第42話 待ち惚けのプリュネル

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第42話 待ち惚けのプリュネル

 湾曲解釈へダイナミックに着地したアーティの腕の中から、空腹の巨猫が飛び降りる。  目を擦るマコトの膝に行くと「メシ!」と催促するように足踏みを始めた。 「こら、爪立てるな、痛いってば」 「うみゃぁ! にゃー!」  マコトの抗議もなんのその。  スウェットの繊維にブチブチと爪を立てる全力ふみふみは止まらない。  するとそこへ、朝食の支度を済ませたララがやってきた。 「おはようございます。アネット様、昨夜は良く眠れましたか?」 「ララさんんんんんん!! なんで先生の部屋だって教えてくれなかったんですか!? 知ってたら床で寝たのに!! いや、むしろ廊下で寝たのに!!」  湯沸かしできそうなほど赤顔のアーティが、エプロンドレスの肩を掴んでぐわんぐわんと揺さぶる。  さすがは天真爛漫(物理)、もの凄い腕力だ。  一方ララは頭を激しく前後に揺らされながらも「あら、言いませんでしたっけ?」と、ヒューマノイド特有の無機物顔でしれっと答える。 「男性陣と同室にするわけにもいかないでしょう。私物もありませんし、客間と変わりないかと」 「ぜんっぜん変わりますよ!? それに先生も男性ですけど!?」 「まぁ、細かいことはいいじゃないですか」 「細かくない……!」  主人に似て怠惰で大雑把で面倒くさがり屋な家政ヒューマノイドは、羞恥で泣きそうな表情を浮かべる少女の影で欠伸(あくび)をしている主人をちらりと見やる。 『アーティは俺の部屋に案内して』  そう指示された時。白昼堂々と浮気宣言をする不貞な口を、首ごと()じ切ってやろうかと思った。 『ウォッチャーたちから妙な真似をされないように、俺が見張っておくから』と付け加えられ、どうにか未遂で済んだが。  この純情な少女がそれを知ったらどうなってしまうのだろう。いっそのこと包み隠さず教えてやろうか――そう思ったが、ソファから突き刺さる無言の圧力に根負けして、ララは口を閉ざした。 (過保護を通り越して回りくどい……ヘタレ野郎)  そんな悪態を思い浮かべながら、特大サイズの餌皿に5種類の猫缶とカリカリを開けた。  山盛りになったスペシャルブレンドの朝食。目をまん丸にしたタマキが、ソファから飛び降りて勢いよくかぶりつく。  フードファイターさながらの食いっぷりを横目に、マコトは改めて家政婦へ目配せした。 「あいつらはどうしてる?」 「早朝に周囲の散策に出かけました。今は……裏山の山頂あたりですね」  主人の問いに従順に返す宇宙の瞳が、CPU処理で赤く光る。  脳にあたる部分に埋め込まれた通信機能が衛星システムと繋がり、一瞬でフィリップとユリウスの現在位置を特定した。  マコトはその報告を受け、眠気を嚙み殺して立ち上がる。 「腹を空かせた摂食種(イート)の溜まり場が近い。ララ、迎えに行ってやって」 「面倒くさい……旦那様が行けばいいのでは?」 「シャワーを浴びたいんだ。あ、湯沸かしもよろしく」 「ハゲ散らかしませ、クソ旦那様」  そんな呪いの言葉を吐き、屋敷の管理システムへ瞬きの間にアクセスして、給湯のスイッチを入れた。  一方。風呂場へ向かうマコトがこれ以上何も語ってくれないのを察したアーティは、思わず「あの!」と引き留めてしまう。 「先生がちゃんと説明してくれるのを、信じて待っててもいいんですよね……?」  ずるい。本当に信じているならこんなことは聞かない。  アーティは内心で自分を責める。  だが、それほどまでに彼女は不安だった。  常人の物差しでは測れない場所で生きるマコトが、自分を危険から遠ざけるために独り善がりな線引きをしてしまうのではないか。  彼を理解したいと願う気持ちさえ、必要以上に突き放されてしまうのではないか。  