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声はますます近くなる。このままではだめだと思うのに、体がどうしたって言うことを聞いてくれない。もう一度同じことを繰り返してみたが、やはり足の痛みに力がうまく入らない。弟を抱いたまま横転してしまう始末に、悔しさと恐ろしさで涙があふれてくる。
どうする、どうする――
頭の中を言葉だけがぐるぐると駆けまわる。焦りだけが増すだけで現状を打開するアイデアはひとつも浮かんでこない。このままあめごいさんに連れていかれてしまうのか。そんなこと、絶対に嫌だ。
ぎゅうっと弟を抱き寄せて肩に顔を埋めたときだった。「美和子――! 大樹――!」と呼ぶ声が聞こえた。飴をねだる声とはあきらかに違う。弾かれたように顔をあげて、声のしたほうに視線を向ける。揺れ動く灯りがひとつ。石燈籠の灯りに照らされた端正な横顔がぼんやりと浮かんで見えている。「美和子――」と叫ぶ声。ああ、隆介だ。隆介が助けに来てくれたのだ。急いで弟の体を横たえてよろよろと立ち上がる。
「隆介! 隆介! ここよ! ここにいるわ!」
名前を呼びなが山に向かって駆けてくる隆介に返事をした。気づいた彼がこちらへ方向を変えて一目散にやってくる。ハードルを飛ぶように根や草木を越えてくる。そのたびに提灯がふわん、ふわんと不規則に揺れる。やってきた彼の手には自分が放り捨てた傘があった。彼はわたしの顔を確かめるなり「ばかやろう」と怒鳴った。
「待ってろって言ったろうが! どうしておまえって、いっつも俺を信じないんだよ」
「ごめんね。ごめんね、隆介。いても立ってもいられなかったの。隆介を信じていないわけじゃないの。わたしが軽率だった。本当にごめんなさい」
「まあ、いい。それより無事か?」
「うん。大樹は気を失ってて起きないけどね。命に別状はないと思う」
「おまえも無事みたいだな」
はあっと隆介は深いため息をこぼした。わたしは小さく笑むと「そうも言っていられないの」と続けた。
「はやく戻らないと。あめごいさんが山を下りてきてるの!」
山を指さす。石灯篭はもう三分の一近くまで消えている。そのことに気づいた隆介が顔をこわばらせる。ごくりとつばを飲む音が聞こえた。
「飴をここに置いていこう。時間稼ぎになるはずだ」
隆介がそう言って弟の手に指をかけた。その瞬間、彼の眉間に深いしわが刻まれた。驚いてわたしの顔を見る彼に首を振って答える。
彼はもう一度弟の指に手をかけた。ぐぐぐっと奥歯の軋む音がした。隆介の顔は真っ赤になった。ぷるぷると全身を震わせたながら指をこじ開けると、わずかにすき間ができた。
「美和子!」
五ミリ程度のすき間に縫うように指を差し入れて強引に串を抜く。すると、それまで石みたいに固まっていた弟の指からすっぱりと力が抜けた。
ふうっと隆介が息をつく。彼は黙ったままわたしに傘を差し出すと、くったりと力の抜けきった弟を背中におぶった。
「歩けるか?」
大きくうなずく。ゆっくりだが歩けないことはない。
「行こう。ほら、飴を捨てて」
「うん」
傘を支えによたよたと立ち上がる。いっしょに隆介も立ち上がった。おぶった弟の体をよいしょっと一度ゆさぶって、塩梅のいい位置に収める。
わたしは山の入り口に向かって飴を放り投げた。
「なにやってんだ? 早く捨てろよ」
後ろから隆介の呆れた声が聞こえて、わたしは息を飲んだ。途端に首筋がぞくぞくと寒くなった。膝がしらがぶつかるほど急激に震えが走る。歩き始めた隆介が振り返っていぶかしんでわたしを見た。
「美和子?」
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