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第33話 UMI型、強襲
半透明な巨体が大きな水柱と共に海面へ現れた。その全貌を一目で見通すのは難しい。
水の膜のように見える表皮の下を、未熟な怪物の胎児が泳ぐ。まるでもう一つの海のようだ。
晴れ渡っていた空には、その存在に恐れ慄くように突如として雷雲が発生した。
「UMI型巨像……!?」
「まじぃ!?」
間近で見上げたその存在感に圧倒されていたユリウスとフィリップは、海に背を向け一目散に駆け出した。
ヴァイクの捕獲どころではない。半世紀ぶりの食事がビンツで始まろうとしている。
中央海嶺に50年とどまっていた、5体の巨像の中でも最大級の大きさを誇るUMI型。その巨体に数百体のデイドリーマーズを宿す、泳ぐ母体だ。大西洋の海底火山噴火はUMI型が移動したエネルギー変動によるものだろう。
「何で大西洋で遊泳してるUMI型がここにいるんだよぉおおお! 南米の観測班は昼寝でもしてたの!?」
「そんな文句言っても、きっと今頃は海の下に沈んでますよ! それよりも早く逃げないと……」
後ろを振り返ったユリウスが足を止める。
「何してんの!」と叱咤する上司に背を向けたまま、緑葉の瞳は海に残されたヴァイクとマリーの姿を見つめた。
UMI型を前にして微動だにしないヴァイク。彼は自分を生み出した大鯨を見上げ、静かに頭を垂れる。
そんな彼と息絶えた花嫁を、UMI型は海水ごと飲み込んだ。
「デイドリーマーズを、食った……!?」
「ッ! ユーリ、走れ!」
想像を超えた事態に立ち竦むユリウスの肩を掴み、二人は再び走り出す。考察は後だ。今は生き残ることを考えなければ。
UMI型は一度海底に姿を消した。それによって一気に引いた波は、沖で大津波となってビンツへ襲い掛かかろうとしている。街からは避難警報が鳴り響いた。
一方、マコトとアーティの姿は森の中にあった。
路駐していたマリーの車を見つけ、マコトはカメラの三脚で運転席のドアガラスを思いっきり叩き割る。内側からドアロックを開けると、盗難防止用のセキュリティーアラームが森に木霊した。
「いったい何が起こってるんですか!? 急に海が爆発するし……」
「UMI型巨像だ。もうすぐビンツは奴が発生させた津波に呑み込まれる」
「巨像……!? そんな、何とかならないんですか!?」
「……残念だけど、アレは俺たちがどうこうできる存在じゃない」
そう言ってカメラレンズからフィルターを外し、詰め寄るアーティへ渡す。
アーティが木々の隙間から海の方へ向けてフィルターを覗き込むと、稲光が走る嵐の下で災厄が跳ねた。
壮大なブリーチングが跨いだのは、都会のビル群と見紛うほどの大津波。
少女は畏怖した。あの怪物をただの人間が止められるはずがない。もはや天災だ。
一瞬でも対抗しようとした自分の浅はかさを思い知り、これから犠牲になる多くの命を思って奥歯を噛み締めた。そして自分自身も、死と直面している。
「巻き込まれる前に鍵を使って離脱する。どこかドアがある建物まで移動できれば……」
「じゃあ私が運転します!」
「え゛」
「先生のスペシャル安全運転じゃ津波に追い付かれちゃいますよ!」
そう言うとアーティは、硬直したマコトを運転席のドアから押し退ける。そして飛び散ったガラス片を適当に掃き、素早く身体を滑り込ませた。
顔認証のスターターを無視して、ダッシュボードに入れっぱなしの予備キーで無理矢理エンジンをかける。マコトは顔面蒼白の状態でしずしずと助手席に座った。
「アーティ、免許持ってるの?」
「高校時代に無人タクシーの利用者講習テストで合格して以来ですね」
「ペーパーじゃん……」
不安しかない。マコトは久方ぶりに死を覚悟して補助グリップを握る。
そしていざ発進しようとサイドブレーキを解除した時、突然後部座席のドアが開いた。
「アネット嬢、早く早くぅ! しゅっぱーつ!」
「急げじゃじゃ馬! もう第一波は到達してるんだぞ!」
「何であんたたちまで乗ってくんのよぉおおおお!」
駆け込み乗車してきたフィリップとユリウスを追い出す余裕はない。ショートブーツを履いた足はアクセルを力強く踏み込む。
急発進したタイヤは獣道の凸凹に合わせて数センチ飛び、マコトに致命傷を負わせた。
(津波よりもアーティに殺される……)
必死の形相で慣れないハンドルを握る彼女の横で、絶対に言えない本音を胸に秘める。だがそれはマコトだけではなかったらしい。
「うっぷ……今のでお腹の傷開いたんだけど……」
「じゃじゃ馬が運転する車もじゃじゃ馬だな……」
「うるさぁああああい! 文句があるなら降りなさいよ!!」
爆走する車の右手側の沖合は大荒れ。
再び海上に姿を現したUMI型は身体を回転させながら横向きに大ジャンプする美しいブリーチングを見せつけ、今度こそ海底へ姿を消した。
巨像が消えた海にそびえる高さ100メートル越えの大津波を前に、車内には悲壮感が漂う。
ここは街から離れた森のさらに外れ。建物なんてそう簡単には見つからない。
「はぁ~。まぁ、ユーリと同じ車で死ねるなら本望かな」
「俺はあんたと一緒なんて嫌ですよ」
「最後までつれないねぇ」
「うるさい、うるさい、うるさいっ! 弱音なんて死んでから言いなさいよ!」
最後まで諦めたくない。アーティはエンジンが焼き付きそうなほどアクセルを踏み込んだ。
しかし木々を薙ぎ倒しながら呑み込んでいく災厄との距離は徐々に縮まっていく。あれに呑まれたら、もう二度と地上に顔を出すことはできない。
マコトは車酔いで脳汁をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた頭をフル回転させ、必死に打開策を模索した。
最悪、自分は海底に引きずり込まれても助かるかもしれない。水没死を経験したことはないが、何をしても死ねない身体なのだから。
でも、アーティは……。
すると、ハンドルを握っていた少女がぽつりと口を開く。
「……あの、先生」
「アーティごめん、今ものすっごく考えてるから――」
「車のドアを中から開ける動作って、扉を押して開けるのと一緒ですよね?」
「……あ」
「……ガチャ! ガチャのお時間です!! 無料単発トラベルガチャ! イースター島でも南アフリカでもどこでもいいから早くぅぅうううううう!!!」
極度の緊迫感で理性が大爆発したアーティの必死な叫びを受け、マコトは急いで鍵束を取り出す。完全に盲点だった!
この災禍から逃れられるならどこでもいい。行き先など考えず、咄嗟に選んだ一本をドアハンドルにかざした。
後部座席の二人は何事かと前かがみになってその様子を見つめるが、強烈な急ブレーキをかけられてそのまま前席へ突っ込む。
そして津波に呑まれる直前、車内は眩い光に包まれた。
西暦2045年5月某日、歴史的な大津波はドイツ北方に壊滅的被害を齎した。海岸線の陸地は削られ、ドイツは国土の5%弱を失ったとされる。死者・行方不明者数の把握は困難を極めた。これは直前に発生した大西洋海底火山噴火の余波に起因するものとされているが、原因解明には未だ至っていない。
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