第一章 わたしが殺しました

3/8
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/36ページ
 不審者に絡まれた翌日でもやることは変わらない。学生の登校時間を避けた午前十時、昨日とは逆方向へと足を運ぶ。駅から離れた幹線道路は自動車の往来が多く、人の目は粗くなる代わりに情報がひとところに集まりやすい。そう睨んでいた。  陽炎うごめくアスファルトの上を歩く。車の乗入口が作る隆起と沈降の繰り返しに、体力は少しずつだが確実に奪われていく。ときおり踏み入るコンビニの涼みも、聞き込みの結果と差し引きすれば歓迎はできない。ただただ疲労するばかりだ。  こんな日は何度も経験した。行動の対価が得られないことに今更失望したりはしない。だけどもう九月だ。未だに終わる気配を見せない夏と、手掛かりひとつ掴めない純玲の消息。この二つを表裏一体だと感じれば感じるほど、足取りは比例するようにして重さを増す。  元々焦りはあった。それを他人に見透かされたことで調子が狂った。  いつかは純玲に辿り着けると信じているのには変わりない。なんなら向こうから会いに来てくれると楽観視までしていた。その甘さを、あの男は名乗りひとつで暴いてみせた。  生死を問わない人捜しの専門家。言い換えれば、人捜しの対象は死んでいても構わないということ。ただ生存確認にのみ特化した探偵。誰に依頼されたかは知らないけれど、わたしとは前提が違いすぎて話にならない。  そう、話にならない。次に顔を合わせたって、何も言うことはないはずだった。 「朝から精が出るな、貴志未夏」  コンビニの駐車場で黒のセダンに背を預けたカタギを、最初は無視しようと思った。けれど不機嫌そうな彼の表情を見て、足を止める。 「そちらこそ、こんな暑い中ご苦労様です」 「気遣い痛み入るよ」 「で、なんのご用ですか」  やや自意識過剰とも思いながら、ほぼ確信をもって問いかける。カタギは上体を車から離して、わざとらしくため息をついた。 「事情が変わった」 「はい?」 「好きにすればいいと言ったが、それはあまりにも悠長だと判断した。お前のやり方を見ている限り、このままでは一生何も解決しなさそうだ」  何を言うかと思えば余計なお世話。様子からして依頼人に言わされているようだけれど、そんなのはわたしの知ったことじゃない。 「放っておいてください。それでは」 「ここの店員に聞き込みしても無駄だぞ」 「……先に訊いたんですか?」 「野暮な質問だな」  また一層大きなため息。 「俺みたいな不審者が女子高生を捜していたら通報案件だろうが」  それもそうだ、と同情したのが契機だったのかもしれない。わざわざ車外で汗を流しながら待っていた姿を見て、話くらいは聞いてやろうという気になってしまった。そして気づけばコンビニの隣のファミレスで注文を取ってもらっていた。  もちろん求めに応じた理由は他にもある。無視してしまうよりはとりあえず一度でも話を聞いておいたほうが、今後も付きまとわれる可能性が下がると思ったからだ。曲がりなりにも人捜しの専門家というだけあって、彼の目を掻い潜りながら活動するのも難しそうだ。 「参考までに訊くんですが、どうやって先回りしたんですか? 車で見回ったとか?」 「目撃情報を辿った」 「不審者は聞き込みできないんじゃなかったんですか」 「対象の素行が悪ければ話は別だ。探せば好意的に協力してくれる人もいる」 「へえ、変わった人もいるものですね」  アイスティーを飲みながら店内を見渡す。客の年齢層は高い。平日の午前中だから当然といえば当然だ。目立つのはわたしたちのほうだろう。居心地がいいとはいえない。 「気になるか?」  見透かしたようにカタギは言った。 「心配するな、誰も怪しんだりはしない。仮に気に留まったとしても訳ありだと勝手に解釈するだろう」 「その勝手な解釈が嫌なんですけど」 「余程俺が嫌いなようだな」 「逆にいつ好感度が上がるようなことがありましたか?」 「はは、まったくだ」  まるで気持ちのこもらない声を発するカタギ。 