第48話 明滅

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第48話 明滅

「キャパシティを越えた情報を一方的に共有して脳から破壊する。そういうデイドリーマーズだったんだ、俺は」  温度が感じられない声色でそう語るのは、本当に自分が知っているマコトなのだろうか。  アーティは彼の表情を確かめようと目を凝らすが、燦爛(さんらん)とした鱗に阻まれた。  何度(まばた)きを繰り返しても視界は元に戻らない。ただひたすらにもどかしい。 「マコト先生が、デイドリーマーズだった……?」  戸惑う少女を見つめ、自らを怪物と言った男は寂し気に目を細める。  一番伝えたかった人にどう受け止められるのか。つい臆病になってしまいそうになる自分に嫌気が差した。  だがこうして打ち明けてしまった以上、ただ信じて話を続けるしかない。 「デイドリーマーズは地球上の生物の中で最も後発の存在だ。この世界についてまだまだ(うと)い。魂を食べるのは食事だけじゃなく、学習の意味合いがある」 「つっ、つまり、十分な知識を得られたら……!?」 「受肉して人や動物として生まれてくる。巨像が割り振ったロットナンバーを刻んで」 「ファアアアアアアアアアアアッ!? やった!! ボクの仮説通りじゃん!!」  語られた真実は、ビンツの廃教会でフィリップが狂乱気味に語っていた内容そのものだった。  正解を褒められた子どものように、瞳を輝かせたデカい図体がぴょんぴょん飛び跳ねる。その興奮のまま照明に手をかざし、指先まで舐めるように見つめた。  この手はいったいどんな形で、どんな姿をしていたのだろう。想像するだけで胸が高鳴る。    一方、ユリウスは仏頂面をさらに険しくした。 「受肉した同族で地球の生態系を占拠することが巨像の目的ということか?」 「目的というか、種としての生存本能だね! 環境に適応するために姿形を変えるのは生き物として自然なことさ!」  興奮が収まらないフィリップが食い気味に語るそれは、一般的に『進化』と呼ばれる。  古代の生物が水中から陸地へ上がり空を飛んだように、過酷な環境を生き抜くための変質。デイドリーマーズはその手段として受肉を選んだに過ぎない。 「でもぉ、そうなるとセンセーみたいな存在がますます謎なんだよねぇ。ロットナンバーを持って受肉したって前提はボクらと同じなのに、そっちは不老不死な上にデイドリーマーズに触れる。この違いはなぁに? ここまで来たら焦らしプレイはナシだよ、センセー!」  好奇心の化け物に熱心に詰め寄られても、マコトはたじろぐ様子を見せない。  もう隠すつもりはなかった。いや、疲れてしまったのかもしれない。終わりの見えない孤独に(むしば)まれるのも、誰にも話せない秘密を抱えることも。  一度開けてしまった宝箱なんて、それはもうただの箱でしかないのだから。 「あんたらがエネミーアイズって呼んでる存在は、巨像が受肉するための専用食だ」 「専用食……?」 「燃費が悪いんだよ、あいつら」  マコトはもともと説明が得意ではない。飛躍した大雑把な話を嚙み砕くのは時間を要する。ユリウスの疑問は増えるばかりだ。  一方、常人離れした思考で生きるフィリップはすぐに合点が入ったらしい。  「つまりセンセーは、巨像専用に真空パックされた完全栄養食ってことだね!?」 「うん」 「……頼むから俺でもわかるように説明してくれ」  どっと疲れたように言うユリウスが愚昧(ぐまい)なわけではない。  成層圏の遥か上空で未確認生命体同士が交信しているような会話について行けないのは仕方のないことだ。 「想像力が足りないユーリのために特別レッスンだよ! ボクが巨像で、ユーリがデイドリーマーズね!」 「は?」 「あぁ~、毎日デイドリーマーズを生み出してクタクタだよぉ。これじゃあいくら魂を食べても受肉できなーい! アセアセ」  急に始まった茶番を止められる者はこの場にいない。  唯一可能性があるとしたらララなのだが、珍しく空気を読んで部屋の片隅に控えている。 「そうだ、一口で満足できるようなボク専用の完全栄養食を作ろう! さぁ、暴食種(グラタナス)クッキングのお時間です! 材料はこの金髪翠眼イケメンデイドリーマーズにきーめた☆」 「巨像のクセにずいぶん軽薄ですね」 「どんな基準で選んでるのかは俺も知らないけど、顔ではないと思う」 「ユーリもセンセーも、細かいことはいーのっ! さてさて……た~っぷりの魂で濃ゆ~く下味をつけて、他のデイドリーマーズに食べられないように不老不死もトッピングしちゃおう! 最後に強火で受肉させたら出・来・上・が・り♡ ――ブヘェッ!!」  頬にキスでも落とされそうなほど近づいた顔に、全身の毛を逆立てたユリウスの右ストレートが見事にめり込んだ。 「まぁ、だいたい合ってる」 「合ってるのか!? これで!?」 「だって、ウィンナー焼きながら創世神話とか宇宙力学なんて考えたりしないでしょ?」  魂を食べることも、受肉することも、エネミーアイズ(専用食)を作り出すことも。デイドリーマーズにとってはごく当たり前の生態。そこに仰々しい理由付けは存在しない。  戸惑うユリウスにマコトが言いたかったのはそういうことなのだが、果たしてどこまで伝わったのかはわからない。 