第38話 暗色のフルコース

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第38話 暗色のフルコース

 白い壁の一部に貼られたシックなグリーンのアクセントクロスを、ステインが塗られた色濃い柱が彩る。庭を眺められる大きな出窓からは、日中であれば藤のパーゴラを楽しめるだろう。  和洋折衷なインテリアが品よく並ぶダイニングで、館の主が長の席に着く。  向かって右角にはアーティが、その対面にはフィリップとユリウスが並んだ。  6人掛けの大きなテーブルに用意された銀のカトラリーは4組。  ヒューマノイドであるララは食事が不要だとしても、この屋敷にはもう一人の住人がいるはずだ。 「マコト先生、あの……お、奥様の夕食は……?」 「訳あってベッドから起き上がれないんだ。だから気にしないで」 「そうなんですか……。じゃあなおさら先生が(そば)にいてあげた方が……」 「後でちゃんと時間を作るから、大丈夫」  口調こそ穏やかだが、踏み込むことを許されない壁を感じる。  パートナーをとことん誰かに会わせたくないのだろうか。亀裂が入った恋心に爪を立てられたような、そんな感傷を覚えた。  首元のよれた白いTシャツにグレーのオーバーサイズカーディガン。緩めのスウェットから覗く細い足首。見慣れた姿だが、まるで別人のようにも感じる。  思えば、アーティはマコトという人物についてほとんど知らない。誕生日も、よく聴く音楽も、好きな言葉も。そもそもの謎が多すぎて失念してしまっていた。  そんな当たり前のことすら満足に知らないまま、何を理解したつもりでいたのだろう。この服だって、きっと……。  人知れず傷心したアーティは、ララが用意してくれたシャツワンピースを膝の上で握り締める。  そんなセンチメンタルな空気などお構いなしに、軽佻浮薄(けいちょうふはく)な口が開かれた。 「命を助けてもらった上に夕飯までご馳走になるなんて、なんか悪いねぇ、センセー」 「そっちが勝手について来たんだろ」 「またまたぁ、ツレないな~。一緒に歯医者さんごっこした仲じゃーん」 「今度はあんたの浮ついた歯を一本残らず抜歯してやろうか」 「おお、こっわ~」  口元を両手で押さえて白々しく怯える様子に、作り物めいた美しい双眸(そうぼう)が細まる。そんな苛立ちが日常茶飯事な忠犬は、整った仏頂面を崩さない。  鈴蘭のガラスシェードが淡く照らす下で男性陣が煽り合いをする中、アーティは場を収めようと必死に話題を探した。 「ここは先生の家なんですよね? 帰って来たのは久々みたいですけど、いつぶりなんです?」 「あー……1週間ぶりくらいかなぁ」 「へ? だってパリに……あ」  彼女の脳裏には、内開きの扉から世界中へ繋がる鍵が思い浮かんだ。  丸くなった大きな瞳に「正解」と柔らかな声色が語りかける。 「あそこはただの仮住まいで、生活の拠点はこっち。パリの他にもジョージアとかホーチミンにも部屋を借りてたかな。覚えきれてないけど」  アーティの鬼電(モーニングコール)をここで受け取ったマコトは、起き抜けにトラベルガチャをしていたのだろう。どうりでアパルトマンのドアをいくらノックしても無反応だったわけだ。 「ねーねー、二人だけで会話しないでよぉ。どうやってビンツから日本まで飛んできたのか、ボクらにも教えてほしいなぁ。ジャパニーズ青タヌキの秘密道具でもあるまいし」 「……そういう秘密道具を作るのが得意な人がいたんだ」  マコトにとっては何気ない会話の一部だった。  だがその一言で、フィリップの胡散臭(うさんくさ)い薄ら笑いがするりと抜け落ちる。まるで鎧が紐解かれたように。  出会ってから今まで一度も隙を見せなかった狂犬の意外なほど無防備な反応に、マコトは(わず)かに目を見開く。  妙な空気が流れたところで、ララが食事を運んできた。  大きな車輪のついたキッチンワゴンから、温かなディッシュを手際よく並べる。 「お話は食事の後にどうぞ。冷ましたらぶち殺します」  そんな恐ろしい挨拶から始まった晩餐(ばんさん)は、怠惰な家政婦が「ああ、面倒くさい」とぼやいていたのが嘘のように、文句なしのフルコースディナーだった。  ワンスプーンのアミューズから始まり、前菜、スープ、魚料理と順番に出されていく。どれも辺鄙(へんぴ)な館で作ったとは思えないくらいの一品だ。後方から放たれる謎のプレッシャーだけは残念だったが。  それからしばらくして、デザートのスフレパンケーキまでどうにか生き残れた。アーティは肩の荷が下りたように深く息を吸う。  すると、館主人がコーヒーサーバーを持って控えていたララへ密かに目配せした。お代わりの合図ではない。  彼女はいけ好かない主に舌打ちをしたいのをぐっと堪え、アーティに近づく。 「アネット様、お口に合いましたか?」 