第31話 断罪

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第31話 断罪

 この悪夢を醒ますには、狂った花嫁を止めるしかない。  マコトは咄嗟(とっさ)にジャケットに忍ばせていた物へ指をかけるが、海蛇の怪物の隣で美しく笑うマリーにどうしても希望を捨てきれなかった。リスクを冒してまでウエディングフォトを依頼してきた彼女の愛だけは本物だと、信じたかった。  だがその間にも、海上には無慈悲な水の弾丸が無数浮かび上がる。  切り立った崖の間の小さなビーチに、盾になるようなものは何もない。  マコトは悲鳴を上げるアーティを抱きしめ、銃弾の飛沫を背中に浴びるしかなかった。 「先生!?」 「アーティ、じっとして……!」  白浜に咲いた赤く美しい花に、マリーは恍惚の笑みを浮かべる。 「アハッ! アハハハッ! とっても綺麗ですよ先生! ヴァイク、いつもみたいに上手に殺してね、誰にも私たちの幸せを邪魔させないで!」  狂気に溺れる花嫁に応えるため、ヴァイクは水面にモノクロの身体を叩きつける。それに呼応した高圧水の槍が一斉にマコトとアーティに襲い掛かろうとした、その時――。 「情報転写式具現装置(リアライズ)展開(スタンバ~イ)♡」  軽薄な掛け声に合わせて緑の光線がヴァイクとマリーを囲む。  情報照射の光を浴びて実体化した影響により、避けきれないほどの量だった水の槍は二人へ届く直前に消失した。  突然の出来事に戸惑い攻撃が緩んだ直後、海の大蛇の身体がフルオート連射に撃ち抜かれた。傷口から瘤のような膨らみが現れ、一気に破裂する。 「ヴァイク……!?」  青い血、白い肉……目の前で飛び散る様々な事象にマリーが悲鳴を上げた。  初めての痛覚に襲われた身体は(むち)のように波打ち、海面を激しく叩く。  射線は――真上だ。  マコトが頭上を見上げると、雲へ突っ込む戦闘機が見えた。そのさらに低空には、スカイダイビングをしながらライフルを構えるイカレた人影が。 「オラオラオラァ~ッ! 追加で200万! 合計300万円のご祝儀だよ~!」  照準器など無視した追尾弾20発が、モノクロの鱗や白い上半身を貫いた。  破裂した肉塊はビチャビチャと音を立てながら海へ沈む。  イカレ野郎は地面に激突する寸前にようやくパラシュートを開き、砂浜を抉りながら着地する。 「やっほーセンセー! 元気ぃ?」  頭蓋骨にヒビ、そして下腹部に銃創を受けた身体で戦闘機から飛び降りてくるなんて。  蜂の巣になった背中で振り返ったマコトは、フィリップの元気そうな姿を見てあからさまに顔をしかめる。  降下用のゴーグルを脱ぎ捨て、特殊部隊のデジタル迷彩服を着こなした長身が新郎新婦と対峙した。  昨夜の戦闘のせいで利き手が使い物にならない主人の代わりに、ユリウスの愛銃をフィリップが構える。銃口は弱ったヴァイクを真っ直ぐに見据えた。 「ヴァイク! ああっ、ヴァイク……!」  狼狽する花嫁はウエディングドレスで水を蹴り、花婿の元へ駆ける。  身体のあちこちを抉られ半身を海に沈めたヴァイクの周りには、青い血が浮いていた。白いドレスがそれを吸い上げて海の色に滲んでいく。辛うじて息はしているようだ。そう、。  今まですぐそばにいながらも触れることができなかった愛しい怪物。そのか細い息を、肌で感じる。  異変に気づいたマリーは、銃口を向けるフィリップを憎悪の瞳で睨みつけた。 「何なのよ、あんた……! 私のヴァイクに何をしたの!」 「結婚式って面倒な参列者ほど呼んでなくても来るもんだよぉ。神聖な船出を台なしにする酒癖の悪いオヤジとか、新郎新婦の暴露話を吹聴する下品な友だちとか、デイドリーマーズに殺人教唆した人間を裁くウォッチャーとか……」  フィリップがそう囁いた瞬間、別の場所から乾いた発砲音が上がる。