第45話 閑寂な出迎え

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第45話 閑寂な出迎え

「ララさん、あそこ! もっさりした木の根っこが!」 「熱源感知、目標発見。さぁタマキ様、お待ちかねのデザートみたいですよ」 「みゃぁあぁあああああん♡」  重低音の二足歩行の正体は、アーティをお姫様抱っこしたララだった。  全速力で山を駆け上がるその俊足はまるでスポーツカー。マコトの改造の賜物なのか、旧モデルであるLA2-C型の出力を完全に超越している。  そんな違法改造車にシートベルトもつけず平気な顔で乗車しているアーティも大概だ。  そこに並走するのは「デザート」の単語に目を輝かせたタマキ。  太く短い足の素早い動きに連動して、肉厚な腹が振り子のように揺れる。 『ドシドシ! ポテポテ!』そんな効果音がピッタリだが、動きは俊敏だ。ワガママボディのどこにそんな瞬発力があるのだろう。  タマキは前足で地面を力強く踏み込み、身体を丸めて空中前転をしながら根のケージへ飛び降りた。 「シャーーーッ! ぐるるるるるる……♡」  重さと衝撃で凹んだ天井を内側から見上げた二人の耳に、食事を前にした邪悪な唸り声が届く。  直近まで迫っていた脅威の群れは突如現れた暴食猫に恐れ慄き、その足を止める。KAMI型派生のトレントさえ、ただの巨木へ戻ったようにぴくりとも動かない。  両者に緊張が走る中、ヒューマノイドの怪力が屈強な根をこじ開けた。 「まったく、世話を焼かせないでください」 「えー、お客さんのお世話を焼くのがお仕事でしょ?」  フィリップの厚かましい発言にも、家政婦は涼しい顔を崩さない。  二人の足首を捕えていた硬い根も素手で引き千切り、絶対零度の瞳で見下ろす。 「今の発言でストレス値が20増えました。100になったらぶっ殺します」 「ちなみに今いくつ?」 「89」 「ユーリ、さっさと立って! ララ様の手を煩わせないで!」 「原因はほぼあんただろうが!」  殺伐(さつばつ)としたメイドの横で、アーティはタマキが牙を剥く方へレンズフィルターを(かざ)す。  何も知らなければ静謐(せいひつ)な山の中。  しかしフィルター越しに広がるのは、奇怪な怪物たちの群れ。  お世辞にも美しい光景とは言えない。だが……。 「みんな、痩せこけてる……」  視える者には悲壮感すら感じさせるほど、彼らはやつれていた。そして明らかにタマキを恐れ、怯えている。  デイドリーマーズの存在は人間にとって脅威に違いないが、感受性が豊かな少女はどこか胸が締めつけられた。  そんな彼女の背後に、ケージから脱出したユリウスが立つ。 「おい、舌噛むから口を閉じてろ」 「は……? って、ちょ……ぎゃあああっ!」  無条件で耳が喜ぶ美声に振り向くと、何の説明もなく膝裏と背中に逞しい腕が回され、横抱きにされた。  アーティを軽々と抱えたユリウスが駆け出し、フィリップとララもそれに続く。 「せ、セクハラよ! サイテー! 顔だけ男!! イケボの無駄使い!!」 「やかましいな……」  金切声を上げながらも自分から降りようとしないのが、欲望に忠実で身体が正直なアーティという少女だ。特に美しい存在に弱い。  背後ではタマキの食事が始まった。  逃げ惑う怪物の群れへ飛び込み、精神の肉体を食い千切っては(むさぼ)り尽くす。質量を無視した胃袋に、デイドリーマーズたちが次々と吸い込まれていく。  フィリップは後ろ向きで走りながら、その様子をアイデバイスに録画した。  映像に残るのは半狂乱になった猫だけだが。 「アハハハハッ! 爆食じゃん! 超ウケる!! エネミーアイズじゃなくて新種のNEKO型巨像だったりして!?」  ウケないし、猫としては大きいが巨像と呼ぶには小さすぎる。  呆れるユリウスが小高い丘から速度を落とさず飛び降りた。アーティを振り落とさないよう、抱きかかえる腕に力が入る。 「ちょっと、どこ触ってんのよ変態!」 「不可抗力だ。君のことは棒切れくらいにしか思っていない」 「はぁあああああ!?」 (勝手にお姫様抱っこしておきながら棒切れなんて! やっぱり胸? それともお尻?)  全体的に凹凸の少ないアーティは、地面を削りながら着地したイケメン人力車の腕の中で青筋を浮かべる。  銃を突きつけられた最悪な第一印象から評価は暴落するばかりだ。顔と声は120点なのに、残念すぎる。  一気に騒がしくなった逃避行はスピーディで、半刻もしないうちに屋敷の敷地内まで撤退できた。  藤棚が揺れる小さな庭を抜け、白亜の玄関ポーチまで来てようやく足を止める。  タマキの食事は未だ山頂付近で続いていた。 「満足したら勝手に帰って来ますよ」とララが平然と言うので、暴飲暴食は日常茶飯事なのかもしれない。  失礼な腕からそそくさと逃れたアーティは家政婦の後ろに隠れ、無神経な男へ刺すような視線を向ける。 「ちょっと顔が良くて物凄くイケボだからって、何でも許されると思わないでよね!」 「アネット様、それは賞賛ですか? それとも罵倒(ばとう)?」  