第43話 岐路の坂道

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第43話 岐路の坂道

 屋敷から一歩外に出ると、そこには予想以上に広大な自然が広がっていた。  手つかずの山には季節の花がそこら中に咲き誇る。特に木々に(つる)を巻いた山藤が見事だ。  朝露に濡れる草木は伸び放題で、人の手が加えられた様子はない。  不思議だったのは、獣が通ったような痕跡がないこと。豊かな自然の中で、生命の息衝(いきづき)が不気味なほど感じられない。  そんな奇妙な山の(いただき)を目指し、フィリップとユリウスは足を進める。  まずは自分たちの現状を見極めなければならない。  周囲に人の営みはあるのか。連絡手段は。  それらを確認するために、とにかく高い場所を目指す。 「こんなことなら家政婦さんにお弁当でも作ってもらえばよかったね~」 「なに呑気なこと言ってるんですか」 「だって出発前に出くわしちゃったけど、止められなかったじゃん。よっぽどボクらを逃がさない自信があるんだよ。それに、ピクニックにはやっぱり手作り弁当が必須でしょ!」  未知の登山をピクニックと言うフィリップを、ユリウスは思いきり睨みつける。  日が昇る前に二人が屋敷を抜け出そうとした時、音もなく背後から現れたララ。  このまま連れ戻される――かと思いきや「どちらに?」と尋ねられただけで、散策に行くことを素直に告げても、引き止めはしなかったのだ。その時点で二人は脱出を諦めた。  風で揺れる草木の音しか聞こえない山道を、ひたすら登っていく。  ユリウスが背後を振り返ると、グレーの洋瓦屋根がだいぶ小さく見えた。周囲は深い森に囲まれている。この様子では人との交流はないのだろう。  無人の山に潜む化け物屋敷。  何かの物語に出てきそうなありきたりな展開に、彼はとっくに嫌気が差していた。 「……昨日の話ですけど」 「昨日? なんだっけ? 夕飯が美味しかった話?」 「ふざけないでください。おともだち大作戦のことですよ」 「ユーリこそふざけてるじゃん。何そのミッション名、ダッサ!」 「あんたのネーミングだろ! そうじゃなくて、あの男の提案を飲むのかって話です!」  自由奔放な会話にくわっと牙を()くが、フィリップには大した効果はない。  いい大人がスキップしながら坂を上り、くるりとユリウスを振り返った。 「ユーリはどう思う? 『世界にはこんな怪物がいっぱいいます!』って公表して、パンピがすんなり受け入れるかなぁ?」 「変人扱いされて終わりでしょう」 「だろうねぇ。きっとセンセーもそうだったんだ」 「……例の写真のことですか?」  思い返せば、アレセイア(真実)の名を使ってマコトがSNSへ投稿した写真から、全てが始まった。  ジャパニックで崩壊したトーキョーに咲いた巨大な蓮の花、そして多頭多腕の怪物。  非現実的で神秘的な写真は様々な憶測を呼び、熱狂的なオカルト信者が瞬発的に食いついて世界的なムーブメントにもなった。  しかし新しい情報が濁流のように押し寄せて来る時代では、それも一過性の盛り上がりに過ぎず。  そして昨夜の話である。  マコトの言動は、秘密主義なエネミーアイズと大きく乖離(かいり)していた。 「SNSでの拡散、情報提供と開示請求……隠れるどころか見つけてほしいって感じだよねぇ。まぁセンセーが喋りたいって言うなら、ボクとしては大歓迎だけど!」 「……そのためには、こっちの上層部(ビビリ共)を説得するしかないですよ」  気分が沈むのに合わせて、山に群生する若草と同じ色の瞳が足元に落ちる。  二人はヴィジブル・コンダクターという組織の歯車に過ぎない。  行動を働きかけることはできても、確約はできないだろう。何せ組織の中枢には腹黒い古狸たちが詰め寄せている。彼らは変化が特に嫌いだ。望みは薄い。 「できるできないの算段は必要ない。ボクらが今しなければならないことは何だい?」 「……情報を、集める」 「そ! たとえ約束を守れなくてセンセーに目玉を(えぐ)り取られようが、次の世代が生き延びてくれたらそれでいいさ」  フィリップの専攻は生物学だ。  例え自分がここで死のうが、長い目で見て人類が生き残れるなら、大した問題ではない。  だが、ユリウスは違う。 「俺は遠い未来のことより、今を生きる人間の選択を見届けたいです」  ビンツの怪物を生み出した経緯を知って、彼はそれまでの考えを少しずつ改めていた。  生まれながらの怪物はいない。  マリーを殺人鬼へと変えたのは、孤独だ。  誰にも理解されない苦しみや虚しさが呪いとなって、心が怪物になってしまった。  では彼女を孤独にした原因は一体何だったのか。それもまた怪物である。  怪物が怪物と呼ばれる、そんな世界の在り方だ。 「ウォッチャーであれば、誰だってマリーのような孤独を感じることはあります。自分が生きている世界を誰かと共有することができれば、彼女が独りで追いつめられることもなかった」 「ありゃ? ユーリってばずいぶん丸くなったじゃん」 「うるさい。……それにあの男が最後に言ったことは、悔しいけど腑に落ちます」 「知る権利、かぁ」  ヴィジブル・コンダクター創設から200年という歴史の中で、デイドリーマーズの存在はひた隠しにされてきた。  表向きは混乱を招かないようにするためだと教えられてきたが、この裏表のある世界で長く生きていれば、嫌でも事情は見えてくる。 「情報提供に対する各国からの過剰報酬、天変地異や疫病を予測した株の不正操作……人命よりも金や権力が好きな奴らはどこにでもいる。いつからエドワード・Q・アダムスの遺志は軽んじられるようになったんだろうねぇ」  組織の前身は、いわゆるオカルト研究会。アメリカのとある田舎町でエドワードが発足させた個人サークルだ。  彼は重度のオカルト好きであり、そしてデイドリーマーズが視える人間だった。  エドワードを突き動かしたのは、未知の生命体に対する純粋な好奇心。そこに悪意や憎悪はなかった。人の寿命を終えたその時まで、ずっと。  彼が残した(いしずえ)は石碑となって、日の当たらないアメリカ本部の地下に保管されている。  今はもう、誰の目にも映ることはない。 「ユーリの気持ちはわかったよ。ボクも反対はしない。あとはセンセーの真意を確かめないとねぇ」 「初めてあんたと理性的な会話ができた気がします」 「失礼だな! 天才中卒生物学者ナメてる!?」 「イカれたマッドバイオロジストの間違いでしょう」  知的探求心で言えば、フィリップも負けてはいない。生まれる時代が少しズレていたら、きっとエドワードと良い友人になれただろう。  ユリウスの返しにぎゃんぎゃん文句を言ったかと思えば、野に咲く花のうんちくが止まらなかったり、とにかく終始騒がしい。静かな山だからなおのこと。  昨夜は気味悪いくらい感傷的になっていたフィリップの後ろ姿を、ユリウスがじっと見つめる。  話す気のないことを問い詰めても適当にはぐらかされるだけだとわかっているから、多くを聞くつもりはない。時間と体力の無駄だ。それに、本当に必要なことはちゃんと教えてくれると知っている。  だから今は、ただ信頼して待つだけ。  そうして二人が歩き続けること小一時間後――。
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