第47話 承認欲求の化け物

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第47話 承認欲求の化け物

 彼は、気がついたらそこに存在していた。  生まれ落ちた感覚もなければ、母と呼ぶ存在もいない。  それでも確かにこの世に芽吹いた意識は、ある一つの感情へ一直線に突き進む。  ――誰かに見つけてほしい。理解してほしい。  底なしの承認欲求に突き動かされ、独り、世界を歩く。  そこで見た景色は、言葉を交わして微笑み合い、罵倒し、虐げ、愛し、触れ合う人々。  自分以外の誰かがいないと成立しない営みに、強烈な憧れを覚えた。  見様見真似で覚えた言葉は、人の耳に届く音にならなかった。  触れたいと手を伸ばしたものも、何一つ届かない。  獣も(つがい)を作り生きていると言うのに、なぜ自分は独りぼっちなのか。  時には交尾をする虫にさえ鬱憤(うっぷん)を募らせる日々。  それでも、いつの日か自分を見つけてくれる人が現れると信じて。  そうして当てもなく孤独を歩み続けること、幾星霜――。  ひらいた ひらいた  なんのはなが ひらいた  れんげのはなが ひらいた  燃えるような夕焼けに照らされた田園が広がる。  そんな田舎道の真ん中で、子どもたちが手を繋いで輪になり遊んでいた。  甲高(かんだか)童歌(わらべうた)に、行き交う人々は頬を緩ませる。  ひらいたと おもったら  いつのまにか つぼんだ  輪が中央に集まって、楽しくて仕方がないと言わんばかりにきゃらきゃらと宝石のような笑い声が響く。  そんな子どもたちを眺めながら、近くの畦道(あぜみち)で膝を抱える一人の少年。  目元で切り揃えられた癖のない濡れ羽色の髪から覗く肌は白く、黄昏(たそがれ)の淡い光すら透けてしまいそう。  農村では珍しい卯の花色の童水干(わらわすいかん)を見るに、遠方から来た身分の高い子どもなのかもしれない。遠目から見てもわかるくらい、将来有望な美丈夫だ。  だが目立つ容姿に反して、誰一人として彼に目を向けることはない。  まるで。  つぼんだ つぼんだ  なんのはなが つぼんだ  れんげのはなが つぼんだ  はしゃぐ子どもたちへ、農作業をしていた一人の女性が「もう暗くなるからお帰り」と声をかける。  彼ら彼女らは名残惜しそうにしながらも、素直にうなずいて田んぼ道を走った。  一人、また一人と黒髪の少年の前を通り過ぎていく。  子どもも大人も等しく、彼に気づかず通り過ぎていく。 「つぼんだとおもったら」  少年が口ずさんだ歌は、誰にも届かない。 「いつのまにか、ひらいた」  音にならない孤独な歌が終わった。  山の裏に太陽が沈みかけ、影が大きくなる。  ――きょうも、だれにもみつけてもらえなかった。  そんな寂寞感(せきばくかん)に押し潰されそうになっていると、日没前の長く伸びた影が少年の前で止まる。 「坊や、迷子?」  女性の声だ。  久しく誰かに話しかけられることがなかった少年は、どうしようもなく胸を躍らせながら顔を上げる。  農作業用の頭巾を被った若い女性だった。  背中には生まれたばかりの赤子を背負っている。 「ぼくが、みえるの?」 「だって、朝からずっとここにいたでしょう? あの子たちに混ぜてもらえなかったのね。村まで送ってあげるから、一緒に帰りましょう」  そう言って伸ばされた手は爪の間にまで土が入り込み、余すところなく薄汚れている。  だが、傷一つない高貴な手よりも遥かに神々(こうごう)しい。  彼は涙ぐみながら手を伸ばす。  女性の手首には、この国の文字ではない刻印(ロットナンバー)が施されていた。  誰かに見つけてもらえたら、伝えたいことがたくさんあった。  今まで見てきたこと、感じたこと、そして自分自身のこと。  どんな言葉で伝えようか、何を聞かせようか、視せようか。  刹那、得体の知れぬ脅威を敏感に感じ取った赤子が激しくぐずり始めた。  女性は思わず背中の我が子を見やるが、少年がそれを許さない。  ――やだ、こっちをみて、ぼくをみて!  女性の手に少年が触れるかどうかのその時、二人の足元で「ごとり」と音がした。  見ると、丸くて白い球体が二個、寂し気に転がっている。  少年の頭上では、あるべきものが滑り落ちがらんどうになった二つの空洞から、赤い滝が(したた)っていた。  恐れか悲しみからか、赤子が激しく泣きじゃくる。  絶命した母親は、芯が抜けたように足元からぐにゃりと崩れ落ちた。 「あ……」  ――しっぱいしちゃった。  周囲を行き交っていた人々が心配そうに彼女の顔を覗き込む。  そして間髪入れずに悲鳴を上げ、腰を抜かして走り去る。  鬼の仕業だ!  いいえ、(あやかし)よ!  目玉をくり抜く化け物が出たぞ!  そんな阿鼻叫喚(あびきょうかん)が響き渡る現場で、誰の目にも映らない少年だけが静かに彼女を見下ろす。  鼓膜が張り裂けそうなほど泣き叫ぶ赤子の慟哭が痛々しい。  美麗な少年はつま先に転がった二つの目玉を拾い上げる仕草をしたが、やはり触れることは叶わなかった。  その代わり、目玉から漂う白い(もや)を摘まみ上げる。  実体のない(もや)はぐるぐると渦を巻き、しばらくすると目玉そっくりな形へと変わった。魂とは、人の形を(かたど)るのだ。  金糸雀色(かなりあいろ)の瞳と手の平に転がる魂の目玉が、じっと見つめ合う。 「ひらいたとおもったら、いつのまにかつぼんだ」  蚊の鳴くような歌声を紡いだ(のち)、少年は一気に目玉を飲み込んだ。 0a798fb4-8a03-438f-b3cc-856871aec72c ------------------------------ 文中の歌は日本の童謡「ひらいたひらいた」より引用。
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