「正直なところ、お前が俺の言うことを素直に聞いてくれるとは万に一つも思っていない。こうして対話できる状況にあるほうが不思議だ」 「でしょうね」 「だからその礼に、お前の質問に答えてやる。本来は守秘義務だが、特別にな」  持って回ったような言い方だ。どうせ初めからそのつもりだったくせに。  でも悪い話じゃない。無償でヒントを得られるなら貰っておくに越したことはない。信用できない相手だけれど、腕は確かなようだから。 「質問はいくつでもいいんですか」 「ああ。好きなだけすればいい」 「彼女いるんですか」 「そういうのは教育実習生にでも訊け」 「いないんですか?」 「質問はそれで終わりか?」 「怒らないでくださいよ」  冗談の通じない人だ。冗談を言うわたしも大概だけれど。 「俺を傷つけたいなら後にしろ」  後でならいいのかとか、やっぱり彼女いないんだとか言いたい気持ちを堪える。意地悪をしたところで何かが満たされるわけでもない。むしろこんな形でしか反撃できない自分の幼稚さを恥じる。 「すみません」  気を取り直す。個人的な感情は今は要らない。 「カタギさんは純玲がどこへ行ったか、もう見当はついているんですか」 「十代の女子が行ける場所なんてたかが知れている。絞り切れてはいないにしても、候補はそう多くない」 「どのくらいかかりますか」 「遅くとも今月中には」  想像よりも早い。もっとも、そのくらい早くなければ捕捉は困難なのだろうが。 「純玲は遠くにいるんですか」 「含みがあるな。少なくとも死んではいない」 「そう言い切れるのは何故ですか」 「警察の動きが緩いからだ。推し測るに死んでいない確証があるんだろう」 「じゃあどうしてまだ見つからないんですか」 「可能性は二つある。上手く身を隠しているか、別の大きな事件に巻き込まれているか」  ごとん、とテーブルに山盛りのパスタの載った大皿が置かれる。店員が去るまで、無言の間。 「前者の場合は十中八九協力者がいる。失踪から二か月も経っているならなおさらだ。裏を返せば、その協力者を突き止めることで井滝純玲に辿り着ける。警察と通じている可能性もあるな」 「通じている、というのは」 「協力者が身元引受人である場合。井滝純玲が身近にある何らかの危険から逃れるために姿を消したとすれば、警察が行方不明という扱いで説明していることにも辻褄が合う」 「すごい」  素直に驚いた。まるで探偵だ……いや、本当の探偵なのか。  カタギはわたしの反応に顔をしかめつつ、トングでパスタを取り分ける。 「だがこの場合、井滝純玲を連れ戻すのは難しい。戻ってきたらまた危険に晒されるだけだからな。そこから先は俺が受けた依頼の外だ」  想像できないのは後者のほうだ。危険度でいえばより深刻だろう。 「別の事件に巻き込まれている可能性に、根拠はあるんですか」 「警察の動向だ」  いつの間にかパスタの山が減っていた。慌ててわたしも取り皿に三口程度キープする。その間にもカタギは坦々とパスタを口に含んでいく。 「意外と大食いなんですね。わたしの分がなくなりそう」 「……すまない。配慮がなかったか」 「いや、いいんですけど」  また調子が狂う。見た目に反して食べ方が子どもっぽく、咎めるに咎めきれない。  そこからはお互い無言で食事を進めた。昼食にしてはやや早い時間帯だったけれど不思議と食は進んだ。大皿からパスタがなくなってようやく話が再開する。 「これも推測になるが、警察は井滝純玲を泳がせている節がある。より大きな事件の全容を知るため、とかでな」 「それで純玲の安全は保障されているんですか」 「どうだろうな。事件の加害者と見なされているとみたほうが近いかもしれない」  加害者。そう言われて思い出す。嫌というほど、鮮明に。  ――ねえ未夏。もしも私が―― 「井滝純玲は人を殺した――それが本当なら、彼女は行方不明者ではなく指名手配犯として扱われるはずだ」  ――もしも私が、人を殺したらどう思う?
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!