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「こら、大樹。聞いてるの? お祭りには絶対にひとりで行っちゃだめなんだからね」
「わかってるってば。ひとりでいる子をさらって食べるって言うんだろう? でも、そんなの今まで起きたことないって、宮村のじいちゃんは言ってるよ。それに今日はまだ前夜祭だよ? あめごいさんは下りてきてないから、ひとりだって平気だよ」
小学四年生の弟の大樹がフグのように顔をぷうっと膨らませて言い返した。わたしは手にした燭台を台所のテーブルの上に置いた。電気の灯りとは違う、ロウソクのぼんやりとしたやわらかな灯りが弟の顔を闇の中に浮かび上がらせる。
祭りの前夜から祭りが終わるまで、どの家庭も人口光源は使えないので、こうしてロウソクをいろんな部屋に置いて照明にしている。これもすべて祭りの、あめごいさんのためだ。まっ暗なお社にずっと閉じ込められているせいで、あめごいさんは目が悪い。だから太陽や人工の灯りは刺激が強すぎるらしいのだ。祭りの日も雨が降りそうな日を選んで開催される。おおよその日程は決まっていても、何月何日と前もってはっきり決まっているわけではないのだ。そうやって明るいことを避けなければならないのには理由がある。
昔、この町に電気が通ったばかりのころのこと。祭りも明るく盛大にと白熱投光器などをたくさん使った年があった。そのときは信じられないことに次々と灯りが壊れていった。あるものは蛍光管が割れ、あるものは電線がショートした。発電機から発火して、ボヤ騒ぎも起きた。さらにその翌年、雨が降らなくなり、田畑は痩せて作物がとれなくなった。濁った井戸水のせいで感染症が一気に広がって、老人も働き盛りも、幼子もバタバタ死んだ。それからは二度と人工灯を用いることはなくなったし、太陽が出るような日は間違っても開かれることはない。むしろ、ざあざあ降りの雨の日に開かれる年も少なくなかった。
わたしは闇夜に浮かぶ弟の顔を見つめた。彼は強い意思を湛えた目でじっとわたしを見上げている。納得する答えがないかぎり、彼は引きそうにない。わたしはやれやれと肩をすくめた。
弟が言う宮村のおじいさんは、わたしたちの住む家の裏に住んでいる。数年前までは西側集落の相談役だったくらい元気でしっかりしていたが、長年連れ添った奥さんが急死してからは、すっかり呆けてしまっている。わたしたち姉弟も幼いころからずいぶんとかわいがってもらっていて、祖母と宮村夫婦と仲がよかったのもあり、実の祖父のように思うところもあった。
でも、ここのところは顔どころか名前だってあやしくなってきている。弟はそんな宮村のおじいさんを「ちょっとネジが飛んでいるときもある」くらいにしか思っていない。今でも学校終わりに裏の家に寄って遊んで帰ってきているくらい、よくなついている。
弟にとって宮村のおじいさんは家族以外で唯一心安らげる拠り所だ。物心つく前に母を亡くし、父は夜遅くまで帰ってこない。いっしょに住んでいた祖母も三年前に不慮の事故で急逝している。中学生のわたしも彼が帰る時分に家にはいない。引っ込み思案で内向的な彼は友だち作りもうまくいっておらず、いじめの対象になっているようだと父が心配していた。
実際、弟はよく傷を作って帰ってくる。小学四年生にしては小柄で、線も細く、力がないからか、体格のいい同級生にひどく痛めつけられることも日常茶飯事のようだった。なぐられたような痕もあれば、どこかで転んだ擦り傷もあった。靴や服を泥だらけにして帰って来ても、彼は決して理由を言おうとはしなかった。泣き言ひとつこぼさない。町の西側に住む者は東側に住む人間になにをされても文句は言えない。それは明治大正を通り過ぎ、昭和、平成を越えて令和になった今でも変わらない風習だった。
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