宇佐見りん書評

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宇佐見りん書評

少なくても、考えなくてはいけない事は何もなかった、って事ぐらいじゃないかな。 僕は、ぼんやりと巷に溢れかえっている、昨今の著作物を並べて、平積みに読んでいた。つんどくで、気になったタイトルの本を取り、バラバラとページを捲り、気になる箇所に目が止まり、そこから読む。そう言うスタイルになったのは、自分の今の仕事柄の性だ。 本を買ってはいる。それが書棚に増えていくし、畳の床には、書籍関連の文学雑誌の山が山積みである。それを私は買うことしか出来ない。読んで、それを血肉にするなんて芸当は、恐らく日本の作家では宇佐見りんしか、不可能だ。 宇佐見りんが気に入っているのは、少女の様な可憐さから、見た目からもあるが、自分の好みの作家と同じ作家が好きだった事が、親近感を覚え、好きな作家となり、彼女のインタビュー記事はチェックしていた。 僕は、彼女が好きだし、好きと同時に妬いてもいる。作家としてつい、ライバル心を抱いてしまうのだ。それは仕方ない。僕は、そんなことを考えてしまう自分の事をやれやれ顔で呆れている。 宇佐見氏からは、2階の書斎で、扇風機を付けて、新刊のくるまの娘を読んでいると、普段家族といる居間とは、全く違い、読書空間に没入出来る。そう言う作品は稀だ、流石芥川賞だな、と言う他ない。 そう言う読書時間がメッキリ減ってしまった今の自分が嘆かわしいばかりだ。 今までの人生で、他人の本を読んでこなかった。余り、読書をした経験がない。それが今の私の欠けた足りないところなのだ、と思う。当時の自分には圧倒的に、自負心があった。しかし、歳ももう、精細に欠き、40を超えた初老である。 今の自分に欠けているモノは、若き血潮なのかもしれない。そう言う女性と言う生き物について、私は大変興味が深い。 知りたい、そんな欲が出て来ている。
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