四、応酬

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 日輪沈み陽光(すぼ)まりて闇(きた)る。   秋季天日早く陰りしは誰そ彼。  巫女は囲炉裏に火を灯し、書を開いては、ぼやけ浮かぶ文字を拙く目で追い溜め息を吐く。 「はあ、やはりこれにも載ってはいませんでしたか」  先代の記した書から、巫女は女の真名を探り当てようとしていたが叶わず。胸中に徒労の疲れを抱きつつ書を閉じる。薄闇の中の読書では目も疲れよう。(しき)りに目を(またた)かせ、椀に入った湯を(すす)る。 「先代様から引き継いだ物はこれで全て。わかったことはツクモ様がそう名乗ったはこの地に来る以前の話ということだけ」  巫女は脹ら脛を撫で擦る。如何(どう)にも女を思い出せば愛撫された所がそのたび(うず)く。巫女の小さき胸に芽吹きしは粋筋(いきすじ)慕情(ぼじょう)か。  元より巫女は引け目に成りがちの気性で、村の男衆にも特段気だての荒いのや、騒がしいのがいたものだから、見掛けた途端に物の陰に隠れては、野良猫の如き用心深さで窺う始末。そんな事であったから、巫女は女の深沈たる振舞いに感興を(そそ)られたのであろう。  ソワソワと身を揺すり、辺りを窺い見ては、袖を口元に持ってきて、半目で視線を逸らしつつ、袴を捲り上げ、火照った箇所へ指を伸ばす。脛から内腿に掛けて掌を行きつ戻りつさせては、瞳を蕩けさせ、だらしなく開けた口中で舌を転がす。 「はあ……ツクモ様……罪な御方。こんな手付きで……脚を触るなど……なんと破廉恥なことでしょう」  女を真似(まね)て上唇を舐めながら、自身の下肢を撫でる巫女。純真無垢故の清廉さは何処へやら、桜梅桃李(おうばいとうり)の色香を漂わせつつ、撫で(ふけ)る様は初々しくも、それが艶やかさに拍車を掛ける。 「私は今まで、ずうっと先代様の教えに従ってきましたのに……こんな悪いことを私に教えて……いけないおひと……」  しかし女も散々な言われようである。  確かに女は妖しく笑いながら巫女を撫で擦り、あわよくばそのまま()()へ連れて行こうとした節がある。が、手籠めにしようとした訳ではなかろう。しかし巫女の口振りでは、自分が破廉恥な行いをしているのは全て女の所為(せゐ )だと言わんばかり。  ()もありなん。巫女の内に眠りしは、隠匿せし色情魔(ムッツリスケベ)(やぶ)(つつ)けばそこから躍り出るのは色情に狂う(じゃ)か鬼か。  巫女も自身の隠れたる気性を本能的に悟れていればこそ、真実から目を背け、女が悪いと考えてしまうのだ。  知らぬ事とはいえ女も悪い。幾ら自身に仕える巫女とて、相手は(よわい)十二になるかどうかの(わらし)。衣の内に手を突っ込んで、鋭敏な所を撫でるなぞ、倒錯(とうさく)なる思いを携えた者と(そし)りを受けても仕方のない事ではあるが、女の身の上を(かんが)みれば、(いささ)(あわ)れの情が浮かぶ。  然りとて女の事情など、巫女にとっては皆目検討も着かぬのは自明之理(じめいのり)。「なりません、なりません」と愚痴ちる巫女は、悪怯(わるび)れる様子もなく、顔を蕩けさせ、自身を撫で回すのに執心し、(とこ)に着いたのは草木も眠る丑三つ刻であった。  秋晴れの空を(すすき)が仰ぐ。 「()()くも(あや)(かしこ)祓殿(はらいど)大神等(おおかみたち)  諸々の(つみ)(とが)(けがれ)禍事(まがごと)(はら)(たま)へ清め(たま)へと(かしこ)(かしこ)みも(もう)す」  今日も今日とて巫女は日課をこなし一息着いたところである。  汗を拭き拭き、髪を結い直し、草鞋の紐を結んでいざ冬支度へ――のところで女が小屋に訪ねてくる。 「おお、コイよ。丁度お主を呼びに来たところよ」 「これはこれはツクモ様、本日はお日柄も良く――」 「してコイよ、我が巫女よ。先程のアレはなんじゃ」  藍染の空と同じ晴れやかな笑いをしていた女が突如として不貞腐(ふてくさ)れた顔になり、ずいと巫女に(にじ)り寄っては、巫女が奉献した祝詞に吝嗇(けち)を付け始める。 「何とはなんでしょう?」 「(とぼ)けるでない。何故お主は我に申さぬ。お主は我に仕える巫女であろう」  巫女は呆気にとられ、間の抜けた声で「はあ……?」と応えれば、女は癇癪を起こし地団駄を踏む。流石に聡い巫女であれど、女の言い分を解すること敵わず。 「あの……ツクモ様? あの祓詞(はらえことば)に何か間違いが御座いましたか?」  