第78話 シルバーガトリング

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第78話 シルバーガトリング

「ユリ、ウス……?」  震える声で呼びかけても、覆いかぶさる身体はピクリとも動かない。少し離れた場所から「ぐちょ、ずちゅぅ、ぐしゃっ」と(おぞ)ましい咀嚼音が聞こえた。クロエは恐る恐る目を向けて、絶句する。 「ぁ……ッ、ぁ、ぁあっ……!」  尻尾に食い千切られたユリウスの右腕を、口のようにぱっくり開いた背中が食んでいた。中から顔を覗かせる偏食種(グルメ)たちが、指の一本一本までしゃぶりつくすように舌を這わせる。  クロエは咄嗟(とっさ)にユリウスの下から這い出て、彼を仰向けにした。右腕と肩を繋ぐ上腕骨付近からごっそり食われている。赤い放物線が出血の勢いを物語った。 「そんな、どうして、いやよ、嫌、ユリウスッ……!」  食われるのは自分のはずだったのに。  また選択を間違えたと、クロエは蒼白の頬を涙で濡らす。 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……! ユリウスお願い、死なないで……!」  切断部を両手で圧迫して止血を試みるも、細い指の間から溢れる血は止まらない。真っ赤に染まる両手が震えて、嗚咽と涙が溢れる。  細い顎を伝って(まぶた)へ落ちた水滴の感覚に、緑葉の瞳がうっすらと開かれた。 「クロ、エ……無事、か……?」 「ッ、ユリウス……!」  右腕の感覚がない。身体中が痛くて、寒い。  朦朧とする意識の中で、悲痛な泣き声を頼りに残された左手を伸ばす。泣かれるのは苦手だ。特にこの癇癪女の涙は、昔から堪える。  地獄に咲く銀の百合だと、誰かが面白おかしく言っていた。  手折って捧げられる花は数あれど、汚物の深潭(しんたん)に根差してなお凛と美しく咲くから価値があるのだと。  欧州監視哨(おうしゅうかんししょう)で討伐数のトップ争いを繰り広げるユリウスとクロエが不仲であると思い込み、話の種にそういう話題を振られることが多い。手折ってみたいと影で嗤う下世話な輩に絡まれるたび、ユリウスがあれこれ理由をつけて丁重に殴り飛ばしていたことを、クロエは知らないだろう。  どうせなら日の当たる場所で笑っていてほしい。その方がずっと美しいに決まっている。 「何してる、さっさと逃げろ……」 「あんたを置いてなんて行けない、無理よ……!」 「じゃあ戦え」 「っ……!」 「戦え、クロエ」  立ち向かってほしい。死ぬことに逃げないでほしい。  真っ直ぐにそう見つめられ、クロエは嗚咽を飲み込んだ。彷徨(さまよ)う左手を取り、懺悔するように額をつけて握り込む。  そこへ情報更新(アップデート)を切り上げたフィリップが二階から降り立った。 「ユーリ、ナイスファイト!」 「フィリップ、さ……」 「でもこんな無茶する子に育てた覚えはありません! 帰ったらお説教だからね。だから、絶対死ぬな」  携帯用の包帯で切断部をきつく縛る上司の物言いに、ユリウスの口がへの字に曲がる。育児なんてされた覚えはないが、誰の背中を見て育ったと思ってやがる、と。 「クロエ先輩!」  間髪入れず、今度は二階からカタリナの声が響いた。顔を上げたクロエの眼前に、サイボーグの怪力が投じた豪速のトランクケースが迫る。 「ちょっ……!」  共に数多の戦場を渡った相棒を仰け反りながら受け止めたクロエに、少女の挑戦的な笑みが向けられた。 「いつもみたいにちゃちゃっとやっつけちゃってくださいよぉ! かっこつけてへばったユリウス先輩の分まで」  自分の罪と向き合い、共に戦ってくれることを信じて持ち込んだクロエの愛銃。今ならきっと、彼女の力になれる。 「…………」  クロエはミッシュ・マッシュ、トランクケース、そしてユリウスを順に見比べ、長く豊かな銀の睫毛(まつげ)を伏せた。(まぶた)の裏に思い浮かべるのは、最愛の弟。あの子はこの状況で自分に何と声をかけるだろう。  ――姉様、立ってください。  ――僕のお願い、叶えてくれますか?  かつて、ミシェルはクロエに二つの願い事をした。  一度目は今のような失意の戦場で、クロエに「戦え」と言って命を落とした。  二度目は、自分を機械の身体にした愚かな姉の幸せを願った。それ以外は望まないと。  ミシェルはずっと、クロエに「生きろ」と言っていたのだ。 「今ごろ気づくなんて、本当に馬鹿ね、私」  再び見開かれた黄金の瞳に、もう暗い淀みは浮かんでいなかった。  解錠したトランクケースから取り出したのは、多砲身式機関銃。徹底的に小型化した取り回しの良さと制圧力のバランスに優れた、クロエ専用のシルバーガトリングだ。  弾帯ベルトをクロスして肩にかけたクロエの元へ、様子を見守っていたマコトとタマキが合流する。 「あの融合体の中に隠れてる偏食種(グルメ)を炙り出してほしい。できる?」 「誰に向かって言ってるのよ、徹夜組WEB小説家」 「あれは違うんだってば」  二人は数奇な巡り合わせをしたノール・ヴィルパントの冬空に思いを馳せる。まさかこうして背中を預けて戦う日が訪れようとは、半年前までは思ってもみなかった。  しゃんと背筋が伸びたクロエは、止血が終わったユリウスへ目配せした。血溜まりの中で浅い息をする姿に、きゅっと眉根を寄せる。 「私のために死ぬなんて、絶対に許さないから」  相変わらず気の強い物言いだ。青白い頬を緩めたユリウスが薄く笑う。やはりクロエはこうでなければ。 「ならさっさと片付けてくれないか?」 「うるさいわね、わかってるわよ」  ユリウスの右腕をぺろりと平らげた背中の口がその大きさに見合った盛大なゲップを吐き、糸で縫ったように閉じていく。  クロエは食い意地の張った巨体に砲身を向けた。的が大きければ大きいほど、シルバーガトリングはその殲滅力を発揮する。 「ばらばらにしてあげる」  頼もしい発言が虚栄でないことを裏付けるように、モーターから吸い上げた電力で多砲身が高速回転する。トリガーを弾けば、銃声と絶叫の輪舞(ロンド)が始まった。
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