第67話 咎と産声

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第67話 咎と産声

 全ての出入り口を封鎖した講堂から西に隔壁を5枚挟んだ資料室。  両手を後ろに縛られて転がされた実行犯――クロエを、カタリナと数名のウォッチャーが見下ろす。 「好きなだけ言い訳してください、クロエ先輩。どんな理由があろうと、あなたを心の底から軽蔑します」  鋼の身体の内から沸き上がるような激情を押し込めた冷たい声色で、カタリナはそう告げた。  声に促され、美貌が緩慢に頭上を見上げる。雲がかり(よど)みきった月の瞳が銀の乱れた前髪から覗いた。 「何とでも言って。私はミシェルのためなら何だってするわ」  クロエの弟、ミシェル・デュ・ノエルは全身義体のサイボーグである。  8年前、姉との任務中に命を落とすような重傷を負い、義体技師でもあるフランチェスカが彼に機械の身体を与えた。  クロエは18歳になった今も当時のままの姿でいるミシェルにずっと負い目を感じていて、弟を異常なまでに庇護している。ミシェルこそ高潔なシルバーガトリングを狂わせる引き金であり、地雷だ。  フランチェスカはそれを上手く利用したのだろう。弟の命と引き換えに、クロエに拭いきれない咎を背負わせたのだ。 「UMI型が出現してからのフランチェスカ様は、まるで別人のようだった。すごく怒っていたわ。怖かった。……きっと何か事情があるのよ。あの人を狂わせるような何かを、フィリップとユリウスがしでかしたってことでしょう!? そのせいでミシェルが危険な目に遭ってるのに、私が断れるわけないじゃない!」  クロエは弟を蘇らせてくれたフランチェスカに酷く傾倒している節がある。愛人などという噂も出回っているが、真偽は不明だ。そもそもフランチェスカのプライベートなど誰も知らない。  得体の知れない者の傍へ招かれ、付与された特別感に酔い痴れて現実を見ようとしない。相手は人質を取って大量殺戮を指示した狂乱者なのに、未だに「フランチェスカ様」などと呼ぶクロエに、カタリナの苛立ちはピークに達した。 「……以前から愚かな人だと思っていましたが、ここまで救いようがないなんて」  タブレットサイズのガジェットを取り出すと、光学モニターを表示した。  そこに表示されたのは、クロエが侵入時に気絶させた警備員を生きたまま(むさぼ)る、おぞましい怪物たちの姿。檻から解き放たれてすぐの録画映像だ。  皮膚を食い破り肉を引き千切る生々しい音や飛び散る肉片に、濁った金の瞳が堪らず閉ざされる。  だが、カタリナはそれを許さなかった。 「目を逸らすな!」 「ッ……!」 「自分が何をしたのか、ちゃんと見ろ! ミシェルのためと言って戦うことを放棄して何を犠牲にしたのか、その目で見届けなさい! 被害者ぶるなんて絶対に許しません!」  俯きそうになるクロエの首元を掴んで、彼女が弱さで解き放ってしまった怪物たちの所業をまざまざと見せつけた。そうでないと、喰われた彼らが報われない。 「どうして立ち向かってくれなかったんですか……! 一人じゃどうにもならないって思ったのなら、どうして、助けてって言ってくれなかったんですか!」  カタリナの憤りに呼応するように、ミティアライトの瞳が激しく光り輝く。  逃げずに戦ってほしかった。一人では太刀打ちできないのなら、頼ってほしかった。  やりきれない思いに突き動かされた慟哭(どうこく)を真正面から浴びて、捕縛する際に殴打された頬を涙が伝う。 「この作戦で一番危険な役割は誰だと思いますか」 「それ、は……」 「檻を開ける人です。真っ先に食われてもおかしくないし、敵地で捕まって殺される可能性だってある。あなたが信じる神様は、あなたの大切な人の命を脅かして、あなたに『死んで来い』と言ったんです。それでもまだ祈り続けるんですか」 「……う、うぅぅッ……!」  無条件で敬愛する人物からこんな地獄へ送り込まれて。その神聖さすら感じる容姿も相まって、よりいっそう憐れにも見える。  それでも、彼女が犯した罪から目を背けてほしくなかった。 「大勢の命を犠牲にして生き残ったとしても、ミシェルはきっと悲しみます。