前田花乃子

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あれは高校2年の文化祭2日前。私たちのクラスはカフェをすることになり、私は美術部だからと気付けば看板係になっていた。 「これ、看板用の板ね。これ店の名前、こっちにはメニュー。よろしくね!」 クラスの実行委員の子たちにあっというまに作業を割り振られて、それがとても一人で出来る作業量じゃないと気づいたときにはクラスの殆どが帰宅した後だった。当時いつも一緒にいた子は友達だと思っていたけど、お互い一緒にいるための「友達」だったみたいで…。すごく仲が良いわけではなかった。 「わぁ…。看板大変だね。私飾りつけ終わったから先に帰るね、花乃子ちゃん、頑張ってね。」 何の悪気もなく彼女は帰って行った。 文化祭準備に時間を割けるのはあと1日しかない。そう考えたらとても帰れなかった。 (看板に色を塗って、廊下に貼る画用紙にメニュー表を作るんだったよね。それよりも看板の塗料これじゃ全然足りないかも。) (なんで私が一人でやらなきゃいけないの?こんなの終わるわけない。実行委員の早川さん達はもう帰っちゃってるの?) 教室の床に座り込んで辺りを見渡せば看板のベニア板と、用意された塗料、色とりどりの画用紙に、誰かが置いて行った空のペットボトル。 私の頭の中と同じくらい散らかっていた。 「あれ?岩瀬さんは何してるの?」 困り果てているところに声をかけられて顔を上げた私はきっととんでもない顔をしていたと思う。 私に声をかけてくれたのは前田くんだった。 いつも遠くにいて、こちらを向くことなどない綺麗な顔が真正面からこちらを向いていた。 「え、私?私はあの、あ、あの、看板っ…。看板作ってる。けど塗料が、足りるかもしれないけど足りなくて、えっと。」 クラスメイトに答えるだけなのにしどろもどろな私。 そんな私に気づいているのかいないのか、普段通りの前田くんは散らかった中に埋もれていた看板の図面を拾い上げて言った。 「あー確かに。このイラストの通りに看板作るんでしょ?これ、塗料足りないよ。さっき飾りであの枠塗っただけで一缶以上使ったからね。」 前田くんは制服のシャツを腕まくりしていて筋張った腕には黄色と水色の塗料が付いていた。 「ねー会計って原田だっけー?」 前田くんが大きな声で言うと教室の何処かから 「原田帰っちゃったよー」 と返事があった。 「えー、でもこれ、ないと困るよなー。」 図面を見つめて眉をしかめた前田くんが言った。 「え?あの、たぶん。はい。」 自分に言われたのか前田くんの独り言なのかよくわからないまま答える私。 「オレ、先生に言って塗料買ってくるわー。」 誰に言ったのか大声で前田くんが言った。 「オレも行こうかー?」 「ついでにアイス買ってきてー!」 「じゃ、ついでにヤンジャン買ってきてー!」 教室のあちこちから声が上がった。 「ふざけんな…」笑いながら言うと前田くんは私に訊いた。 「岩瀬さん、他に何か足りないものある?」 「あ、特には…。」 もし私が陽キャな女子達なら「アイスー」とか言えば良かったのかな?とかどうでもいいことを考えてしまって、せっかくの気遣いにお礼も言えなかった。 「あ、そうだ。山部ー!お前のとこもう終わったでしょ?看板まわれる?」 また大声で前田くんが言った。 「りょうかーい!あ俺ハーゲンダッツねー!」 教室の隅の、男子が数人残っていたエリアから返事が聞こえて、山部くんが手を振っていた。 「ぜったい金、払えよー」 前田くんは教室を出て行った。 「えーと、どこ手伝うっすかー?」 山部くんが坊主頭を掻きながらこっちに来てくれた。 「看板1人だったんだー!こりゃ終んねーわ。」 他の男子達も山部くんの声につられて来てくれた。 結局、その時教室に残っていたほとんどの人が手伝ってくれて、買い物から帰ってきた前田くんも加わって、看板の作業はあっという間に終わった。 さっきまで一人で途方に暮れていたのに。 前田くんが気づいてくれたから他の人にも手伝って貰えた。 クラスは常に前田くんを中心に回っていた。 その渦の中に一瞬だけ巻き込まれた。人がたくさん集まってワイワイみんなが楽しそうな渦。 その中心にいる前田くんは誰よりもキラキラして見えた。
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