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 はっと目が覚めた時、波が半身を洗っていた。  朗はあわてて身を起こした。  太陽はすでに昇っていた。朝焼けの最後の雲のひとひらが風に乗って消えようとしている。満ちてきた波は陽の光を弾いてきらめきたち、砂地の半分を消し去っていた。  昨晩のことを思い出そうとした。記憶はおぼろだ。太鼓の響き、踊る人々、微笑む少女のえもいえず美しい顔……。  彼女の姿はなかった。  朗はぞくりとした。彼女はどこに行った?。 「先輩!」  頭上で声がした。 「よかった! そこにいるんですね」  岩場の上から陽翔が見下ろしていた。 「怪我してませんか? 一人で上って来れますか?」 「ああ」  朗は両手で顔をこすり、呆けたようにつぶやいた。 「いま、行くよ」  松林までよじ登った朗を、陽翔はささえるように立ち上がらせた。 「急にいなくなるからびっくりしましたよ。じいちゃんが無理に飲ませるからいけないんだ。海に落ちたんじゃないかと思って、心配しました、本当に」 「酔ってたのかな」 「だいぶ」  陽翔は大きく頷いた。 「おまけに、月踊りまでして身体を動かしましたからね」 「すまなかった」 「悪いのはぼくたちですよ。さあ、行きましょう」 「夕べ」  朗は思わず訊ねた。 「十七八の女の子はいなかったか? きれいな子だ」  陽翔は首をかしげた。 「ぼくの知ってる限りではいませんね。でも、この浜以外の者も来てましたから。海霊さまだって」 「海霊さま?」 「海霊さまが陸に上がる時は、きれいな女の子の姿をとるそうですよ」  ぎょっとしたような朗を見つめ、陽翔は微笑んだ。 「その子がなにか?」 「いや」  朗は大きくかぶりをふった。まだ頭がぼんやりしている。  前後不覚になるまで酔っていたのだ。自分は一人でここまで下りてきて、眠りこけてしまったのだろうか。 「先輩」  陽翔は、いたずらっぽく朗の顔をのぞき込んだ。 「海霊さまに会ったんじゃないでしょうね」  海の精霊。 「まさか」  彼女は夢か、幻だったのだ。  しかし、少女の冷たくしっとりとした肌の感触は、はっきりと思い起こすことができた。唇だけが熱かった。あの、のけぞる白い喉……。  朗は身震いした。 「びしょ濡れですね」  陽翔が気遣わしげに言った。 「風呂に入って少し休んで下さい。今日中に帰ればいいんですから」    残暑もようやくおさまったころ、陽翔が会社を辞めた。  正直、ほっとした。  彼の実家から帰って以来、朗は陽翔を極力さけていた。陽翔も心得ているようだった。 「海霊さまにも寿命があるそうですよ」  帰りの車の中、朗が降りるまぎわに陽翔は言ったのだ。 「何人もの海霊さまがいるんですが、女ばかり。子孫を増やすには男がいる。なので、彼女らはかわるがわるぼくたちの浜にやって来ます。月祭りの夜に」  朗は、息を止めて陽翔を見つめた。 「大昔からの盟約です。おかげでぼくたちの浜は守られています。大津波が来たって、人も家も流されることはなかった。ただ、しだいに血が濃くなってきましたからね。浜以外の人間が必要なんです」 「冗談だろう」  朗はようやくささやいた。陽翔は間をおき、声を出して笑った。 「もちろんですよ」  去っていく陽翔の車を見送りながら、朗は彼の言葉を反芻した。  浜以外の人間。  地元の者らしくない若い男も、確かに何人かいた。朗のように誘われて、月祭りに加わったということか。  海霊は、朗を選んだ。  まさか。  朗は同じ言葉をくりかえすしかなかった。  まさか。  陽翔がいなくなり、ようやくあの夜の出来事を忘れることができると思っていた。  しかし、ことあるごとに少女の顔を思い出す。  震える長い睫も、繊細な貝殻のような耳たぶも。  彼女が海霊?  だとすれば、海霊とは人魚のことなのかもしれない。月祭りの夜にだけ、美しい尾を華奢な人間の足に変えて磯辺に現れるのだ。  人魚は子供を──朗の子供を産む。陽の光が水面を透して碧くゆらめく海の中を、長い髪をひるがえして泳ぐ母子の人魚を夢想する。  また海に行きたくなっていた。
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