胸にふるるもの

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暑さが過ぎた神無月の今日も、蓮(れん)は日の出と共に店に出ていた。 蓮の両親が営む小間物屋・秋栖(あきす)屋。奉公人を多数抱える大店の朝はどこよりも早い。 ――桶に水を貯め、柄杓を使って道に打ち水をする。こうして朝の仕事に精を出していた蓮は、店の入り口に暖簾を掲げたところで一息ついた。 「おや、坊ちゃん。今日も朝からご苦労さんです」 「アァ、弥太郎さん、おはようございます」 弥太郎とは、秋栖屋でも古株の奉公人の事だ。齢は蓮の丁度二倍位で、男としても人としても、熟し始めてる年代だ。 蓮は弥太郎から茶を分けてもらい、乾いた喉を潤した。ぽっこり浮き出た喉仏がゴクリゴクリと数回上下した後、蓮が言う。 「今日は天気が良さそうだ」 「そうですねぇ。そういえば坊ちゃん、最近この界隈に面白い方がやってきたらしいよ」 「面白い人だって?」 「なんでも『番犬札』とかいう、厄除けのお札を売り歩いてる絵師だとか」 「へぇ。番犬札の絵師さんは噂になるような人なのかい?」 「それが、その番犬札、結構な効き目があるようで」 「ほう。それで噂になってんのかい」 「そこでなんですがね、坊ちゃん。ちょいとその番犬札、買ってきちゃくれませんかね」 弥太郎は店主から預かっている小銭をジャリジャリ鳴らし、いくらかを蓮に手渡した。 それは札を買うには多すぎる金額だった。蓮は手のひらに乗る小銭をじっと見つめてから、仕方ないとばかりに言った。 「えぇ、分かりました。今日くらいは甘えてみましょう」 「へぇ、そりゃ助かります。旦那様にはあっしから伝えておきます」 弥太郎が笑うと、目元にクシャッと皺が寄った。温かみを感じさせる表情につられ、蓮も頬が緩む。 気付けば、通りには人の影がチラホラと見えるようになっていた。蓮は草履を履きなおし、軽い足取りで町へ出た。
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