先の事と言えば奉じた祝詞しかないと巫女は当たりを付けて応えると、女は我に返り咳払いを一つ。 「否、何も間違(まちご)うてはおらん」 「でしたら何故(なにゆえ)で御座いましょう」 「間違うておらんから問題なのじゃ。お主が先程奉献した祝詞の言霊は、誰に向けてのものであったかの?」 「祓殿の大神等……ああ」  巫女は女が何故癇癪を起こしているのか合点した。  何の事はない。女は巫女が他の神を口にするのが我慢ならんと妬いているのだ。  蛇は執念深く、執着心を持って這い寄るもの。  女も蛇の神成り、故に自分に仕える巫女の口から他の神の名が出れば、嫉妬の念も燃え上がろう。 「お主は我の巫女じゃろ。何故大神たちに跪拝(きはい)する」 「それは私が巫女だからです」  巫女は神に仕えるもの。それは女もわかっている。だが女からしてみれば、巫女は飽く迄も女に仕える巫女なのだから、他の神には目もくれず、自分にだけ(すが)り付いてくれさえすれば良いのである。  しかし、巫女からすれば他の神々も女と同じくらい尊い存在。  それに巫女が祓詞を奉献したのには訳がある。  女が巫女の身体を好き勝手に弄くり回したのが元で、巫女は愛撫の歓びを知ってしまったのだ。節制した暮らしに身を置く巫女にとって、女の猫撫声で囁かれる甘言蜜語は酷く蠱惑的に色香を放ち、(さなが)らそれは真赤く熟した林檎のよう。加えて愛撫による甘美な淫蕩の味を占めれば、待ち受けるのは堕落の日々。  邪念振り解き此処に滅す、と巫女は護摩を焚き、神々に祈りを捧げ、努めて冷静を保つよう決意してはいたが、それもこれも女の所為……と、眼前の女に言えるほど、胆力を持ち合わせては居らず、ツンと澄まし顔で、粛々と女の問に応えてはいるが、その毅然たる振る舞いは土壁の如き脆さで崩れ落ちるであろう。  先程から女が身動ぎするたびに、巫女の表情(かお)は色付き、かと思えば波の如く引いていく。  流石に女も巫女の胸中に気付いたようで、不敵な笑みを浮かべるや、さっと腕を伸ばし巫女を抱くと、髪を撫で、頬を撫で、首を撫でと、頭の天辺から足の爪先まで、脆い飴細工を触る手付きで撫で上げては、「何かして欲しいことがあるのであろ? さ、遠慮せずに申してみよ」と、巫女を見詰めながら囁く。  努めて冷静さを保っていた巫女の心の壁が、砂塵と化して崩れ落ちる――かと思いきや、巫女は又も両手で顔を覆っては、いやいやと首を振って抵抗する。 「成りません、成りません。どうかその様な酷な事を仰るのはおやめください」 「何が酷なものか。お主は我の巫女であろう。奉公に恩で応えるは当然の事よなあ」  女は巫女を片手で抱き直すと、空いた腕を巫女の襦袢に潜り込ませ、その巫女の滑らかなる脇を(くすぐ)り、そして反対の脇も、女は長き舌を襦袢の中へと伸ばし入れ、器用に擽り上げる。  こそばゆくなって呻く巫女。堪らず両手を解くが、その眼前には女の顔。 「我はの、お主を構いたいのじゃ。毎日毎日こんなに汗だくになって我を拝んでいるのであろう。なればお主に褒美の一つでもやらんとな」 「そっ、そんな褒美など……私は当たり前のことをしているにすぎません。如何(どう)してそれで褒美が貰えましょうや」 「否、斯様(かよう)幼巫女(おさなみこ)を山奥に押し込め、日々汗塗(あせまみ)れになるまで祈らせ、それで褒美の一つも出さんとなれば、我の“格”が問われよう」  女は至って真面目な顔で言うが、伸ばした舌は巫女の秘めたる羞恥(しゅうち)(みなもと)で見せ付けるように踊り泳ぐ。巫女は頬を赤らめ、時折「ひゃあ」と喘ぎながらも、女の舌が手近な所に来ると捕らえようとするが、女の方が一枚上手。巫女の指を巧みに(かわ)す。 「なりません、なりま――あっ……」 「うむ、矢張り美味じゃ」  女、甘露を得たり。  細長く涎で(ぬめ)る女の舌がもたらす感覚に、やがて巫女の抵抗が無くなる。すると女は愛おしげに巫女の揉み上げを指で櫛削る。年甲斐もなく人形を愛でるが如き女の姿ではあるが、(まこと)は巫女を思いの侭に操る文楽の黒子のよう。  しかし女の顔は些か不満気。それと言うのも巫女は女の所業を否定こそすれ、瞳に涙を溜めて煌めかせては、心の奥から突き上げる情動を理性で抑え、その確固たる自制心を発露させることなく、女の為すが侭になっているからであろう。  女は自身の神という立場にほとほと飽きている節がある。崇められるより対等に扱って欲しいという思いがあるのだろう。  