第86話 アンインストール

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第86話 アンインストール

 * * * * * 「Joyeux anniversaire(ジョワイユー ザーニヴェーセール)……地獄へようこそ、化け物め」  ミシェルの収音機に届いたのは、正確なメロディーを奏でるも感情が一切感じられない不気味な歌声。この場に不相応な誕生日を祝う馴染みの歌だ。  フランチェスカはハッキングしたドイツ支部の映像を眺めているのだろう。視覚を遮断されたミシェルが見ることは叶わないが、その中に姉の声の周波数を感知できることが、唯一の希望だった。  クロエは生きている。それだけでミシェルは逃げずに戦える。 「見なさい、M2」  突如、ミシェルの視覚モニターが復旧した。権限凍結が解除されたらしい。  だがすぐに別の衝撃に襲われる。フランチェスカが短い銀髪を鷲掴み、首の接合部品ごと引き千切ったのだ。  電気の火花が散るコードをだらんと垂らした首だけの状態でモニターの前に連れて行かれた。そこに映し出されていたのは、破裂した腹に下半身を埋めた真白の人影。 「半端な器に囚われた化け物が共喰いという大罪を犯して生まれた、新しい生命体です。人間を模しているのはそれだけ肉体を食らったということでしょう。奴らにとって、食事は学習ですから」  涎を垂らした子どもが無感動に虚空を見つめる姿が、ノイズの走った受像機に映る。巨大に膨れ上がった胎内に壊死した下半身が癒着して動けないようだ。  そんな異様な光景よりもゾッとしたのは、それまで感情の機敏など一切感じなかったフランチェスカの声色が明らかに上がったこと。フィリップへの的外れな怒りを忘れ去るほどの狂気じみた喜色を隠そうともしない。 「奴はただの未熟児。放置すればそのうち餓死するでしょう。ですが私が注目したいのはその生い立ちです。怪物どもは極限まで飢餓に陥ると共喰いに至るのですね。つまり食べる魂を失くせば奴らは勝手に殺し合うと。これはとても興味深い駆除方法です。なら人類に滅んでもらうのはどうでしょう。奴ら、きっと飢えに苦しみ抜いて死に絶えますよ。あぁ、視てみたい……!」  ――何を、言っているのだろう。  デイドリーマーズから人類を守ると言いながら、デイドリーマーズを屠るために人類を滅ぼそうなどと。支離滅裂な理論はもはや理解の範疇にない。狂っている。 「ノエルは奴らと共に逃げ果せたようですね。M2、あなたにも見せてあげたかった。自らの咎に耐えられず化け物の餌になろうとした、あの哀れな姿を。非常に美しかった。久しく心が踊りましたよ。あれが死んだら模した人形でも作りましょう。愛玩するには丁度良い」  最愛のクロエに対して並べられた侮蔑の数々は、ミシェルの琴線を弾くのに十分過ぎた。  光を取り戻した受像機の片隅に表示されたのは『同期100%』のコマンド。何重にも隠された予備のシステムを使い、ミシェルはフランチェスカのシステムと完全にシンクロしたのだ。  五年前にカタリナが密かに紹介してくれたあのは、とても良い仕事をしてくれた。 「ここへ来るたびにずっと考えていたんです。――どうしたら、あなたを殺せるのか」  フランチェスカはミシェルを動かすあらゆる権限を剥奪した。当然、疑似声帯も動かせない。  なのに、掴んだ首から聞こえるはずのない声がする。 「M2――ぐっ、ガァァアアアアアアアアア゛ア゛ッッ!!!」  気づいた時にはもう遅い。途端に意識が激しくショートして、掴んでいた首を壁に叩きつける。  様々な部品が散らばる床へごとりと落ちたミシェルは、仮面を掻きむしって発狂するフランチェスカをじっと見上げた。 「システム掌握。アンインストール、開始。……あなたのデータベースはとても強固で入り込む隙もなかったので、同期させてもらいました」  システムに不具合が生じた際に安全な場所から修復できるよう、サイボーグには必ず同期機能が備わっている。そこでミシェルは思い至った。外部から攻撃できないなら、同期して相討ちしてしまえばいい。 「ぁあッ、私のデータが、消えて……!?」 「あなたの言葉には人格がない。デイドリーマーズを倒そうとか、人間を守ろうとか……そんな話をしていても、いつだって他人事みたいに冷たく感じた」  火花を散らしながら崩れ落ちて藻掻く創造主を、自分の首を拾って立ち上がったミシェルが冷たく見下ろす。  フランチェスカが崩壊していくシステムを再構築しようとするも、同期による外部操作の優先度の方が高い。ミシェルが捨て身のアンインストールを中断することは勿論ない。 「バックアップに残されたあなたの過去を全て閲覧しました。……あなたは亡霊だ。他人の復讐という怨念が寄せ集まった機械の亡霊。人が作ったサイボーグですらないあなたに、今を生きる僕たちの痛みはわからない」 「ミ、シェル゛ゥ……! 貴様あああアアアア゛ア゛ア゛ア゛!」 「もういいでしょう、フランチェスカ。あなたは十分殺した。デイドリーマーズも、巨像から生み出された同胞も、狂ったあなたのことを理解しようとした友人さえも。これからのことは未来を生きる者たちに委ねて、あなたはもう壊れるべきだ」  バックアップの消去と同時に、ミシェルは世界中に散らばるウォッチャーの端末へ転送をかけていた。  秘匿されてきたデイドリーマーズの真実、そしてフランチェスカが今まで行って来た悪行の全てが記された記憶データを同志たちへ託す。今まで失われてきた数多の命への、せめてもの(はなむけ)だ。  そして。  この亡霊を連れて共に逝くことは、クロエがミシェルのために犯した罪の贖罪でもある。 「一緒に壊れましょう、フランチェスカ。この世界の異物はデイドリーマーズでもエネミーアイズでもなく、僕たちだ」
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