元から口数が多い方ではなかったが、こんな時だからこそ、ちゃんとした言葉が欲しかった。  だが不安に揺れる瞳に見つめられたマコトは、思わず視線を逸らしてしまう。  彼女はのらりくらりと逃げてばかりいる臆病な男を責め立てているのではない。それがわかっているからこそ、余計に苦しかった。 「……ごめん、言いたくないわけじゃないんだ。秘密にするつもりもない。ただ……」  寝たきりの伴侶のこと。  自分自身について。  まだ伝えていない秘密。  胸の内で思い起こすだけで痛みが伴う。  どうすればよかったのか。何を手放して何を諦めればよかったのか、自分でもわからないことばかりだ。  マコト自身は気づいていなかったが、それは一種のトラウマとして、彼の内に巣食い続けている。  今はただアーティを不安にさせていることが本当に情けなく、心苦しい。けれど。 「……自分のことを知ってもらうのがこんなに怖いことだって、知らなかったんだ」  弱々しい本音を吐露したマコトからはいつもの飄々(ひょうひょう)とした態度が掻き消え、不安が透けて見えそうなほど頼りない。  そんな横顔に、アーティはかつての自分自身を重ねた。  彼女がまだ小学生だった頃、クラスで一番仲が良かった女の子にテトラクラマシーの能力を打ち明けたことがある。するとその女の子は「変なの」と悪意なく返し、それを他の同級生にも吹聴(ふいちょう)してしまったのだ。  噂は真実を捻じ曲げ、「お化けが視える」とか「心の中を読まれる」など、ありもしない作り話が独り歩きして、アーティの周りから友人は去って行った。  ただ、人よりも多くの色が視えるだけなのに。「気持ち悪い」と、遠巻きから指をさされて。  本当の自分を齟齬なく理解してもらうことは、想像以上に難しい。マイノリティであればなおのこと。  もし、マコトに出会っていなければ。  彼にこの目のことを受け入れてもらえなければ。  自分もマリーのように、孤独に(むせ)び泣く怪物になっていたかもしれない。  そんな苦い経験があるからこそ、アーティは自分が失言したことを悟った。 「急かすみたいな言い方になってしまって、ごめんなさい……。先生の気持ちの整理がつくまで待ってます。ずっと……」 「……ありがとう」  色だけではなく人の感情にも過敏なアーティがこれ以上傷つかないように、マコトは足早に寝室を去って行った。  残された少女は、二人を隔てた扉をじっと見つめる。  物理的な距離以上に彼を遠くに感じた。待つことしかできないのがもどかしい。 (最初から先生と同じ視界で生きていたら、ちゃんと話してくれたのかな)  不可視の怪物が我が物顔で闊歩する世界を共有できていれば、自分も境界線の内側に入れてもらえたのではないだろうか。  テトラクラマシーではなく、彼と同じ目が欲しかった。そんな生産性のない感傷に囚われてしまう。  すると、一連の流れを見守っていたララが口を開いた。 「重度の引っ込み思案根暗野郎で申し訳ありません。ですが、アネット様をないがしろにするつもりはないのですよ」 「わかってます、わかってたのに……ほんとダメですね、私ったら」 「気に病む必要はありません。全ては煮え切らないあの顔だけ男が悪いのです」  相変わらず辛辣(しんらつ)な家政婦の足元に、食事を終えたタマキが甘えた声で擦り寄る。が、「おかわりはありませんよ」とすげなく突き放された。  ショックを受けた猫は、不貞腐(ふてくさ)れたようにその場で白い腹を出して転がる。 「さてと……面倒ですが行くしかないようですね。よろしければアネット様も気分転換にご一緒しませんか?」 「どこにです?」 「あのいけ好かない旦那様が言っていたでしょう? お迎えです」  ララは猫のたぷたぷな首根っこを持ち上げ「タマキ様も、食後の運動に参りましょう」と、半ば強制的に連行した。
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