故に巫女には破廉恥な行いを咎めて欲しい、そうしたならば今よりもっと巫女と心を通じ会わせることができるのではないか。その様なことを考えているのではなかろうか。神のみぞ知るとはよく言ったものである。  巫女が放心から帰るのを待つ女の顔は悪戯小僧のそれである。  怒声と折檻が降っても泣きはしないが、母に気に掛けられている事実を知りたいが為の子の愚行に通じるものが確かにあろう。人でないが故に人恋しく、愛でる相手が望まぬ事をするあたり、女も素直な気性の持ち主でないことだけは確かであった。 「ツクモ様……何故(なにゆえ)斯様(かよう)な振る舞いを……」 「ほほ、言ったであろ。我はお主に構いたいのじゃ。だからかの、ついついこうして構い過ぎてしまうのじゃ」  女は鈴を転がすような声で笑う。  巫女は仕様がないとばかりの目付きで女を見ては、溜め息を吐いて肩を落とす。 「ツクモ様は神の身であらせられます。斯様な……その、斯様に破廉恥な事をするために来られたのでありましょうか」 「おお、そうであった。お主に見せたいものがあって来たのを忘れとった」  女はぽんと膝を叩く。その所作がなんともわざとらしい。  巫女は半目になって訝しむが、女は飄々(ひょうひょう)とするばかり。しかし女の顔色は青白いながらに何処か暖色に染まって見える。  どうやら女は巫女の厳しく睨め付ける表情(かお)を気に入ったようで、ぞわりと身を震わせると、悦に浸る瞳で何処か遠い所を眺める始末。 「それでツクモ様、私に見せたいものとはなんで御座いましょうか」 「……ああ、うむ、そうじゃの。口で言うより見る方が早かろう」  女は巫女を抱いたまま小屋の外へ出た。  困惑の声を上げる巫女に女は耳を貸さず、獣道に降り積もる、些か落ち窪んだ枯れ葉の上をなぞりながら歩いていく。  女は顔に微笑みを滲ませて、時折舌をつるりと伸ばして大層御機嫌な様子。 「あの……ツクモ様? こちらの方には池があると先代様より教わっていたのですが。なんでも岸は崖のようになっているし、草も繁っていて落ちて溺れると危ないと……」 「コイよ。お主は我を何だと思っておる。我はこの山の神ぞ。それくらいのことは知っておる」  女の言葉を信用しきれない巫女であったが、それは杞憂に過ぎなかった。女は湖沼が見えるや自信に満ちた足取りで草叢の中を歩いていく。その歩幅は一定で、彼方へトボトボ、此方へトボトボとする度に、女の足元に拳程の大きさ石が姿を現す。この石は昨日女が置いたものである。  女はこの石を目印に、草叢に隠れた断崖を踏み抜かぬよう計りながら進んでいるのだ。  聡い巫女はその事に気付いたようではあるが、如何にも腑に落ちない表情。  女は神である筈なのだから、神通力の一つでも使えば容易く足下の様子等看破出来よう。ならば何故この様な面倒な事をしているのか。巫女もそう考えたのか不思議そうな顔付きである。 「さあてここじゃ、ここじゃ」  巫女が女に問い掛けようと、口を開き掛けたところで女の歩みが止まる。巫女の視線が女の顔から前方へと移ると、其処には綺羅びやかな水面が広がっていた。  秋風に揺らぐ細波の中で無数の魚が躍り跳ねている。 「まあすごい! あの光っているのは全てお魚なのでしょうか」 「どうじゃ凄かろう?」 「はい」 「ヒヒヒ、それだけではないぞ。どうれ、見ておれ」  いつの間にやら女の下肢が蛇のものへと変わっていた。  陽光の下で女のそれは湖面に負けぬほど(こけら)を綺羅つかせている。そして(おもむろ)にくねったかと思えば目にも留まらぬ速さで伸び、叩いた湖面に逆しまの滝を生じさせた。 「きゃあっ!」  パンと拍子木より数段高い音に驚いた巫女は身体を強張らせ女にしがみつく。女、此迄(これまで)にないほど雄々しく自慢気な笑み。  湖沼に大時化の如き波紋が生まれ、飛び跳ねる魚達は一斉にその身を隠す。そして波立つ湖面にちらほらと、女の尾っぽに叩かれ息絶えた、魚の姿が浮いてくる。  女は巫女を地に下ろすと、水に浸かった長き下肢を巧みに操り、浮いた魚をかき集めては、吃驚(びつくり)仰天(ぎょうてん)している巫女の前に積み上げて、「さ、遠慮はいらんての、好きなだけ取るが良い」と、ふんすと鼻息を吐き出しては胸を反らす。  しかし巫女、呆けていたのも束の間、渦巻き模様の(まなこ)から立ち直ると、額を地面に押し付けおいおいと泣き出す。  これには女の方が驚いた。
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