第30話 怪物の花嫁

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第30話 怪物の花嫁

 狙ったような快晴の下、太陽光を反射する海が鮮やかに映える。  白浜は天然のレフ板となり、被写体をよりいっそう輝かせた。  マコトが機材の準備をする近くで、アーティは花嫁のヘアアレンジを進める。 「うぅ……マリーさん、すごくきれいです……」 「もう。アーティさんってば、どうして泣いてるんですか?」 「なんか、感動しちゃって……」  マリーを(さいな)んできた孤独や葛藤に共感できる部分が多いアーティは、盛大に感情移入してしまったらしい。  異能をわかりあえる人生の伴侶を見つけて幸せの絶頂にいるマリーは、いっそう美しい。そんな彼女に自分を重ねて、鼻をすすりながら橙色の髪を編み込む。  シンプルなAラインドレスは小柄なマリーの体型によく似合っていた。パニエがない代わりにふんだんにあしらわれたチュールが、彼女の優しい印象をより強調させる。  上半身は清楚なレース素材だが、ビーチウエディングということで背中が大胆なシースルーデザインになっているのは、彼女の遊び心だろう。  綺麗な背中が見えるようにシニヨンでまとめた髪に、白いシャクナゲの髪飾りをつける。昨夜教えてもらった馴れ初めを思い出すと、より感慨深い。 「アーティさんのことを理解してくれる素敵な人がいつか現れますよ。……ふふ、もうそばにいるかもしれませんね」 「わ、私のことはいいんです! 今日はマリーさんとヴァイクさんが主役なんですから……」  カメラマンの方を見て意味深に笑ったマリーの頭をぐいっと手鏡に向かわせる。  真っ赤になったアーティを鏡越しに見て「かわいい~」と笑った。  姉妹のように微笑(ほほえ)ましい二人を眺めながら、マコトは機材を組み立てていく。 「マリー、綺麗だね」  水辺でそわそわと待機していたヴァイクに話しかけると、大量の水柱が噴水のように湧き上がった。全肯定を水で表現するとこうなるらしい。  アタッチメントを付けたカメラで、その様子を試しに一枚撮影する。  水中に口元まで沈めてぶくぶくと泡を吹かす様子は、新婦の晴れ姿に照れる新郎そのものだった。  レンズを海から砂浜に向けたマコトは、美しい花嫁を前に瞳を輝かせる少女の年相応の横顔をフィルター越しに眺める。  視えるものが増えると、価値観が揺らぐ。目を(そむ)けたくなるような現実に直面することもあるだろう。  だからこそ、その鮮やかな視界に美しい光景をできるだけ多く映してほしい。  あの日、パリで彼女の手を取って走り出したマコトは、そう願わずにはいられなかった。  ――それからほどなくして、準備は整った。  陸へ上がることができないヴァイクのために、花嫁が白浜の波打ち際ギリギリに立つ。マコトはストラップを首にかけてカメラを手にした。  仲睦まじく見つめ合う二人の姿を、写真に収めよう。 「マリー、始める前に一つ聞いてもいい?」 「はい、何でしょう?」  屈託のない笑顔を見せるマリーに、マコトの胸の奥が(きし)む。  今からとても酷いことを言う。けれど、その幸せの裏側にある真実を見て見ぬ振りはできない。 「その指輪、天然ものじゃなくて養殖真珠だよね。どうして嘘なんか吐いたの?」  その問いに、マリーから笑顔が消えた。温度を失った焦げ茶の瞳がスッと細まる。  後方で控えていたアーティは、突然の展開に瞬きを繰り返した。  自然真珠と養殖真珠の違いは核を覆う真珠層の厚さにある。安価なものほど核が大きく、真珠層が薄い。そうなると光沢感は損なわれる。  一般的には誤差の範囲だが、色の濃淡に鋭いマコトのオッドアイはその違和感を見逃さなかったのだ。  小さな綻びは大きな疑惑となり、愛で曇った色違いの目を覚まさせた。 「何のことかさっぱり……」 「じゃあ三日前に水没死した幼馴染み三人に渡していた大金はどこから出てきたの? 五つ星ホテルって言っても、ルームメイドはそんなに稼げる仕事じゃないでしょ」  これはユリウスから吸い上げた情報。  水没事故だけでなく、生前の被害者とのやり取りで彼女が捜査線上に浮上した事件は20件以上に及ぶ。  だが、実際に逮捕されるには至っていない。どれも超常的で不可思議な事件事故ばかりで、マリーが実行犯だという具体的な証拠が一切ないからだ。  事情を知る一部の関係者からは、密かにビンツの魔女と呼ばれている。 「三人とは、確かに幼馴染みでした。……昔、知り合いに(だま)されて夜の仕事をしたことがあって。その時に撮られた写真で脅されて、お金を要求されました。だから指輪を売るしかなくて……」 「お金を渡して付け上がった彼らの要求がどんどんエスカレートして、それで殺したんだね」 「殺した!? う、嘘ですよね、マリーさん!」  マコトの口から飛び出した衝撃的な言葉に、アーティが悲痛な声で彼女に問う。  だがついさっきまで仲睦まじく笑い合っていたマリーは、もうそこにいなかった。 「あいつらは髪飾りだけじゃなく、私の全てをむしり取ろうとしたんです。お金も、時間も、幸せも。……死んで当然よ」  マコトが真実を知っていることを悟り、花嫁は態度を改めた。  出会ってから優しく穏やかな彼女の姿だけを見ていたアーティは、初めて聞くその冷たい声色に言葉を失う。  マリーは茫然自失になった少女へ目配せして、哀れむような妖艶な笑みを浮かべた。  そして愛する花婿を手招きすると、彼の頬をそっと撫でる素振りをする。指先は触れることなく宙を(かす)めた。 「最初に髪飾りを海へ投げ捨てられた時に、すぐ殺しちゃえばよかった。そしたらヴァイクから貰った指輪を手放さずに済んだのに……本当に私って、お人よしの大馬鹿者だわ」  温度を失った瞳が語る歪んだ死生観に、アーティは彼女を擁護する言葉を完全に失う。震える指に力なく袖を掴まれたマコトはその手をしっかりと握り返して、悪夢と対峙した。 「ビンツのヴァッサーガイストは君の仕業なんだね、マリー」  海蛇の怪物を愛という言葉で操り、気に入らない人間を水底へ沈める魔女。  それが、ヴァッサーガイストの正体だ。 「だって、あいつらが私を苛めるんですもの。すごく怖くて、悲しかった。だから……死んじゃえって思ったの」  過剰なまでの自己防衛。幼い頃から他人に虐げられてきた彼女の鬱憤が、最悪な形で目覚めてしまった。その狂気を実現する強大な力を携えて。 「罪を償うつもりは?」 「私はただお願いしただけ。やったのは彼よ」 「ヴァイクに罪を全てなすりつけるつもり? 君が命令しなければ、ヴァイクが人間を殺すことはなかった。」  真正面からの追求にマリーの顔が一瞬揺らぐ。  そんな彼女を庇うように、愛のために命を(ほふ)る残酷な怪物が前に出た。  二人とも、もう引き返せない場所にいる。だから怪物の花嫁は言った。 「ねぇヴァイク、あの人たちが私を苛めるの。だから……――殺しちゃって」  ヒレのついた耳元へ囁く声は、どこまでも平坦だった。
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