「通常の受肉は記憶の保持まではできないけど、巨像から供給される魂の濃度は桁違いなんだ。だからデイドリーマーズだった頃のこともこうして全部覚えてる」 「つまり、正しく本質を理解できているから触れる……!」  鼻息荒く瞬時に正解を導き出すフィリップに、マコトは静かに頷いた。 「だから俺は、自分のことを誰かに伝えたくて仕方がない性分なの。理解してほしい、認めてほしい、見つけてほしいって。そういう承認欲求の化け物なんだよ」  事実、デイドリーマーズは自らの欲求に素直だ。  お腹が減った、子どもの頭を丸呑みしたい、愛する人の望むがままに――そして、誰かに認めてほしい。そんな欲望に善悪の区別なく突き進むのが怪物だ。  この世界の人々にデイドリーマーズ(自分)のことを知ってほしいというマコトの言動は辻褄が合う。異論はなかった。アーティを除いて。 「……お腹が空くのも、誰かを愛そうとするのも、普通のことじゃないですか。自分を理解してほしいと思うのも自然なことです。先生は化け物なんかじゃありません」  それまでずっと黙っていたアーティが、重苦しい口を開く。  パリでユリウスに銃口を向けられた時も、彼女は同じように異議を唱えた。  理解できないもの、得体の知れないものを人は「化け物」や「怪物」と呼ぶ。そんな悲しい分類に大切な人が括られているなんて、到底納得できない。 「……欲望は生きていくための道標にもなるけど、度が過ぎれば誰かを蝕む呪いになる。昔は力の制御もできなかったし、そうやって何人も殺して食べた。だから俺は、アーティが思ってるような綺麗な人間じゃないよ」  あまりに冷ややかな声は心なしか拒絶を孕んでいるようで、アーティは(わず)かに(ひる)む。  それでも、マコトが勝手に引いた境界線を飛び越えてその手を掴まなければ。そうしないと、彼はずっと独りぼっちのままだ。 「先生は、ただの弱虫です」 「……どういうこと?」 「理解してほしいって言いながら、本当の自分を知られることを怖がってる。自分はこんな奴なんだって予防線を張ってるだけのように見えます。拒絶された時に、傷つきたくないから……」  アーティの反論に、オッドアイが揺らいだ。きっと図星なのだろう。 「あの夜、どうして私をトーキョーに連れて行ってくれたんですか。どうして、このレンズフィルターを預けてくれたんですか」 「それは……」 「知ってほしい、伝えたいって言ってくれたのも……ぜんぶ嘘?」 「っ、違う!」 「なら……――ッう、ぁあっ!?」  突如(とつじょ)、アーティの両目に強烈な痛みが走った。  眩暈(めまい)や耳鳴りがするほど鋭い痛みに襲われ、そのまま椅子から転がり落ちる。 「アーティ!?」  珍しく声を張り上げたマコトが慌てて駆け寄った。  痛みで絨毯(じゅうたん)の上をのたうち回る彼女の(そば)に膝を着いて呼びかけるが、アーティは両手で顔を覆って「いたい」と譫言(うわごと)のようにただ繰り返すだけ。 「おいじゃじゃ馬! チッ、どうなってるんだ!」 「わからない……! アーティ、ねぇ!」 「センセー、頭を揺らしちゃだめだ」  フィリップが錯乱状態のマコトをどかすと、素早くアーティのシャツのボタンを緩めて呼吸を確保した。  ()()りながら激しく上下に動く胸に反して、唇は血の気が引いている。浅い呼吸が連続して、過呼吸に(おちい)る危険もあった。 「アネット嬢、痛みは表面? それとも奥?」 「はっ、ハァッ……う゛ぅ! いたい、痛い、い゛たぃ……ッ!」  少しの光に目を焼かれ、脈拍に合わせて内側から眼球を金槌(かなづち)で殴られているような激痛に意識が遠のく。激しく脈打つ心音に掻き消されて何を呼びかけられているのかもわからない。そんな最中(さなか)。  七色に明滅する視界の片隅に、誰のものでもない白い素足が視えた。  ペタペタとこちらに近づいてくる存在に気づく者はいない。まるでアーティにしか視えていないように。  瞳を覆う指の隙間から、傍に膝を着いたを見上げた。 (あなたは――……)  それからあまりの痛みに気を失い、アーティは事切れたように動かなくなった。  容態をスキャニングしていたララが震える声で告げる。 「脈拍低下、脳内酸素不足、意識消失……このままでは意識障害が残る可能性も……」 「っ……!」  マコトは咄嗟(とっさ)に鍵束を手に取り、アーティを横抱きにして慌ただしく立ち上がった。  余裕のない後ろ姿へユリウスが問いかける。 「おい、どこに行く気だ」 「ここじゃ処置ができない。(ふもと)の病院に――」 「お待ちください!」  冷静さを欠いたララの声に、マコトが足を止めた。  振り返ると、純度の高いミティアライトの眼球から赤い光が漏れ出している。  ララは(まばた)き機能を停止して、瞳の受像器に映し出されるデータを呆然と読み上げた。 「奥様の心拍が、急激に低下……脳幹機能、停止……」  脳幹とは、生命維持機能を司る部位。  それが機能を停止したということは、緩やかな死を意味する。  言葉を失ったマコトが抱きかかえる命と連動するように、東館で眠るの永く虚しい旅路が終わろうとしていた。
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