第58話 呪いの導火

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第58話 呪いの導火

 大勢の人が信じれば嘘も真と成り得るように、集団の意識というのは底知れぬ力がある。宗教や魔女狩りもその一端だろう。そして、呪いも。  古代にも真昼の夢を視る者たちがいた。  語り部である彼ら彼女らによって、デイドリーマーズの所業は創世記の大洪水や神々の引き起こした天災の神話などに置き換えられることとなる。  文明を破壊するほどの圧倒的な力を行使する不可視の怪物を畏怖し神格化する者たちがいる一方、身近な存在を失い憎しみを募らせる者もいた。人の目に映らぬ異質な存在を説き、悪魔を滅せよとエクソシズムを唱えて。 「魂とは個が個であるための()(しろ)。そして魂は巡り(まわ)るものです。その輪廻(りんね)を司る存在が天より使わされました。人はいずれ彼らに行き着くのです。何も恐れることはありません」  とある砂漠の街に、旅の伝道師を名乗る者が現れた。  物腰柔らかなその者が懇切丁寧に説いていたのは、憎むべき怪物の起源。人々に植え付けられた畏怖を払拭しようと、世界を渡り歩いているのだとか。  街の人々は穏やかに耳を傾けるふりをして、その笑顔の下に隠した憎悪の刃を研いだ。  ここは天変地異を引き起こす怪物の伝承が色濃く残る、人が生きるには厳しい砂漠地帯。数年前に殺人的な気候変動でオアシスの水源が尽き、飢渇(きかつ)がじわりと広がった死にゆく街である。  きっとこの伝道師は水源を枯らした怪物の回し者に違いない。  そう考えた住民たちはその日の夜に伝道師を捕らえ、査問と称した拷問にかけた。  だが暴徒と化した人々から何を聞かれようと、伝道師は微笑(ほほえ)みを絶やさず「恐れることはない」「彼らは我々に必要な存在」と(さと)すだけ。 「殺してしまえ」と住民の一人が叫んだ。天変地異の手先が人の形をして現れたのは僥倖(ぎょうこう)である。復讐の好機だと。  住民たちの荒れ狂う怒りに押され、伝道師の首が()ねられた。だがどうしたことだろう。地に落ちた首は相変わらず穏やかで、心臓はなおも動き続けている。 「大人しく運命を享受(きょうじゅ)しろとは言いません。ただ、真実を正しく理解してほしいのです」  胴を離れても喋る首に「やはり怪物の手先だ」と恐れ(おのの)いた人々は、当然聞く耳を持たない。やがて彼らは狂乱に呑まれ、いつしかその者の息の根を止めることに躍起になった。  四肢を切り落とし、食べ物と水を断ち、血を抜き、心臓を抉り取る。それでも死が迎えに来ることはない。気がつけば伝道師を捕らえてから一年の月日が経っていた。  積もりに積もった大勢の狂気と怨念はやがて道徳を踏み外す悪習を生み、書物に残すことのできない禁呪を完成させる。人類の敵を滅ぼすための、(にえ)を用いた呪いを。  肉体を残しては呪術が完成しないと、伝道師は生きたまま火を付けられた。三日三晩燃え続けた苦行はそれまで絶えることのなかった微笑みすらも焼き尽くしたと、一部の民族の間で口承(こうしょう)されている。  あの日の業火が何百年何千年という時を経ても消えることなく、今もなお己を突き動かす。(すす)となって魂こびりついた人々の怨嗟(えんさ)が、導火線となって(ささや)くのだ。  ――この星に巣食う化け物共を、一匹残らず滅ぼせと。  * * * * * 『中央海嶺で海底火山爆発! UMI型が動きました!』  アトリエ内部にけたましく鳴り響くアラームに、オペレーターからの報告が重なる。  大型モニターに映し出されたのは、大津波に呑み込まれる海辺の街。 「移動地点はどこですか」 『ビンツです! ドイツリューゲン島、ビンツが津波に呑まれました!』  その地名を聞いたフランチェスカの脳裏に思い浮かんだのは、怪物のくせに愛を知ったかぶりする下品な海蛇の姿。  巨像は食欲以外の感情が芽生えたデイドリーマーズを特に好み、己の専用食とする。人間の女を愛する海蛇の元へUMI型が現れることを予見して監視を続けていたというのに、結局ビンツは津波に呑まれてしまった。 「急ぎドイツ支部に連絡を取って、現地へ向かわせください」  苛立ちをどうにか押し込めた抑揚のない声で指示するフランチェスカに、オペレーターの男は狼狽(うろた)えた声で返す。 『そ、それが……フィリップ支部長とユリウス・オルブライトのGPSが、津波が襲う直前にビンツで途絶えていまして……。加えて、情報転写式具現装置(リアライズ)による交戦記録も確認しています』  ――フィリップ・ライザーが、ビンツへ?  各地の情報を集約する統括部が狩るべきデイドリーマーズを見定めて討伐を指示し、初めてウォッチャーは動く。  だが今回、統括部は討伐要請を発令していない。フランチェスカは急ぎ二人の行動履歴を漁った。  交戦履歴があるということだが、武装ライセンスを保持したまま移動する場合は行動予定表を提出することを義務付けている。しかし案の定と言うべきか、二人がビンツへ赴く旨の報告はなかった。  フランチェスカは咄嗟(とっさ)に意識を電子化し、リューゲン島へ向かう駅の監視カメラのデータへダイレクトにアクセスする。