右手に広がる崖上からだ。  弾丸が貫いたのは――怪物の花嫁の心臓。  純白のドレスは鮮血に染まり、花婿の悲痛な叫びが海の唸りに変わる。 「あ……」  目の前でマリーが撃たれたショックで、アーティから無防備な声が上がった。強張った身体を抱きしめるマコトの腕に力が入る。 「着弾確認。狙撃も上手になったねぇ、ユーリ」 『相棒に(しご)かれてるんで』  耳にかけたハンズフリー通信機で崖上の部下に連絡を取るフィリップは、ライフルを構えたままターゲットに近づいていく。  即死とはいかなかったが、このまま放置すれば間違いなく出血多量で死に至るだろう。  海へ倒れたマリーをマコトの肩越しに見たアーティは、銃を構える背中へ叫んだ。 「何で……何でマリーさんを撃ったんですか!?」 「ボクらが撃たなくても、君のセンセーがやってたさ。そのために一丁くすねてたんだろう?」  昨夜、用水路に投げ捨てたのは一丁だけ。片割れは追尾弾を装填したままマコトのジャケットの下に隠されていた。  デイドリーマーズ相手に制圧力のあるライフルならまだしも、ピストル一丁では心許ない。だが、人間を殺すには十分だ。  アーティは血を流す腕の中で、ジャケットの内ポケットを探る。冷たく重い鉄の塊を指先に感じて、男の話が事実だとわかった。 「先生、どうして……」 「……今の世界に、マリーを裁く法律はない」 「だからって、こんなの……!」 「じゃあ君は『化け物が殺したから無罪』なんて言われて、納得できるのか?」  憎たらしいほど耳障りの良い声。二人の元へ、崖から滑り降りて来たユリウスが合流した。フィリップと同じ格好をしていて、鮮やかなブロンドが快晴の下で輝く。 「その声、この前の田舎モン……」 「ユリウスだ、跳ねっ返りの自称パリジェンヌめ。……彼女はデイドリーマーズを利用して28人も殺している。それでも君は二人の幸せを祈るのか」 「そんな……」 「法で裁けないのなら、罪は罪で(そそ)いでもらう。これがドイツ連邦の回答だ」  苦々しくそう言い放つと、ユリウスは身重なスナイパーライフルを砂浜に放った。代わりにハンドガンを構えて、フィリップと共に虫の息を吐く花嫁の元へ向かう。  若いウォッチャーは夜が明けるまでこの作戦に消極的だった。  統括部があえて様子見をしていたのならまずフランチェスカの指示を仰ぐべきだし、仲間と呼ぶには微妙な立ち位置のドイツ連邦に借りを作るのも面白くない。  フィリップが首相に申し立てをしてまで魔女討伐を強行しようとする理由が掴めずにいた。明け方にカタリナから連絡が来るまでは。  統括部の人間だけが閲覧できる欧州監視哨(おうしゅうかんししょう)の最重要データベースに、それはあった。  ハッキングに長けたカタリナが何重もの防壁を潜り抜け、やっとの思いで辿り着いたのは『観察記録』と名付けられた極秘ファイル。  日付は一番古いもので15年前を指す。  そこには一人の少女に固執するデイドリーマーズの生態と、彼女の狂気が(もたら)したビンツの惨劇が事細かに記されていた。  場所、時間、経緯、被害、死亡数――そして最後には必ず『監視継続』という無感動な言葉が添えられている。  統括部は人間と交流を深める怪物の奇行性を研究するため、この悪夢をしたのだ。  デイドリーマーズから人類を守るという信念を掲げた組織の中枢に、ユリウスが信じる毅然とした正義は存在しなかった。きっと、これからもヴァッサーガイストは続く。  この世界は、怪物が好き勝手に闊歩している。  不可視の怪物やだんまりを決め込む不老不死、そして利己的な人間。  誰だって怪物になれる。  それを嫌でも理解したユリウスは、自分の正義に従って引き金を引くことを決めた。
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