そしてあなたにそんな業を背をわせてしまった自分を恨むでしょう。ミシェルが一番大切にしているものが何なのか、クロエ先輩だってわかってるはずじゃないですか」  偏り過ぎた愛情を鋼の身体で一身に受けながら、彼もまたクロエの幸せを誰よりも願っている。  自らの過ちとようやく向き合ったクロエの悲痛な涙声が資料室を濡らした。 「あなたをこのままフランチェスカの元へ帰すわけにはいきません」 「…………」 「戦いましょう、一緒に。それがあなたの償いになる。あたしたちと一緒にミシェルを取り戻すんです」 「私、は……」 「――カタリナ、講堂の監視カメラの映像を見てくれ!」  そこへ、外の通路に待機させていた研究班の男性が慌てて駆け込んできた。  白衣とメガネを乱した蒼白な顔で息をする様子に、瞬時に緊張が走る。  言われた通り、クロエに見せていた録画映像から講堂のリアルタイム映像へ切り替えた。  椅子や机を置いていないだだっ広い講堂は、最新鋭技術が集約された建物を建築する際、「伝統的な意匠を施した場所を一つ造りたい」という建築家の意見が丸っと反映されたロマネスク様式を誇る。小さな窓に厚い壁、それに半アーチ状の柱。そこだけ中世にタイムスリップしたような空間には、ご丁寧に十字架まで掲げられていた。残念なのは、主に欧州監視哨(おうしゅうかんししょう)が一堂に集まる大規模集会か、フィリップ発案のあほくさい行事にしか使われていないということ。  三階建ての建物の中心に位置し、吹き抜けになっている頭上には二階と三階の通路がぐるりと巡る。  そのさらに上の天窓から惜しみなく降り注ぐ陽の光が、講堂の異様な光景を照らし出した。  ――グチョ、ブチ、バリボリ、グポッ、ズチュゥッ。  耳障りで粘着質な音に、その場にいた者たちの冷や汗が止まらない。咀嚼音だ。だが講堂にいるのは偏食種(グルメ)のみ。ウォッチャーの死体は隔壁を閉じたそれ以前の通路に置き去りのはず。では、一体何を食べているのか。  刹那。カタリナたちが固唾を飲んで見ていた監視カメラへ、引き千切られた頭が飛んできた。  カメラにぬらりと貼りつくオレンジ色の縮れた髪は、嵐の夜に喫食種(テイスト)の魔群を引き連れて現れる『魔女ペルヒタ』と呼ばれた偏食種(グルメ)の物だ。  首だけになっても器の完成度が低く死にきれない彼女は、両の目玉をあらぬ方向へぐるりと向け、歯並びの悪い口から悪夢を見そうな呻き声を上げる。  すると、カメラに貼りついていたペルヒタの頭が何者かに剥がされた。  漆黒の毛に覆われた獣が、オレンジ色の髪を頭皮ごと食い千切る。ライ麦畑で捕獲したRIKU型の偏食種(グルメ)、ロッゲンヴォルフだ。6本の足を器用に使ってペルヒタの頭を抑え、鋭利な牙で食い潰していく。  ペルヒタの肉に夢中なロッゲンヴォルフだったが、不意に背後から真っ二つに切り裂かれた。食べている最中だった魔女の頭が腹から零れ、ごろりと転がる。獣の背後に佇む、片目だけを開けた死霊の吸血鬼・ナハツェーラーの仕業であった。  あらゆる位置の監視カメラを切り替えるカタリナの指は震えていた。どの映像を見ても、解き放たれた6匹の怪物が惨い食事を(たしな)んでいる。こんな事例は今まで聞いたことがない。 「共喰い、してる……」  クロエが蚊の鳴くような声で呆然と呟いた。涙で濡れた目元を見開き、血の気が引いた形の良い唇が震える。  デイドリーマーズの共食いなど、それまで確認されたことがない。長い期間ドイツ支部の地下に捕らわれ続けた怪物たちは、ある一定の境界線を超えた飢渇感が暴走してしまったのか。  そこら中で飛び散る肉片と血。木っ端微塵に磨り潰されようと死にきれない怪物たち。  このまま自滅してくれと願わずにはいられない。だがそんな希望的観測など許されるはずもなく。バラバラだった怪物たちはお互いを喰らうことでその力を集約し、新たな怪物を生み出そうとしていた。風船が膨らむように、質量を無視した巨体が作り上げられていく。  それから間もなく、おぞましい所業で生まれた巨大なが、支部全体を揺らすほどの破壊的な産声を上げた。
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