第40話 閉じぬ瘡蓋

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第40話 閉じぬ瘡蓋

 仲間内でも変人、狂人と名高いフィリップに、友と呼べる存在は皆無である。  そんな中でも一人だけ、彼と対等に語り合える男がいた。  人と(くく)ってしまうには異質な存在だったが、その男は(こと)のほか人間に好意的だった。  最初の出会いは戦場。  西暦202×年、地中海に面した諸国による戦争の最中(さなか)だった。  開戦のきっかけは宗教差別や海洋資源がどうとかという話だったが、なぜか記録に残されている証言のほとんどがあやふやで、芯が通らない。  だが『戦時下にヴィジブル・コンダクターからウォッチャーが大量に派遣された』という事実だけで、事情を知る者には十分説明がつく。  当時のSNSには、地中海周辺の上空を飛ぶ巨大な鳥の目撃情報が相次いでいた。  羽は余すところなく白く、孔雀(くじゃく)の飾り羽に似た尾羽をはためかせる巨体は、大型ジェット機の大きさを遥かに凌駕(りょうが)する。  神々(こうごう)しくも(おそ)ろしい怪鳥を見た人々は、口々にこう(ささや)いた。  ――あの怪物が、空から戦意を振り()いたのだ。  (くだん)の鳥が写真や動画に収められることがなかったことから、戦争を忌避(きひ)した人々の妄言と処理された。  しかしそれがあながち的外れではなかったことが、ヴィジブル・コンダクターの記録庫に残されている。  戦死者が1万人を超えた大戦は、SORA型巨像の食事に過ぎなかったのだ。  まだ成人したばかりだったフィリップは、戦艦がいくつも沈む海上戦を港町で記録していた。  情報転写式具現装置(リアライズ)が実用化されたのは西暦2036年あたり。それ以前のウォッチャーの職務と言えば、その名の通り監視である。  HITO型やUMI型と違い、常に移動し続けるSORA型のデータは少ない。人間同士が殺し合う餌場は、怪鳥をバードウォッチングをするには絶好のスポットだ。  一日の食事量や移動距離、生み出すデイドリーマーズの数――未知の相手を知るために、研究班だった当時のフィリップは、意気揚々とウォッチャーの職務へしゃしゃり出ていた。  そして空爆で吹き飛ばされた先で、彼と出会った。 「死に急いでんな~、若者よ」  空襲警報が鳴り響く中、妙にゆったりとした声色の男が語りかけて来る。  ボロ布を(まと)ったバックパッカーのような出で立ちに、ぼさぼさに伸びきった鳶色(とびいろ)の髪と顎を覆う無精髭、ギラリと光る黒曜石の瞳。  汚らしい身なりは外見年齢を底上げさせていたが、小奇麗に整えれば30代前半くらいの年齢になるだろう。  彼は多くのウォッチャーが圧死した瓦礫(がれき)の下から、唯一生き残ったフィリップを引きずり出した。 「あの鳥はもうすぐ満腹だ。戦争もじきに終わる。だからもうお家へ帰りな」 「SORA型が見えるの!? っ、タアアアア゛ア゛ッ!」  デイドリーマーズが視認できる人間は限られている。  同胞との突然の出会いに興奮を隠しきれず飛びつくと、瓦礫(がれき)に粉砕された足首が悲鳴を上げた。 「あちゃー……これじゃあ帰るに帰れねぇか。ちょっと待ってろ」  痛みで涙を浮かべる怪我人に「絶対に見るんじゃねぇぞ」と言い残し、彼は破壊された建物の裏に向かった。  東洋の民話でもそんなセリフがあったなぁと砂埃(すなぼこり)まみれの頭に(よぎ)ったが、大人しく従うフィリップではない。彼は好奇心の化け物だ。「見るな」は最高のスパイスである。  積み上がった瓦礫(がれき)に手をかけ奥を覗こうとした時、鼓膜が張り裂けそうな金切声が響き渡った。SORA型だ。  アレキサンドライトが見上げた先。首周りの羽を前方へ傘のように折り畳み、海に散った人間の魂を細長い(くちばし)で吸い上げている。  フィリップの意識が空へ向いていると、今度は背後から隕石のような拳骨が降ってきた。 「あだぁッ!」 「見るなっつったろ」 「見てないっ! ……って、それ……」  男が片手に抱えていたのは、真新しい松葉杖だった。  埃立つ瓦礫(がれき)の下から拾って来たとは到底思えない状態に、フィリップは胡乱気(うろんげ)な表情を浮かべる。 「あんた、ほんとに何者?」  差し出された松葉杖を受け取り、男の頭からつま先までをじろりと眺めた。  どこにでもいる浮浪者(ふろうしゃ)のようでもあり、何かを成した偉人のような貫禄もある。  フィリップは目線だけを瓦礫(がれき)の奥へ向けた。  爆撃で風通しの良くなった民家、その玄関扉の一部がむしり取られている。見るからに金属製だが、子どもが紙を破ったような不自然な損傷の仕方だ。  男は(つば)がボロボロになったバケットハットを脱ぐと、汚れた歯を見せてニッと笑う。  日に焼けた顔は(すす)けていたが、不思議と嫌な印象は受けなかった。 「すぐ答えを知りたがるのは短命の(さが)だな。。もっと頭を柔軟に、視野を広げろ」 「はぁ? ……って、おい、どこ行くんだよ!」 「連れが待ってんの。2時間後に最後の空爆が来る。全部を吹き飛ばすためのとっておきがな。さっさと逃げた方が身のためだぜ~」  男はフィリップの横を通り抜け、ひらひらと手を振る。  逃げ惑う住民たちの間を逆流した先にあるのは、三日三晩爆撃を受け続けた旧市街地。この足では追いかけることも不可能だろう。  フィリップは追跡を諦め、男の言うとおり退避することにした。デイドリーマーズを追って人間の爆弾で死ぬなんて、馬鹿らしい。  松葉杖をついて帰還した問題児が提出した報告書は、研究班の仲間たちから大変評価された。  それと同時に「データ収集がしたいならウォッチャーに異動しろ。お前の単独行動のせいで俺たちまで前線に駆り出されるのはごめんだ」と突き指された後ろ指に背中を押され、鼻歌混じりに異動届を出したのだった。  戦場で出会ったあの男のことを、フィリップは記録に残していない。残すべきではないと判断した。この組織は未知なるものを調べ尽くすことにおいて、フィリップ以上に貪欲(どんよく)だ。モルモットに人権はない。  いつかまたどこかで会えたら今度こそ根掘り葉掘り聞き出して、調べ尽くしてやる。――そう目論(もくろ)んでいたのだが、再会は案外早かった。  そして予想外に意気投合した二人が友として過ごした歳月は、塞がることのない瘡蓋(かさぶた)となって、今もフィリップの中に巣食い続けている。 「まさかあんたの連れじゃないよねぇ、……」  月明かりだけが照らすゲストルームのベッドの上で、フィリップが独り()ちる。  その問いに答えてくれる男は、もうこの世にいない。
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