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志水部長曰く、
「いやぁ、彼が早くマッサージ技術の腕を磨く為に、練習させてくれる人を探してるらしくてね。倉持なら手も身体も大きいから、マッサージしの練習がしやすいと思ったんだよ」
と、言う事らしい。それで気分転換ついでに、私はこの店に連れて来られたらしいのだが(いや、実際は私が落ち込んでるから、何とか元気づけようとしてくれてるのかもしれない)。
マッサージの練習と言っても、彼は専門学校でそれなりの技術を身に付けていると言う話しだ。けれど接客という面では、まだ他人との距離感を上手く掴めていないのだとか。
私は案内された個室のカウンター席に座り、向かい合うようにして先程の青年と対面していた。二人きりになった空間で彼は目を閉じたまま、ハキハキと自己紹介から始める。
「あの……改めまして、施術を担当します、中井です。今回は僕の接客の練習に付き合っていただけるとか……。本当にありがとうございます」
そう丁寧に頭を下げる彼に、私も慌てて自己紹介をし返す。
「あ、いえいえ。私で良ければ力になります。……倉持です。こちらこそ、よろしくお願いします」
そう言いながらお辞儀をすると、目の前でクスクスと小さな笑い声がして、私は何だろうと顔を上げた。と、彼は目が不自由なはずなのに、私が頭を下げた事に対して「あ、笑ってしまってすみません」と、まるで見えていたかのようにすぐに謝って来たのだ。
「あなたの……倉持さんの声が、上から下に降りて行く感じがしたので。きっとお辞儀をしてくれたんだなぁって思ったんです。……こう言ってはなんですが、目の見えない僕に丁寧な挨拶をしてくれる人は本当に珍しいんですよ」
「そ、そうだったんですね……。いや、お恥ずかしいです」
「どうしてです?何も恥ずかしい事じゃないですよ。倉持さんは紳士的で素晴らしい人だって話しです」
「そ、そこまで言われると……何とも……」
妙に照れてしまい、見られていないはずなのに、見られてるようで落ち着かない。
……本当にしっかりしてる人だな。気遣いやお世辞が上手くて、私なんかよりよっぽど他人馴れしてるんじゃないのか?接客の練習なんてしなくてもいいのでは……。
そう考えて黙り込んでいると、何かを察したように彼が話しを進めてくれる。
「では、時間もありますので早速施術を始めさせていただきます。……今回はハンドマッサージを行いますので、もし長袖をお召でしたら、肘まで腕捲くりしていただくと助かるのですが」
「は、はい」
丁寧な言葉遣いに、静かな笑顔。
私は言われるがままワイシャツの袖口を捲し上げて、彼の目の前に置かれたタオルの上に腕を伸ばして置いた。
接客もかなり慣れてる様子。と、思ったのもつかの間、彼の手が触れた瞬間に、私は、ああ、そうかと納得する。
「……中井さん、もしかして……緊張してますか?」
「そ、そうですね……少しばかり」
私の掌を撫でる彼の指先は、ガチガチに硬くなっては微かに震えていたのだ。顔を上げてそちらを見れば、眉に力が入り、口元もへの字に曲げては、いつの間にか先程の雰囲気と一変した彼がそこには居た。
……もしかしてさっきまでのは、緊張を隠す為の見栄だったのか?もしそうなのだとしら……ちょっと、かわいいかも。
グッ、グッと掌のツボを押され、痛気持ち良いのと、少し熱いくらいの手の温度が心地良い。あと、真剣に、一生懸命に施術しているのが伝わってくるから、何だか心の中で応援したくなってしまう。
まだ緊張してるのか、或いはツボの場所を探してるのか、彼の指先がやたらと私の掌を滑っていく。その感触がこそばゆくて、つい笑ってしまった。
「……ふふっ」
「へ?あれ?……もしかして、全然効いてない感じですか?」
「あ、いえいえ。そうじゃなくて……」
慌てたように顔を上げる彼に、私はすぐ弁解をする。
「ただ、一生懸命にやってるなぁと思いまして……。あ、バカにしてるとか、そんなんじゃないですよ!本当に凄い努力家だなぁと思ってますから。……いくらでも緊張したり失敗していいですので、私で思う存分に練習してください」
必死の言い訳のもりだった。けれどそれが彼の胸に刺さったらしく、また笑い返されるのだ。
「あははっ……。倉持さんって面白いんですね」
「え?」
「なんか、緊張してたのがバカらしくなってきました」
わ、笑った!と言うか、表情も言葉もさっきより砕けてて……本当にかわいい。
この一瞬にして、彼に心を奪われてしまった。こんなにも私に向かって笑顔を向けてくれる人は、もしかしたら初めてなんじゃないかと思うくらいに感動までしてしまう。
それから私達の間にあった緊張の糸はあっさりと消え失せ、珍しく長話しなんかをしながら、お互いにリラックス出来る程度には楽しい時間を過ごしたのだ。
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