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卑怯者の末路
「佐藤、ちょっと話がある。ライン引き継いだら事務所に来てくれんか?」
「はい、わかりました」
さて、俺は何をしでかしたか、しでかしたことにされたのかな。少なくとも身に覚えは全く無い。
だが、呼ばれた以上は行かねばならない。
「失礼します」
俺はノックして事務所に入った。
「来たか。早く帰りたかっただろうが、悪い話ではないはずだから勘弁してくれ」
「いえ、滅相もないです。ご要件をお伺いしてもよろしいでしょうか」
ご指導ではないらしい。
「早速だが、明日から週末まで本部に研修に行ってもらえんか?」
「はい、内容はどのようなものでしょうか」
「リーダー研修だ。無事修了したら、給料に手当をつけてやる」
「ありがとうございます。是非、よろしくお願いします」
だからこの前免許証のコピーを取られたのか。ありがたい話だ。
リーダーとはいっても、名ばかりでやることはほぼ変わらない。
一種の勤続手当だ。
気がかりがあるとすればだ。
「ただいま」
「オカエリ」
セリアだ。ほぼ一週間放ったらかしになる。家電を壊されたらどうしよう。家を燃やされたらどうしよう。
そしてなにより。
「こいつ自身に万が一のことがあったらどうしよう」
食事はどうにかなるだろう。IHヒーターを使ったり、買い物したりはひとりで自炊させたりお使いに出したりして出来ることを確認した。
だが、大きなケガや病気をしたらどうする。
こいつは保険証を持たない。それどころかこいつは戸籍を持たない。
そもそもこいつは人間ではない。人間のための医学が役に立つとは限らないし、病院に行ったらまともな生活を送れなくなる可能性が高過ぎる。
「ハジメ?」
「なんでもないよ。お風呂入ろうか」
なんでもなくない。現実に流され動く身体で、脳が苦悩から逃れようとしているサマが自分の弱さがありあり実感させられている。
「ハジメ、シンゾウバクバク」
「セリアが今日もかわいいからだよ」
ぴかぴかの湯船が今日も狭苦しい。否が応でも身体が密着させられる。
「デモコッチシナシナ」
否定されゆく社交辞令。逃れる道はどこにもないぞと、現実に諭されるように。
「風呂から上がったら、ちょっとお話しようか」
絶えず回り続けていた思考が、ようやっとのこと停止した。開き直って、思考することを諦めた。
「俺、明日から出張行ってくるから」
俺は唐揚げをほおばるセリアに告げた。
「シュッチョウ?」
「しばらく帰ってこないってこと」
「ソウナノ」
思ってたよりドライだな。心配するだけ損だったか。
「これ。置いてくから、食い物その他は自分で買ってくるように」
俺は千円札10枚の入った100均の財布を手渡した。
「コレセリアノ?」
「そうだ。金曜夜まで帰って来ないから、考えて使えよ」
不安だ。餓死するなよ。
「ハジメ、キチク」
午前4時半を示した時計がアラーム音をけたたましく鳴り響かせた。俺はムッとした顔のセリアを尻目に顔を洗った。仕方ないだろ、始発の新幹線に乗らないといけなかったんだ。
俺はブラックのボトルコーヒーを飲み干しシャワーを浴びて歯を磨き、自律神経を叩き起こしてわざと腹を下させた。
荒療治だが、体内時計を無理やりずらしたいときにはこれがいちばん手っ取り早い。
スクーターを駅前の有料駐輪場に停め、駅構内で栄養ドリンク味のゼリーを飲んで電車を待って自由席に乗り込んだ。現地までの数時間、気合いの立ち乗りに耐えねばならない。
「外の空気とタバコが美味い」
現地に着きまず背伸びしながら向かった先は、駅の外の喫煙所。サラリーマンや学生であろう私服の若者たちが、思いのままに一服している。
その輪のなかで緊張感をほぐしたのちに、バスで本社へと向かった。
「佐藤、浮気性の彼女でも居るの?」
「え? なんでですか?」
「おまえ、日に日に脂汗が激しく顔色も悪くなっていってたから」
自分でも、自分がこれほどまでに心配性だと思わなかった。
広々としたユニットバスに誘われることなく一人で入った。
黙々と自分のペースで晩飯を食った。
ベッドの上で両手両足を伸ばしきってスマホを眺め、眠くなったら好きに寝た。
ひとりの自由を堪能していたそのなかで、セリアの顔が常に頭に浮かんでいた。
振り回されるばかりだったはずだった。居なくてもなにも困らなかった。
日々振り回されるそのうちに、セリアの居ない生活なんて考えきれなくなっていた。
「気にすんな。向こうが上手いこと隠しきれてればそれでよし、乗り換えられても忘れてしまえばそれでよしだ」
残念ながら、浮気が可能になるくらいの生活能力があれば一切しない心配なんだ。だからこそ質が悪いのかもしれない。
声を聞いて安心したい。音声だけでも繋がりたい。
「心配ありがとうございます」
「無事資格も取って、その手当もつくんだ。溜まってもその金で風俗行って抜けばいいだろ」
研修の後半は、現地の教習所での玉掛け技能講習だった。戻ったら、日勤のときは早起きして積み込みに参加させられるだろう。
「ですね、ありがとうございました。向こうでも頑張ります」
俺は派遣上がりだが、今のところ理不尽ないじめもパワハラも無い。これが薄給でも続けていられる理由だろう。
「ただいま。さすがに自堕落が過ぎないか」
帰宅後まず俺を出迎えたのは、セリアではなくゴキブリだった。即刻駆除してお菓子の袋とペットボトルの山の向こうに目をやると、セリアがポテチとコーラを脇に添えてひたすらゲームで遊んでいた。
「あ! ハジメ、オカエリー!」
やっとこちらに気付いたようだ。さすがに本とアマゾンプライムだけでは退屈させ過ぎる気がして、ちょっとゲームを触らせて以来このザマだ。
ダークエルフが美しく煽情的でなくなったらどうするんだろう。
「まず掃除と片付けをしようか。他の話はそれからだ」
早速金の使い道が決まった。いや決まっていたが、その目的が追加された。
「携帯だ。こいつには、保護と監視が必要だ」
保護者じみた真似は驕りだろうと思っていたが、そうも言っていられないようだ。
ここはエゴを優先しよう。セリアが自堕落な脂肪の塊になってしまうなんて嫌だ。
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