三、艶花

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 暖簾(のれん)に腕押し、(ぬか)に釘、踏鞴(たたら)を踏むとはこの事か。  女が荒ぶる蛇神で、そんな女が「うまそうじゃ」と言えば、巫女は意を決し、その身を供物として捧げるは必然であろう。頭から一呑みか、将又(はたまた)足の先から(かじ)られるか。覚悟を決めた巫女であるが、矢張(やは)り痛みは恐ろしい。否、恐ろしいのは痛みに屈して喰われるのを拒む事か。だが、それも要らぬ懸念(けねん)というもので、女は巫女を撫でるばかりで、一向に食べる様子を見せはしない。唯、時折舌舐(したなめず)りをしては、口端(くちは)から(よだれ)を垂らし、猫の手で顔を拭い、(ぬめ)る袖を巧みに隠し、にんまり、と不気味な笑みで、抱き寄せた巫女の旋毛(つむじ)を舌で愛撫する。  巫女はおずおずと瞳を開き、女の顔を(うかが)い見るが、その時は女も妖しい気を(おくび)にも出さず、ともすれば年の離れた姉妹が仲睦まじく身を寄せているかとさえ思える程である。 「ツクモ様、何故私を御召しになると仰らないのですか? 私に何か至らぬ点が?」 「否、そう心配せずとも良い。元より我は人など()まん」 「ですが先程『うまそうじゃ』と確かに――」 「言葉の綾じゃ」  女が上唇を舐める様を、巫女は得心の行かぬ顔で見上げた。が、数瞬の後、巫女が顔を赤らめ(うつむ)いては、手指をモジモジと絡めさせ、「やはり御召しになるとはそういう意味で……」と、なんとも耳年増なことを言う。  女は一瞬呆けたが、すぐににんまり(・・・・)、チロチロと舌を出しては、含羞(はにか)む巫女に顔を寄せ、その細長い舌で巫女の耳穴を穿(ほじく)った。 「ひうん!」 「ヒヒヒヒ、良い声で鳴く娘子じゃ。ほれ、もそっと、もそっと力を抜いて我に身を任せい」 「嗚呼、私は如何なってしまうのでしょう」  巫女は狼狽(ろうばい)半分諦念(ていねん)半分といった具合で、女の腕の中で虚脱の(てい)。巫女の両の眼は閉じてはいるが、長く艶やかな睫毛(まつげ)は細かく震え、女が身動ぎするたびに、か細い首からコク……と嚥下(えんげ)の音が鳴る。  女、まだ陽も高いというに、昨晩の続きとばかりに巫女を()()(こす)る。そして、ほう、と息を吐いては、卵を丸呑みするかの如き相貌(そうぼう)で、ぱっくりと口を開いては、巫女の顳顬(こめかみ)から伸びる黒髪を、舌で絡め取り舐めしゃぶる。 「ツクモ様? いったいなにを……」 「ヒヒヒヒ、美味じゃ、()甘葛(アマヅラ)じゃ」 「は、恥ずかしゅう御座います。まだ陽も高いというのに」 「(しか)り、まだ(よい)ではないが、まあよいではないか、よいではないか」 「そんなご無体な……」  女、巫女の眼前に顔を戻し、見せびらかしながら口に含んだ黒髪を、ずるりと吐き出しては再び(すす)り、口中でムグムグと(もてあそ)ぶ。 「お止めくださいツクモ様。そのような破廉恥な行いは――」 「何を異な事を。我に仕えるお主を愛でるが破廉恥と?  これぞ吮疽之仁(せんそのじん)じゃ。もしやお主、我が(ねじ)くれた性根で、お主に意地の悪い事をしてると申すか」 「お許しください。そのようなことはけっして――」 「申せ。お主の偽らざる思いを」  女、怒気を含んだ言の葉を放ち、鋭き視線で巫女を射貫く。だが口端はヒクヒクと、笑みを堪えるのに必死な様子。  巫女、知らずの内に死線を彷徨い、窮地に立たされ、逃れること叶わず、と、思考を巡らしたかと思えば、両の手で自身の顔を覆い隠す。  確かに巫女は(さと)かろう、だが年端もいかぬ巫女にとって、女の怒声は例え虚飾に(まみ)れた、些かの声音であったとしても恐ろしい。ましてや女は巫女の仕える神である。巫女は顔を閉ざし、目を閉ざし、口を閉ざして現世からの逃避とばかりに固まる。それまさに、天岩戸(あまのいわと)隠れの如し。 「のうコイや、我はお主を愛しく思うておるからこそ、こうしておるのじゃ」  女は巫女の耳元で、鼻に掛かる声で囁いては、スルスルと手を紅色の袴の中へと伸ばし、巫女のその滑らかなる下肢を必要に撫で付ける。 「っ……」 「のうコイや、我の手業(てわざ)は見事なものであろ? ほれ、申してみよ」 「っ……」  巫女は小さく震えるばかりで応えようとせず。  女は暫く巫女の肌を堪能していたが、よもや巫女は本当に拒んでいるのかと、不安の影が女の背に漸近(ぜんきん)する。  荒神と畏れられ、そして人の世から遠ざかり、永く独りで眠っていた女にとって、それは惨憺(さんさん)たることに他ならぬもので、これより先のことをすれば、巫女は山を下りるのでは、と考え至り、腕を解いては巫女をそっと床に寝せ、ショボくれてそのまま森へと帰っていった。 「……ほっ」  巫女は安堵の息を吐き、覆った手を解き起き上がる。 