第73話 虹色の涙

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第73話 虹色の涙

 フィリップが肩に担いだジャベリンからミサイルが放たれた。  火薬の量は調整してあるとは言え、屋内で対戦車ミサイルを使うなど正気の沙汰ではない。ユリウスは当然反対したが、フィリップは折れなかった。  空っぽになった地下の檻へ辿り着くまでに、食べカスになった同胞たちの死体をいくつも通り過ぎた。怪物たちの食事はテーブルマナーなどあったものじゃない。多くの戦場に身を置いてきたフィリップとユリウスでさえも、これは人間の死に方ではないと言葉を失った。  血と内蔵の悪臭が充満した地下から上がり、真っ先に向かったのはサーバールーム。カタリナとの最後の通信で、そこへ撤退すると言っていたから。  だが厳重にロックされた自動ドアを支部長権限で解錠した先には、何が起きたのか推察することも難しいほどの赤の世界が広がっていた。  顔が判別できる死体の方が少ない。血の海を吸い上げた真紅の白衣を見つけて、理性が焼かれる。いくつになっても「クソガキ」と中指を立てるヤブ医者も、一ユーロの誤差にも口うるさい彼女も、もういない。フランチェスカの猟奇的な采配は、フィリップの飄々とした心を逆撫でるには十分だった。 「だからって、こんな狭い場所でランチャーぶっ放すなんてどうかしてますよ!」  マコトとタマキと共に一階壁裏で待機したユリウスが腹の底から怒鳴った。もちろん彼だってフィリップと同じ憤りを(くすぶ)らせている。だが下手したら相討ちになるような自殺行為だ。手放しで肯定するわけにはいかない。  撃ち逃げするも爆風に吹っ飛ばされた肢体が、壁に勢いよく叩きつけられた。火傷も負っているだろう。 「全く、いつも無茶ばかり……!」 「でも少しは効いたみたいだよ」  壁から身を乗り出したマコトに言われ、小銃のスコープでターゲットを覗く。左右非対称の翼は捥げ、炎を上げながら巨体が墜落した。その体積に見合った大きな地響きが鳴り、周囲には煙が舞う。 「奴の様子を見てくる。フィリップさんを頼んだ。タマキは俺と一緒に来い」  マコトが頷くのを待たず素早く飛び出したユリウスの後ろ姿を見送る。ここは彼らの戦場だ、マコトに主導権はない。ちらりとこちらを見上げるタマキに「行ってきな」と促して、吹っ飛ばされた死に急ぎの元へ駆けつけた。 「ねぇ、生きてる?」  瓦礫(がれき)の中でうつ伏せに転がるフィリップの肩を叩く。  気絶していたのか、編み込みされた紺色頭をぶるりと振って、大きく咳き込んだ。 「ゲホッ、ゴホ、ウヘェ゛〜ッ!! やば、一瞬死んでた」 「普通の人なら間違いなく死んでるけどね」  呆れたように言うマコトへ、にへらっとしたいつもの笑みが向けられる。この調子なら問題ないだろう。  一方、ピクリとも動かずにいる異様な巨体へ銃口を向けたまま、ユリウスはじりじりと怪物の周囲を一巡した。  粘着質な黒い血が流れる腹を覗き、その醜悪さに顔を(しか)める。爆発で抉れた下腹部からは、それまでに捕食された仲間たちの肉塊が(こぼ)れ出ていた。  情報転写式具現装置(リアライズ)で指定しない限り、消化器官は作られない。いくら肉を喰っても満足感は得られないはずだ。にもかかわらず食べずにはいられなかったのは、生存本能と言うべきか。彼らもまた同じ生き物であると、皮肉にも証明されたようだ。  緊張で口の中をカラカラにして照準を合わせていると、小さな影が動いた。天窓から差し込む夕日の角度から察するに、頭上だ。ユリウスは瞬時に振り向いて上階へ銃口を向け、そして目を見開く。 「――カタリナ」  力なくこちらを見下ろしていたのは、電動関節から火花を散らす相棒。  それ以上言葉を紡ぐことができないまま、怪物に背を向けて二階へ飛び上がった。 「せん、ぱい……」  声帯のスピーカーが雑音交じりの声を発する。立つこともままならないカタリナが、着地したユリウスを力なく見上げた。  彼女の姿を近くで見れば、背中の人工皮膚は無残に溶け、むき出しになった金属のボディにもあちこち亀裂が走っている。お気に入りと言っていた桃色のツインテールは半分以上焼き切れていた。 「何で、ここにいるんですか」 「説明は後だ。……生き残ったのはお前だけか?」 「三階に、クロエ先輩が。檻を開けたのは、彼女です」  予想だにしていなかった人物の名に、ユリウスは身体を強張らせる。  クロエにはここの檻を開ける理由がない。フランチェスカから差し向けられたことは容易に想像できる。彼女がこんな愚行を犯す理由はただ一つ――弟だ。 「わたし、がんばったんです」  普段は気が強く、敬語を使いながらも本当に尊敬しているのか怪しい言動を繰り返していたカタリナが、まるで懺悔するように言葉を紡ぐ。 「支部長と先輩がいなくて、ドクターも、ころされちゃいました。でもがんばったんです。ウイルスだってやっつけたんですよ。みんなを引き連れてここまで来たのに……だれも、守れませんでした。留守、任されたのに。ごめんなさい。せんぱい、しぶちょー、みんな……ごめん、なさい」  悲しい、虚しい、悔しい。カタリナが思い浮かべる感情のデータを吸い上げ、虹色のオイルが瞳から零れ落ちる。  頼れる相棒と上長の姿を見て、極限状態まで張り詰めていた緊張が一気に解けたのだろう。「ごめんなさい」と壊れかけたスピーカーで繰り返す姿に、ユリウスは手にした銃が震えるほど力を込める。 「カタリナ、それは違うよ」  二人が声の方を見やる。そこにはマコトに支えられて階段を上ってきたフィリップの姿があった。 「今回の件は成果を焦って浅慮な判断をしたボクの責任だ。だから謝らなくていい」 「しぶちょー……」 「みんなを率いてよく踏ん張ってくれたね、カタリナ。ありがとう。君がいてくれてよかった」  飾らない真っ直ぐな賛辞が、傷だらけの少女に惜しみなく染み渡った。暗く陰っていた瞳に再び光が灯る。いつだってカタリナに油を差してくれるのは、この二人だった。
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