美しいものを贔屓目(ひいきめ)なしに評する複雑な文句を、ヒューマノイドは理解しきれなかったらしい。  改めて聞かれても、アーティは顔を真っ赤にして「知りません!」としか答えられない。  そんな彼女の近くに、フィリップが音もなく近づく。 「アネット嬢~」 「ヒィッ!?」 「さっきのレンズ、なぁに?」  まるで獲物を見つけた肉食獣である。アーティはさながら逃げ場を失った子ウサギ。  あの場でレンズフィルターを覗き込んだ少女を、狂犬は目敏く見ていたのだ。  ララを盾にしても身長差がありすぎるせいで上からのぞき込まれるような構図になり、ほぼ意味を成さない。  忠犬は朝からの疲労感のせいか、主人の暴走に嘆息するだけで助けてくれる様子はなかった。 「アネット嬢は一般人のはずだよねぇ? なんで腹ぺこデイドリーマーズが視えたのかなぁ? もしかして、そのレンズに何か秘密でも?」 「な、なななっ、ないです、なんにもないです!」  アーティは軽率な自分を呪い、シャツの中に忍ばせたのネックレスを握りしめる。  これはマコトから託された信頼という預かり物なのだ。無暗に他人に触らせるわけにはいかない。 「教えてくれないなら、無理にでも貸してもらおうかなぁ」 「あ……」  興味を持ったら知り尽くさないと気が済まない性分(しょうぶん)の怪物が、震える少女を見下ろして舌なめずりをした。  好奇心に突き動かされた長い腕が、ララの頭上を越えて迫る。  刹那、アーティは後方へ勢いよく引き寄せられた。  驚きで息を呑んだ彼女の鼻腔を(くすぐ)ったのは、今朝の寝室の香り。  温かくなったパリの街路に咲く桐の花を彷彿とさせる控えめな甘さに、ほんの少しオリエンタル系のスパイスも混ざったような、複雑だが不思議と落ち着く匂い。 「触るなって言ったろ」  アーティを腕の中に閉じ込め、どこからともなく現れたマコトが突き刺すような言葉と視線を向ける。  シャワーを浴びると言っていたが、湯船にも浸かったのだろうか。普段は氷のように冷たい身体が(ほの)かに温かい。多感な少女にはとても生々しく感じる。  耳朶(みみたぶ)の近くに置かれた唇からは吐息さえ聞こえて、アーティの元々少ないキャパシティの針は一瞬で振り切れた。 「せ、先生……」  辛うじて絞り出した声は弱々しく湿っぽい。  マコトは後ろから彼女の顔を覗き込み、目を見張る。  湖面が風に撫でつけられるように、アーティの瞳には涙の膜が揺れていた。 「……今からでも山に捨ててこようか、こいつ」 「やだなぁセンセー、ちょっとしたスキンシップだよぉ」  美しい瞳に憎悪の色が浮かぶ。  切り裂かれたパンケーキを思い出し、フィリップはにへらっと笑って手を引いた。  涙の原因の1割はサイコ野郎であり、残りの9割は独占欲丸出し俺の物ムーヴをかます罪な男のせいなのだが、それを丁寧に言語化する余裕などアーティにはない。  喉奥を引き()らせながら感情を吐露する。 「うぅっ、ひぐっ……お、お風呂上がりのマコト先生、良い匂いしゅるぅ……!」 「…………」  泣くほど感動しているのか、ふしだらな自分を責めているのか。  とにかく複雑な涙であることを察し、マコトはそっとアーティを解放した。 「アネット嬢って変態さんなの?」 「あんたにだけは言われたくないと思いますけど」  どの口が言っているのか。  さすがにユリウスがフォローに入るが「香りだけでも閉じ込めたい、一生分」と涙を拭きながらぼそりと呟いているのを見て、認識を改めた。  どっちもどっちである。 「はぁ……。朝食の時間が1時間も押しています。これでは他の家事に支障が出てしまうので、さっさと済ませてくださいませんか」 「朝ごはん!? やったー! 食べるぅー! ちなみにボクはパン派!」 「当家はご飯派なので、フィリップ様はメシ抜きです」 「ジャパニーズライスってなんであんなに美味しいんだろうね!? ボク、お米だーいすき!」  華麗な手の平返しを見せたフィリップがスキップをしながら屋敷へ戻って行く。  その後を追って歩き出した時、アーティは不意に視線を感じて背後を振り返った。  左右非対称な洋館の東側には、一階にサンルームを備えた塔のような離れがある。  昨夜のララの話通り、地震の影響で白い外壁にひび割れが走っていた。  その亀裂を目で追った先。  三角屋根から降りた(つた)のブラインドが隠す三階に、女性の人影が映る。  腰まで伸ばした美しい見事な黒髪、透き通るような白い肌。  思わず見惚れたアーティの視界を光の膜が覆い尽くす。  目を焼くような眩しさに瞼を閉じて、再び開いた時。彼女の姿は、もうどこにも見えなかった。 「アーティ、どうかした?」 「いえ……」  マコトの声に呼び戻され、慌てて歩き出す。  朝陽が染みるのせいなのか、目の痛みがいっそう増した気がする。  昨日からたびたび姿を見せる彼女が何者なのか。  アーティは、一人しか心当たりがない。
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