第6話  存在証明写真

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第6話  存在証明写真

 食後のデザートまで食べ終え少しまったりしていたところに、アーティが「そう言えば」と口を開く。 「この前SNSに投稿された画像、先生は見ましたか?」  彼女は自分のガジェットをテーブルの上に置き、何もない空間に例の画像を映し出した。  荒廃した街に咲く巨大な花と、異質な巨像。  現実離れした光景に、ネット上では数々の考察が飛び交っている。 「すごい世界観ですよね。元の投稿は削除されちゃったんですけど、もう世界中に拡散されてますよ」 「へぇ……」 「なんか、マコト先生が撮る写真に似てるなぁって思ったんですよね」  そう語るアーティに、何か特別な意図があったわけではない。  ホワイトバランスやコントラスト、色温度など、写真を構成する色の管理には、その人の特徴がよく表れるものだ。  とはいえ、大衆が思う「こうあるべき」「これが美しい」という王道の基準は存在する。その範囲を超えたものを「個性」と言うか「邪道」と言うかは、受け取り手次第だ。  4色型色覚を持つアーティも特殊だが、一般人より1色少ない2色覚で生きるマコトの写真もまた、王道範囲の外にある。  去年の12月。  珍しく雪が積もったパリの片隅で、ひっそりと開かれていた小さな写真展――。  交通網が麻痺して大学の授業が中止になってしまったアーティは、たまたまその写真展に足を運んだ。そこで、マコトの作品に出会ったのだ。  ――白を白く、青いものはより青く。現実の色に近づけることが望ましく、美しい。  参考書や有名カメラマンのインタビューで多く散見される意見だ。  彼らの理論で言うなら、新鮮なトマトにグリーンの色被りをしているマコトの写真は、紛れもなく失敗作なのだろう。  明らかにカメラマン風なパリジャン二人が、「構図は魅力的なのに色相感覚が破綻(はたん)してる。しょせんはアマチュアだな」と評していた。  緑のトマト、ブラウンの信号機、黒いポスト――。  違和感は完成度を下げる。アーティ自身もよく言われる批評だ。まるで自分のことのように耳が痛む。  居たたまれなくなり立ち去ろうとした彼女は、ブースの窓から雪を眺める男に目を奪われた。  小さい頃に遊んだフランス人形のように整った容姿もそうだが、注目したのは足元だ。左右で色違いの靴下を履いている。同じような光景を、定期的に通う眼科でよく見かけた。そして首からぶら下がる関係者名札とキャプションボードを見比べて、悟ったのだ。  彼も、普通の人とは違う世界を切り取ろうとしている。  自分と、同じだ――。  もっちりとした猫を膝に乗せて彼女の話を黙って聞いていたマコトは、神秘的な瞳で宙に浮かび上がった画像を見つめる。 「まぁ、みんなCGかイラストだろうって言ってるんですけど……」 「もしかすると、本当に写真なのかもしれないよ」 「はい?」 「写真に写るのはこの世に存在することの証明だって、誰かが言ってた」 「証明……?」 「アーティはさ、自分が見ている世界を他人にも理解してほしいって思ったことはない?」  唐突な師匠の問いに、アーティは言葉を詰まらせた。  彼女が青いワンピースに見た黄色を、普通の人は否定する。  共有できない感覚は不和を招く。孤独を感じる場面も多い。  絵画や物語は創造だ。一方で、写真は客観的証明として成り立つ。光情報を焼き写すレンズは、カメラを構える者の思惑を汲まないからだ。  もし、アーティが見ている色を写真に残すことができれば――それは彼女が生きる世界の確かな証明になるだろう。 「……なんてね。変な質問してごめん」  どう答えたらいいのか言葉を探しあぐねる彼女の様子に、マコトはへらりと笑って誤魔化した。  それぞれがマイノリティを抱える二人にとってはセンシティブな話題だ。この場でこれ以上議論する必要もないだろう。  ガジェットのスイッチを切り、何もない空間に光学投影された画像が消えた。 「今日はもう遅いし、泊まっていけば?」 「……え゛?」  難しい話から一変。聞き間違いだろうか、お泊りのお誘いをされた気がする。  アーティは自分の耳がとうとう壊れたのかと不安になった。  一方マコトは何でもない顔をして、膝の上でくつろぐタマキの頬を撫でる。部屋には爆音のゴロゴロ音が鳴り響いた。 「も、もう一回言ってもらっていいですか?」 「だから、泊まってけば?」 「ヴァッ」  あまりの衝撃に、往年のジャパニーズ電気ネズミのような機械声が上がる。  全く想定していなかった緊急事態だ。  アーティは恋に積極的だが、同世代と比べたら身持ちは固い方である。お付き合いもしていない男女が同じ屋根の下で一夜を過ごすなんて、破廉恥(はれんち)すぎる。  だがここで断って「めんどくさい女」というレッテルを貼られたら……きっと、もう二度とマコトから誘われることはないだろう。  そんな強迫観念と自分の矜持(きょうじ)の間で板挟みになり、挙動不審に部屋中を練り歩く。  キッチン周りを五周し、ようやく決心した。 「ごめんなさい、やっぱり帰ります!」  よく言った、自分。欲望に負けない貞淑なパリジェンヌの(かがみ)だ。 「でも順序を踏んだ上でまた誘っていただければ、不肖アーティ、潔くマコト先生にこの身を捧げる覚悟です」 「……? ちょっと何言ってるのかよくわかんないけど、わかった。昼間の殺人犯がまだ捕まってないから危ないなって思ったんだけど。帰るなら送って行くよ」  嫌味なくらいに整った顔に、大きなクエスチョンマークが描かれる。  まさかの善意100パーセントのお誘いだった。  タマキをどかして上着を取りに行った後ろ姿を呆然と見送る。  妙な緊張から解放されたアーティは、へにゃりとソファに寝転んだ。 (深読みしすぎた私も悪いけど、思わせぶりな先生もどうなの!? 天然タラシって2045年にも実在するんだ……ハァ、すっきぃいいいいいいいいいい)  伸ばした手足をばたつかせ悶絶する少女の横で、至福の膝からどかされたタマキが不満げな声を上げる。  こんなことなら白々しく泊まっていけばよかった、と(よこしま)な考えを浮かべる頭を、漆黒のふわふわ尻尾が容赦なく叩いた。
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