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1 夕暮れ
遠くから蝉の鳴き声が響いてくる。
夕方の風は、草の薫りと土の匂いであふれ、生きているかのように暖かい。
俺は、あと少しで死ぬ。
宗助は、夏の夕暮れの空を、寝ている畳間の縁側越しに見上げた。夕焼けの空はオレンジを通り越して、青と桃色が混じったような色となり、影となった雲が黒々と鮮やかな模様を描いている。
天国って、こんなところだろうか。
宗助は、桃色と水色がマーブルのように混ざり合う空を、最後の夕陽が光の矢のように切り裂いていく様を見上げてそう思う。風鈴がちりんちりんと思い出したかのように鳴り、眠りに引き込まれそうになる度に、宗助の意識を引き戻すのだった。
ぼうっとした視線の先には、寂しそうにこちらを見るつれあいの華の姿が見える。
もうじき、逝ってしまうのね。
宗助と華の間には子供も生まれ、その子達もすでに独り立ちした。みなが散り散りとなっているから、すぐに会える訳でもない。華の親も、すでにこの世にはなく、自分が先に旅立ってしまったら、華のそばにいるのは宗助の父と母、そして弟の太輔だけとなってしまう。
ごめんな、と言いたいが、もう顔を上げる力も無い。いいのよ、と華が気遣った。
私も年だもの、もう少ししたら、そちらに行くわ。
でも、と華は続ける。
その頃にはあなたは、もっと遠くへ行ってるのかもね。
ざぁっと風が吹き抜ける。風の音に吹き消され、華の声は、宗助の耳には届かなかったようだ。家の玄関が開く音がして、宗助は微かに目を開けた。父や母が来たのだろう。呼び掛ける声が聞こえるが、もうぼんやりとしたシルエットしか見えない。
まだ逝かないよ。太輔がまだだ。
そうね、と返す華の声が遠のいていくのを感じながら、宗助はまたうとうととしだした。
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