「破廉恥なのはいけないと思います」  今し方、女にされたことを思い返す巫女。火照りを覚えた部分に指を伸ばす。 「……っ、こんな……」  (すそ)(まく)(ふく)(はぎ)から内腿(うちもも)と指を滑らせ、自身の口から漏れる声の恥ずかしさのあまり、袖の端を小さく噛んで、身悶える巫女の姿は禁忌の艶やかさを放っており、女がこの場に居合わせたなら、歓喜のあまり悶絶躄地(もんぜつびゃくじ)の様相を晒したであろう。  暫時、巫女は「なりません……なりません……」といった具合に自身を叱責しながらも、女の触った部分をなぞるように触れ撫でては、恍惚(こうこつ)此処(ここ)に極まれり、といった相貌(そうぼう)で、仕舞(しま)いに衣を肌蹴(はだけ)ては、口端から一滴(ひとしずく)の涎を垂らし、熱に浮かされながら何度も女の名を呼んだ。  巫女が落ち着きを取り戻したのはそれから一刻後のことである。 「はあ、なんだかとても疲れました」  巫女は食べ損ねた昼餉(ひるげ)の替わりに、灰汁を抜いて煮立てただけの団栗を咀嚼し溜め息を吐く。 「……しかしツクモ様、蛇の神成(かみな)りだというのに名前をお呼びしても、あのような……破廉恥な行いをお止めになってはくれませんでした」  女の顔を思いだし、巫女は頬を朱色に染める。しかし数瞬の(のち)、巫女は謹厳(きんげん)表情(かお)になる。 「言霊(ことだま)で縛れないとすると……ツクモ様は高位な神格をお持ちのお方なのでしょうか? いえ……、もしかしたらツクモという名も真の名ではないのかもしれません。現に先代様は『このお山には瀧登之氷雨毘売様が棲んで居られる』と申してましたし……」  巫女は(あご)に手をやり思索に更けるが、女の名を考えれば考えるほど、女の顔が如実に浮かび上がり、頭蓋の内を満たしていく。  墨に浸した筆の如き黒髪に、時折妖しく光る切れ長の目は凛として、されど所作はしゃなりしゃなりと、見る者の目を引き寄せては、ねっとりと絡め取っては離さず、チロリと伸ばした舌先で、上唇を舐め回すその様の艶やかなること。 「いけませんね、真名を知られずともこうなのに、もし知られて言霊を込めて呼ばれようものなら……」  巫女は胸の高鳴りを抑えつけるように自身の胸に手をやる。  柔らかく、それでいて力強く包み込む女の腕、耳に広がる猫撫声、見上げた先での穏やかに頬笑む女の顔。年の離れた姉と思えば、体をまさぐり接吻を落とすのも、多少の猫可愛がりと思えるが、女のそれは巫女にとっては些か以上に破廉恥で、真面目が性根の巫女は、先代より授かった教え通り、清く正しく神に仕える事を是としていた。故に、女に真名を明かすのを躊躇しているのだ。  人付き合いも慕いあう者同士が交接することも知らずに過ごした巫女にとって、女の愛情表現は些か以上に刺激が強すぎる。 「爾汝(じじょ)の交わり大いに結構。ですが破廉恥なのは頂けません」  しゃんと背を伸ばし、真面目な顔で、凛々しく声を上げる巫女。そう告げたにも関わらず、数瞬経てば女の触れた部分に手を伸ばす。巫女の内に隠れた素養が芽吹いた瞬間であった。  一方、ショボくれかえった女はといえば、山中をのらくらと歩いては、時折立ち止まって大きな溜め息。大木に寄り掛かったと思えば、押し退け根刮(ねこそ)ぎ倒す有り様。 「はぁ、人の子に好かれたいばかりに臆して逃げるとは……我ながら情けない」  女は倒した大木に腰を下ろすと、ガックリと肩を下ろし項垂れる。 「じゃがのう、あの時のような過誤(かご)を再び犯す気はない」  女は悔恨とも決心とも取れる言葉を口にして顔を上げる。その眼前には緑翠色(りょくすいいろ)湖沼(こしょう)引切(ひっき)り無しに小魚が湖面から飛び出しては、鱗を日光に綺羅めかせ、ちゃぷ、と波紋を描き影となって消えていく。女はその様子を見て大層喜んだ。 「急いては事を仕損じる、かのう」  女は尻に敷いた大木の幹を撫でては思索に耽る。その手付きは巫女の肢体を撫でる時と同じ所作。 「この木(これ)のように固く凸凹(でこぼこ)しておったの。のう、コイや」  大方、痩せぎすな巫女を肥えさせ喰らおう等と考えているのであろう。女は舌舐りをしては不敵に笑う。  それから女は忍びながら、何度か湖沼(ここ)と巫女の住む小屋とを往き来して、目印になる石を、目立たぬ所に置いては満足そうに頷いた。  女が作業を終えたのは、山肌は橙色に染まり、影法師が伸びきった、逢魔ヶ刻の事である。 「さあて、明日が楽しみじゃ。のう、コイよ。ヒヒヒヒ……」  女の眼は赤味を帯びて、口は耳までパックリと、長き髪は風に揺れる柳の様にザワザワと、青白く滑らかな女の肌から、沸々と鱗が浮かび上がる。 「楽しみじゃのう、まっこと楽しみじゃ」  女の体はいつしか熊すら一呑みにする程の、白い大蛇となっていた。
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