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第37話 花束をしまって
アンティークな調度品が揃う客間で、ユリウスは憤怒を募らせていた。
説明もなく自分たちを放置する館の主にも、ビンツがUMI型に襲われたと言うのに呑気にシャワーを借りている上司にも。
「着替えを貸してもらえるのはありがたいけどさぁ、ぴっちぴちだよ。センセー細すぎぃ」
裾からだいぶはみ出た長い足をカウチソファで組んだフィリップが、ひじ掛けを枕にして寝転ぶ。
シンプルな黒のタートルネックは筋肉の隆起を美しく描く。近くに立つユリウスも同じような格好だ。
普段から鍛えている二人と比べたら、マコトの身体は間違いなく貧相だろう。
だが、そんなことはどうでもいい。
「日本支部へ協力を求めて、一刻も早くドイツへ戻るべきです。またUMI型が海面に現れでもしたら……」
苛立ちを抑えきれない爪先が、何度も絨毯を叩く。
多くを語らない家主の代わりに家政婦を問いただしたところ、ここが日本ということだけはわかった(思いのほか簡単に、しかも面倒くさそうに口を割った)。
大津波を前にした車内がなぜ日本に繋がるのか、考えても答えが出ない謎は一旦避けておく。
問題はビンツに現れたUMI型暴食種。これではトーキョーの二の舞だ。
だが、どういうわけかフィリップの腰は重い。
「亜細亜監視哨の中でも日本はちょっと特殊でね。彼らはオンミョージってやつの系譜で、ヴィジブル・コンダクターとはそもそも成り立ちが違うんだ。一応名は連ねてるけど、全くの別組織だと思った方がいい。というか毛嫌いされてるし! やだねぇ、縄張り争いとか派閥争いとかさぁ~」
「そんなこと言ったって、ドイツの危機には変わりないでしょう!」
繊細な装飾が施された木製フレームを掴んで感情的に迫るユリウス。
冷静さを欠いた忠犬を一瞥するが、主人は動かない。いや、留まることを選択した。
眼鏡越しのアレキサンドライトには、いつもの好奇心とは別の光が浮かんでいる。
「リューゲン島の人口は7万人くらいだったかなぁ。それだけの魂を入れ食いしたUMI型が繁殖期に入れば、北ドイツは怪物たちのユートピアになっちゃうねぇ」
「何を呑気に……!」
「だからこそ、ここで情報を一滴残らず搾り取る」
狂犬は目先の惨状ではなく、未来を見据えていた。
いとも容易く刈り取られた命の上を歩いて行かなければならない。こんな悲劇は、どこかで終わらせる必要がある。
そんな中、長らく探し求めてきた糸口が眼前に垂らされた。二人が今しなければならいのは、海へ花束を手向けることではない。それ以上の餞になると信じて、成すべきことを成す。
ユリウスはフィリップの考えていることを察したのか、憤りを胸の内へどうにか鎮めた。
「……わかりましたよ、あんたに従います」
「ヨシヨシ、いい子~♡」
「気色悪い」
ソファから頭へ伸ばされた手を鬱陶しそうに払い、通信ガジェットを取り出す。
「日本支部は無理でも、せめてカタリナに連絡を……」
「ユーリ、電源は入れちゃだめだ」
明朗な口調は一変し、いつになく張り詰めた声で諭された。
有無を言わさぬ威圧に気圧された指が、ボタンから離れる。
「生存報告は穴蔵の蛇がどう動くのかを見届けてからでも遅くはないさ。カタリナにはジャパン土産をたんまりプレゼントして許してもらおう」
電源を入れた瞬間にGPSが拾われ、二人の生存と所在を組織が立所に掴むだろう。フィリップの警戒する蛇がビンツの悪夢を放置していた統括部であるならば、二人の退路は断たれたと言ってもいい。
研究対象を奪われた彼らの怒れる矛先がどこへ向くのか――考えたくはないが、用心しないと背中から撃たれるかもしれない。
どうかそうなってくれるなと願ってしまう自分の甘さが、ユリウスは嫌いだ。
「こういう時のためにカタリナには緊急時の極秘回線を渡してある。連絡を寄こさないってことは、ボクらを信じてUMI型の対応を踏ん張ってくれてるってことでしょ」
「だといいですけど……。それで、どうします? 先にアネットと家政婦を縛り上げますか?」
「やだなぁユーリってば。そんな野蛮なことするわけないじゃーん」
濃縮麻酔を飲ませ工具を片手に歯医者さんごっこで拷問をしていた軽薄な口が歪に笑う。
ユリウスは薄ら寒さを覚えたが、虎穴に迷い込んだ自分たちの立場も嫌と言うほど理解していた。
相手にとってはホームタウン、というより自宅。こちらの武器は最後に所持していたハンドガンと予備のドローンが1機だけ。寝首を掻くにしてもあまりに心許ない。それを知っているからマコトも二人を放置している。
「不死に暴力は無意味だ。彼には惜しむ命なんてないんだから。それにアネット嬢はセンセーの地雷だよ。踏み抜いたら二度と口を開いてくれない」
「じゃあどうやって情報を引き出すんです?」
「そうだねぇ……おともだち大作戦とかどう?」
友だち。それは効果的かつ非合理な盟約。ヴィジブル・コンダクターのような排他的な秘密組織が最も苦手とする手段だ。
あひゃひゃと笑う上司を殴り飛ばしたい衝動を堪え、生真面目な部下は傷跡が残る額を押さえる。そもそも友だちなんていたことがあるのだろうか、この狂犬に。
するとそこへ扉をノックしたララが現れた。背後には白いシャツワンピースに着替えたアーティの姿もある。
「フィリップ様、ユリウス様。夕食のご用意が整いました。ご案内します」
「待ってましたー! 腹ペコだったんだよねぇ!」
「よくこの状況で普通に食べようと思えますね」
何が入っているかわかったものじゃないのに。
言葉にこそしなかったが、呆れたようにユリウスが言う。
ララは彼の目の動き、心拍、体温、ストレス値……そういったデータを瞬時に収集・解析して、最適解を導き出した。
「ユリウス様は食べ物の好き嫌いが激しいようですね。でも残したらどうなるか、おわかりでしょう?」
女性らしい華奢な手が、金属のドアノブをぐしゃりと握り潰す。恐ろしいほど涼しい表情で。
せっかく作ってやったのに、次はお前の頭がこうだぞ──そう言われている気がした。
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