直通のリニアが到着して乗客でごった返す映像が脳裏に流れる中、顔認証で瞬時に二人が見つかった。それから、ビンツの街中でエネミーアイズの男と接触する姿も。  そこへアメリカ本部から横やりのように通信が入った。  フランチェスカは(わずら)わしさをぶつけるよう、乱暴にシステムを繋ぐ。モニターには脂汗を垂らして目を血走らせる壮年の男が映し出された。 『どういうことだフランチェスカ、ドイツから直々に苦情が入ったぞ! 討伐要請は出したが巨像が来るなんて聞いていないと!』 「討伐要請など、こちらでは受理していません」 『あのバカ犬が急を要すると首相に直接取り合ったのだ! ビンツでヴァッサーガイストが起きていることをなぜお前が把握していない!?』  ――やはり、奴はあの海蛇を……。  そう思い立ったフランチェスカは、外れかけたボルトの一本が足元に落ちたような、妙な気分になった。  歯車がズレて不協和音を奏でる。なみなみとした器の中でどうにか整合性を保っていたどす黒い何かが一気に溢れ出し、理性を焼き尽くす。  これは、殺意だ。 『信用問題だぞ! ビンツの損害額をウチへ請求するとふっかけてきた! どう責任を取るんだ!』と唾を飛ばして怒鳴る男へ一瞥(いちべつ)もくれず、フランチェスカは通信を切った。  怪物の情報提供をする謝礼と称して国庫を食い物にしているような汚らしい男となど、言葉を交わす価値もない。腐った組織がどうなろうが、今はどうでもよかった。 「やってくれましたね、フィリップ・ライザー」  怪物を一匹残らず滅ぼす――その怨念だけに突き動かされて生きてきた。  その邪魔立てをするだけでなく、UMI型にみすみす大量の食事()を摂らせたあの忌々しい駄犬。八つ裂きにしても物足りない。 「フランチェスカ様……」  静かに憤怒を募らせる背後で、戸惑いの声が上がる。暗い部屋に灯るモニターの(わず)かな光を浴びて(きら)めくのは、フランス支部の花形の証である銀の髪。  声の方へゆっくり振り返ると、一糸纏(いっしまとわ)わぬ姿のクロエが寝台の上で震えていた。  細く白い腕が無意識に毛布を手繰(たぐ)り寄せるが、寒いわけではない。底知れぬサイボーグから発せられる肌を刺すような怒りを感じ、(おそ)れているのだ。  愛する弟のために喜んでその身を捧げるクロエ。地獄で差し伸べられた得体の知れない手に躊躇(ちゅうちょ)なく(つが)り心酔するのは、本当の神を知らないからだ。  そんな愚かで憐れな美しいクロエを、フランチェスカは自分でも意外なほど気に入っていた。弟のメンテナンスのたびに呼び出し、彼女の体温を楽しむくらいには。  だが、今はどうだろう。 「ノエル」 「は、い……」  いつものようにラストネームで呼び、張りのある極上の曲線美に吸い付く銀髪を一房手に取る。湖面に映った満月の瞳が不安に波打ち、(おの)が神を恐る恐る見上げた。  この世でたった一人の肉親である弟にだけ向けられる慈愛の黄金。それが自分を見つめる時に甘く(とろ)ける様を見るのが存外好ましかったのだと、フランチェスカは今になってようやく理解した。  整合性の器から溢れ出た殺意は、そんな些細(ささい)な情すら押し流してしまったが。 「ドイツ支部の地下に偏食種(グルメ)を捕えた研究施設があります。そこの鍵を開けてきなさい」 「え……」  クロエは何を命じられているのかわからず、無防備な声を上げる。  データの器の精度が足りず殺しきれない偏食種(グルメ)を収容する施設の話は聞いたことがあった。だがそんな場所の鍵を開けたら、飢えているであろう悪食(あくじき)たちが檻から放たれ、ドイツ支部が蹂躙(じゅうりん)されてしまう。 「ドイツ支部には逃げた狂犬を誘き寄せる餌となってもらいます」 「餌……? どうしてそんな……それに二人はもう津波に呑まれて――」  しかし、彼女には考える猶予すら許されなかった。  フランチェスカは津波の映像からアトリエ内部のカメラへ切り替える。映し出されたのは、定期メンテナンスを終えてスリープ状態に移行した弟の姿。姉と同じ銀の髪が、閉じられた(まぶた)の上に影を作る。  試験台で眠る彼の脳波を表示して、心を捨てた機械人形が呪いの言葉を吐いた。 「これを持って早く行きなさい。さもなくばM2をバックアップごと完全に消し去ります」  M2とは、フランチェスカがミシェルへ与えた作品名である。二番目のミシェル――かつての死闘により全身サイボーグ化した美しい少年が冠するには、余りに素っ気ない名前だ。  クロエは八年前に弟が肉体を失った現実を今も受け入れられずにいる。そんな彼女を気遣い誓って呼ばなかったその名を、フランチェスカは躊躇(ちゅうちょ)なく口にした。  解錠ウイルスが仕組まれたスティックメモリを差し出し、言う通りにしなければ弟を殺すと付け加えて。  紀元前から存在する呪いは機械の足を得て、今もなお独りでに歩き続けていた。  冷たい金属の身体に復讐の炎を(まと)い、周囲を燃やし尽くしていく。欠片も残さず、善悪の区別さえ忘れて――。
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