる。雨上がりの晴れ間が照らすその光景に、アーティは思わず息を呑んだ。 「マコト先生の、アパルトマンのドア……」  いつものように何でもない日のはずだったあの朝、アーティが壊してしまった黒塗りの古い玄関扉。それほど時間は経っていないはずなのに、遥か昔のことのように思える。  何が起きているのか理解し難い状況だが、不思議と恐怖は感じなかった。  扉へ引き寄せられるようにふらりと近づく背中を追って、フィリップとタマキもフィールドへ駆け出す。彼女には視えていないだろうが、扉が出現したのはHITO型の(ふもと)だ。何が起きても不思議ではない。 「マコト先生、そこにいるんですか……?」  (すが)るように呼びかけるが、返事はない。  膝丈まである水を一歩ずつ掻き分け、扉が出現した場所へ上った。懐かしい扉の前に立つと、今までの記憶が鮮明に蘇る。  この扉はいつだって沈黙を貫いていた。毎回無視されるモーニングコールを諦めずに何十回と掛け直して、ようやく気怠げに開くのだ。  首元が伸びて緩くなった部屋着姿と血色のない寝起きの顔に胸を躍らせていたあの頃。今この瞬間も変わらぬ想いを募らせてドアノブを引く。だが引きこもりがちな家主と似て、相変わらず建て付けが悪く硬い。それでもアーティは諦めることなく、扉の縁にショートブーツの片足をかけた。  つれないドアをこじ開けるのは得意なのだ、あの朝のように――。 「――えいっ!」  いったいその細身のどこにそんな力が秘められているのか。見事にこじ開けられた扉は、勢い余って木枠から外れてしまった。だがアーティが再会を願っていた人影はそこにはなく、奥行きのわからない真白の空間だけが広がって見える。  蝶番(ちょうつがい)ごと破った扉を水面に放り投げたアーティを見て、マスターピースは思わず口笛を吹いた。 「こりゃあ勇ましいお迎えだ。お前よりもよっぽど男前じゃねぇか」 「うるさい」  マコトはその軽口に反論できるほどの材料を持ち合わせていない。むしろ心当たりがありすぎて困る。  優しくした覚えなんてない。会う約束だってしたことがない。いつも素っ気ない距離感を取っていたのはアマネへの後ろめたさと、住む世界が違うアーティを巻き込まないようにするため。  そんな風にマコトが勝手に築き上げた堤防を易々と飛び越えて、アパルトマンのドアは結局いつも開け放たれた。  それがどれだけ幸福なことだったのか、今ならわかる。アーティが諦めずにいてくれたから、何度だって奇跡は起きた。今、この時でさえ。 「心配すんな、絶対合わせてやるから」  狂おしく眉を寄せたマコトの背を軽く叩くと、マスターピースは再び手を(かざ)す。指先で手繰り寄せるような仕草をすれば、平たい胸元で揺れるレンズフィルターが輝き出した。光は瞬く間に粒子となって扉を潜り、創造を司る男の手のひらへと吸い込まれて行く。 「先生……?」  消えゆく粒子を追って、震える手が伸ばされた。  扉を超えれば、手首の周りに六角形の鱗のような細かい模様が浮かぶ。膜を突き破り何かへ手を突っ込んでいるような不思議な感覚だったが、その何かを掴むことはできない。  でもきっと、ここにいる。アーティにはわかる。どれだけ上手に隠れようと、世界を色鮮やかに映す瞳は大切な人を必ず見つけ出す。 「マコト先生、お願い、帰って来て……」  雲を掴むように手を彷徨(さまよ)わせる頭上を小さな影が飛ぶ。アイデバイスとの連携機能で追尾して来たドローンだ。  崩落した天井付近をホバリングしていた装置から、情報転写式具現装置(リアライズ)の淡い緑の光が降り注いだ。扉の奥を切なく見つめる虹彩が、データと太陽の光を吸い込んでいっそう(きらめ)く。  必死に伸ばされた手に、肉体をそのまま(かたど)った魂の手が重なる。指先が細く、男性にしては華奢な手だ。  握り込むようにしても触れることができないもどかしさに、マコトは気を揉んで背後を振り返った。   「マスターピース、急いで」 「わかったわかった。ったく、すっかりベタ惚れじゃねぇか」 「あまり急かさない方がいい、天誰真己徒御主神(アマタマコトミヌシ)。彼の手が狂ってまったくの別人になっても知りませんよ」 「それは困るよ。アーティは俺の顔が世界で一番大好きだなんだから」 「はぁ? 顔なら俺の方がイケメンだろ。なぁ?」 「どうでもいいです、私に同意を求めないでください」  辛辣なフランチェスカを粒子を握り込んだ手が嬉しそうに小突く。  いったい何を見せつけられているのだろうと目を細めたマコトの前で、ようやく目的の創造が始まった。
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