無意識に、恋

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「倉持さん!」 「は、はい?」 「急に黙らないで下さい!……居なくなっちゃったのかと、思うから……」 「!」  怒ってるのか、悲しんでるのか。或いは、心配や寂しさの表れなのかもしれない。  中井さんはこちらへ手を伸ばして来ると、テーブルに乗せていた私の手を両手で包み込んで来る。そして、僅かに声を震わせながらこう呟いたのだ。 「……僕の世界は、僕の手の届く範囲だけなんだ。僕の手が届かないところで、勝手に居なくなったりしないで下さい……」  そこまで言われ、ハッとする。  そうだ。普通に振る舞っているけど、中井さんは目が見えないんだ。急に黙ったりしたら、不安になるのは当たり前だよな。  私は中井さんの手をギュッと握り返し、強く言葉を返していた。 「……中井さん、私はどこにも行きませんよ。黙って中井さんの側から離れたりしませんから、安心してください」 「……本当に?」 「はい」  中井さんの手から、ゆっくりと力が抜けていくのを感じた。  最初の印象からは全く想像が出来なかった、弱々しい彼の姿。もしかしたらこれが、本当の彼なのかもしれないと思った。  中井さんが居る世界は、あまりにも暗くて狭くて、危うい。私が中井さんを守ってあげなくては。  どこから来るのか分からない使命感。だけど、どうしてもそう思わざるを得なかった。 「……中井さん、顔を上げてください」 「?」  今にも泣きそうな、不安げな顔。目は閉じているから分からないが、もしかしたらその瞳は、涙で潤んでいるのかもしれない。  私は彼のそんな表情を見つめながら、不安にさせまいと言葉を選んで話し出す。 「先に、謝らせて下さい。……不安にさせてしまって、本当にごめんなさい。少し考え事をしていて、返事をするのが遅くなってしまいました。その結果、中井さんを不安にさせてしまって……」  そう謝ると、彼はフルフルとゆっくり頭を振る。 「そんな……。僕の方こそ、くだらない事で取り乱してしまってごめんなさい」 「くだらなくないですよ。中井さんは怒って当然なんです」  私の否定に、中井さんは首を傾げた。  そんな様子でさえ可愛いくて、不謹慎にも胸がキュンと締め付けられてしまう。 「私は勘違いをしていました。……中井さんがあまりにも堂々としているので、少し羨ましく思っていたんです」 「……何を……?」 「中井さんは強い人です。それに比べ私は……。今日、会社で先輩に怒られてんです。私がたまたま見付けたコピー機の故障を、私がやったんだと勘違いされて……。犯人が誰かなんてどうでも良いですけど、せめて、もう少し先輩に弁解出来ていたらなぁと」 「……………」 「だけど私は、怖くて言い訳をする事が出来ませんでした。機嫌の悪い先輩がもっと不機嫌になったらと考えただけで、声が出なくなるんです」  ……ああ、こんな暗い話し、中井さんは喜ばないだろうに。でも、どうしても甘えてしまう。私はこの人の笑顔に、どうしても救われたいんだ。 「……そんな事で落ち込んでいる私は、今、この瞬間……貴方の笑顔を見ただけで元気になるんです。中井さんのその笑顔は、きっと私だけじゃなくて色んな人に活力を与えられる。私も貴方のような愛嬌があれば、或いはって……思ってしまいました」  もしかしたら、中井さんは私が女々しい人間だと思われてるのかもしれない。それでも良いやと諦めていた矢先、突然「倉持さん、顔を触っても良いですか?」と言ってきたのだ。私はそれに疑問符を浮かべながら、彼の手を自分の頬へと寄せる。 「?構いませんが……」 「えいっ」 「痛っ!あいたたたたっ!」  彼の両手が私の顔を包み込んだと思いきや、思いっきり頬を摘まれ、そのまま容赦なく横に引き伸ばされてしまった。何事かと思ったのもつかの間、今度は摘まれた頬を中央にある口に寄せるようにしてモミモミと揉み解されるのだ。 「ふぇ?にゃ、中井しゃん?」 「……やっぱり、倉持さんの顔の筋肉はガチガチです。これは良く解さないと、ちゃんと笑えませんね」 「?」  上下左右に頬を揉み解される。  そうやって無心に手を動かしていた中井さんだが、またしても唐突に私の頬から手を離すとそのままペタペタと顔中を触り始めるのだ。  ……な、何だ?何が起こって……。 「倉持さん、鼻が高いですね。あと、髭がチクチクしてます。今日もお仕事頑張った証拠ですね。……眉毛も太くてフサフサで、羨ましいです。……きっと、倉持さんは男らしい顔なんでしょうね」  どうやら手触りだけで私の顔を確認していたらしい。目が見えないから、触る事で知ろうとしているのだろう。  ……そうか。中井さんの“視えてる”世界は、中井さんが触れている時だけに形成されるんだ。だったら今の中井さんの世界は、私だけって事になるのかな?中井さんの世界でなら、私は窮屈に感じる事もなく生きられるのか。  そう思うと、ドキドキが止まらない。彼の感じる世界には今、自分だけなんだと嬉しく思えさえした。 「……倉持さんは僕より、良い笑顔が出来ます」 「そ、そんな事……」 「だって、人に感情を向ける時は相手の“目”を見るのが基本です。倉持さんにはそれが出来ますが、僕には出来ない事です。……だからきっと、僕より良い笑顔が出来ますよ。もっと堂々として下さい」  私の唇を、彼の親指が優しく撫でていく。その時の中井さんの微笑み顔があまりにも切なくて美しく、つい、手を伸ばしてしまっていた。  ……中井さんは目が見えない事、気にしてないようで気にしてるんだな。だけどこんな寂しそうな顔、彼にはしないで欲しい。  私を励ましてくれる彼。そんな彼が、とても愛おしい。  同じ様に彼の頬を両手で包み込み、私はそれを口にしていた。 「……中井さん、好きです」 「……へ?」 「私と……付き合ってくれませんか?」  無意識レベルの告白。だからこそ自分でも驚いたし、本当に彼に惚れてしまったんだと、そう自覚した瞬間でもあった。
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