「は、はい! すっごく美味しかったです!」  パンケーキをコーヒーで流し込んだアーティは、慌てて背後を振り返る。緊張しすぎて味はよく覚えていないなんて、口が裂けても言えない。 「それは良かった。では、僭越(せんえつ)ながら一つお願いしたいことがありまして」 「なんです?」 「後片付けを手伝っていただけませんか? 朝食の仕込みもあって、手が回らないのです」  申し訳なさそうに言うララの影に、マコトの思惑が透けて見える。  どれだけ怠惰でも、家政ヒューマノイドが客人の手を借りるはずがない。主人の命令がない限りは。 (どれだけ理解したいと願っても、結局私は部外者なんだ)  そう思うと、また目の奥が痛みで(うず)いた気がした。 「……もちろん! 私もお手伝いしようと思ってたんです。ララさん、行きましょう!」  空元気で席を立ったアーティとララの後ろ姿を見送ったユリウスは、首謀者に剣呑(けんのん)な視線を向けて眉をひそめる。 「……いいのか、あんなあからさまに遠ざけて」 「簡単に殺そうとしてたくせに、今は心配なんだ?」  その指摘で思い出すのは、パリでの逃避行。  アーティの額へ押しつけた銃口の感覚を思い出し、緑葉の視線が手のひらへ落ちる。  何も知らないから簡単に引き金に指をかけられた。人類が白昼夢から目覚めるために必要な尊い犠牲だと決めつけて。なのに今は、傷ついた少女の横顔に憐れみを覚えている。 「相互理解の放棄は命の重さを軽くする。それに人は知らないことを恐れるくせに、知るための努力が嫌いだ。変化を怖がって、自分とは違う何かを受け入れようとしない」  白陶器のカップに注がれたコーヒーを見つめる色違いの宝石は、どこまでも冷ややかだ。  彼の話はユリウスとアーティのことでもあり、人とデイドリーマーズの関係にも聞こえた。だが、ユリウスも確固たる信念のもとで引き金を引いている。 「……それは全てを知っている奴の傲慢(ごうまん)だ。不条理に抗うことなく、一方的に搾取される現状を享受(きょうじゅ)する理由にはならない」  人間はデイドリーマーズという未知の存在を前にすると、圧倒的弱者になる。  本能だけで生きる動物なら自然の摂理として受け入れられたのかもしれない。だが、人間には知性と理性がある。拒絶反応が起きるのは当然だ。  全てを知りながらけして人類の側に立とうとしないエネミーアイズがどんな反応をするのか。額に薄っすらと汗を滲ませるユリウスに返ってきたのは「それもそうか」という、拍子抜けするほどあっけない一言。  真意の読めない美貌で値踏みするように見つめられ、ぞわりと肌が粟立(あわだ)つ。 「成り行きで連れて来たけど、あんたたちのことをどうすべきか、ずっと考えてたんだ」  処分して裏山に捨てるのは簡単だ。  その辺をうろついているデイドリーマーズの餌にしてもいいだろう。  だが、それでは何も変わらないこともわかっている。 「二人は俺に聞きたいことが山ほどある。俺もそれに答えるのは(やぶさ)かじゃない」 「なら……!」 「ただし、情報を組織で秘匿するならこの話はナシだ。目玉をくり抜いてからブランデンブルク門まで丁重に送ってあげるよ」  人類の希望(情報源)からの要求は、ヴィジブル・コンダクターがひた隠しにしてきた秘密を開示することに他ならない。  突拍子もない条件を出され、ユリウスは思わず立ち上がった。 「デイドリーマーズの存在を一般人にも周知させろと!? それこそ世界中が混乱に陥る!」 「この世界に生きる全ての存在に、真実を知る権利がある。知識の独占は大罪なんだろ? これじゃあどっちがエネミーアイズなんだかわからないね」  息巻く若いウォッチャーを横目に、マコトは皮肉を言いながらデザート用のフォークとナイフを手にした。 「変化は痛みを伴うものだよ。俺は秘密を教えて、そっちは秘密を秘密のままにしない。お互い身を切ってフェアな話し合いにしようよ。えっと……おともだち大作戦、だっけ? 俺も乗ってみようかな」  どうやら屋敷内の会話は筒抜けらしい。  それまで不自然なくらいに静かだったフィリップが「全然フェアじゃないじゃーん」と、疲れ気味に笑う。 「まぁ、考えてみてよ。そんなにゆっくりは待てないけど。――それとアーティに指一本でも触れたら……わかってるよね?」  フォークを厚みのあるスフレパンケーキに突き刺し、意味深なナイフで切り裂く。空気に触れた断面はシュワシュワと音を立てて崩れていった。  肌を刺すように研ぎ澄まされた殺意を向けられ、少女を退室させた理由を悟る。それは明らかに人ならざる者の風格だった。 「センセー、さては友だちいないでしょ」 「いたよ、」 「奇遇だねぇ、
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