第一章 わたしが殺しました

8/8

4人が本棚に入れています
本棚に追加
/36ページ
 我ながら都合の良い夢だと思う。純玲が誰かに見つけてほしがっているなんて、思い込みも甚だしい。彼女はわたしに何も言わず姿を消したというのに。 「思い込みで結構だろう。最初からお前のエゴなんだから」  夢の話をしたわたしを笑うこともなく、カタギは言った。 「お前の夢なんだ、お前にとって都合の良いようにできていて当たり前だろう。それを誰かの意思だとか、神のお告げだとか言ってるやつは頭がイカれてるんだよ」 「だとしたら、わたしはもっと自分に失望します」 「なぜだ?」 「本当にあの子のことを思うなら、あんな悲しい思いをさせるような夢は見ちゃいけなかったから」  昨年の十一月。その頃には既にわたしと純玲は出会っていた。あの夢は、わたしと純玲の夢だ。  あれが自分の意思で見た夢なら、あの子の孤独な姿を、わたしにとって都合の良い状況だと心の奥底では思っていることになる。 「ひょっとしたら、わたしは彼女の安否なんてどうでもいいのかも」 「弱気だな。たかが夢ひとつで」 「笑ってください」 「笑わねえよ」  面白くもない、とカタギは吐き捨てるように言い、片手で包み紙を開いてガムを口に含んだ。  共に行動を始めてから、彼が煙草を吸っているのを一度も見ていない。  神待ち掲示板を発端とする聴取は連日行われた。だが新たに判明したことはそう多くない。  カタギによると純玲は掲示板を使って宿泊場所を決めていた可能性が高く、その掲示板ではミナツと名乗っていたという。なぜ偽名をわたしの名前にしたのかは定かではないが、何の理由もなくその名前を使ったわけではないだろう、と言っていた。それこそ都合よく考えれば、未夏に自分を見つけてもらいたいというメッセージだと取ることもできる、とフォローになっているのかなっていないのか微妙な補足までつけていた。  肝心の聴取で得られた最も大きな収穫は、少なくともミナツというハンドルネームの自称少女を見たものはいない、ということだった。匿名で神待ちをしているIDは敬遠されがちで、偽名でも呼称がはっきりしているほうが『契約』も成り立ちやすい。  今掲示板の利用者に直接聞いて回っているのは、実際に彼女を泊めた人物を突き止められれば御の字、それが無理でも目撃された時間を特定できれば足取りを特定しやすくなるからだ。掲示板上ではログが残ることから聞けないこともある。個人の特定がご法度であることから、コンタクトを取るのも易々とはいかない。それなりのストーリーを絡め、グレーゾーンをまたいでようやく、なのだろう。  それらの機略や交渉についてカタギは何も言わないが、並大抵のことではないのだと思う。人捜しの専門家という肩書を差し引いても、彼が本当に有能な人であることを、わたしはもう疑っていなかった。 「大丈夫か」  カタギがそう声を掛けてきたのは聴取開始から一週間経った日の昼下がりだった。お手洗い休憩に立ち寄った道の駅で、特産品らしい梨の移動販売車が停まっている。その隣の自販機の横で、彼はぼんやりと空を眺めていた。 「どうしたんです、急に」 「単純な確認だ。いちいち気味悪がるな」 「大丈夫は大丈夫ですが、気遣われるようなことに心当たりがないもので」 「それは何より」  心配して損した、なんてことを言うわけでもなくカタギはまたガムを口に投げ入れる。最初の頃は板タイプのチューインガムだったが、合わなかったのか最近はもっぱら粒状のガムだった。 「そんなに頑張らなくてもいいのに」 「ああ?」 「そのガムですよ。煙草吸いたかったら吸ってくれればいいのに。わたしは気にしません」 「別に頑張ってはいない。なんとなく禁煙したい気分だっただけだ」 「ふふ、なんですかそれ」  カタギの視線の先を追う。未だに秋の兆しの見えない深い青と、西の空に浮かぶ千切れ雲の群れ。その中間を飛行機が境界線を引くように飛んでいく。 「意外でした。気遣いなんてしなさそうに見えたから」 「もっとぞんざいに扱ってほしいならそうするが」 「そうですね、お願いしましょうか」 「は?」 「冗談です」  からかうとカタギは少しむっとした表情をする。いつも無地のキャンバスみたいな顔をしているから、僅かな機微でも貴重だった。  この人はわたしの母にも頭が上がらないんだろう。言葉を額面通りに受け取りがちだし、逆に言葉にしない感情などに対してはかなりズレている部分がある。根が素直なわりには斜に構えていたり、気遣いはあっても見当違いなところは、要改善だと思うけれど。  結局カタギは煙草を吸うこともなく、母への土産ということで梨を二個買ってから車へ戻った。わたしも自販機で買ったミネラルウォーターを持って後に続く。  こんな日々もいつかは終わる。どんな結末が訪れてもそれは変わらない。  何食わぬ顔で居座る夏ですら、水面下では交代の準備を進めている。 「今日も空振りでしたね」  帰りの車中、いつにも増して口数の少ないカタギに向けてそう話しかけた。カタギは「ああ」とだけ返してまた黙る。きっと頭の中で今日の反省会でもおこなっているのだろう、とすぐに察した。  今日対面したのは比較的危ういタイプの人ばかりだった。初日の一人目のように交渉条件を最初から提示していて、かつその条件の履行を場合。彼らはなぜか約束を守ってくれると思い込んでいて、もしも話の途中で逃げられたらという想定をしない。カタギ曰く「下心のある男の思考回路はそういうもの」だそうだが、こちらを信用している相手を騙しているようで良い気はしなかった。  そもそも詮索している立場で言えたことではないのだ。大抵のことは覚悟していたし、時には人を騙す必要があることも承知している。露悪的に言えば、詐欺に加担しているといっても過言ではなかった。  わたしは被害者でもなんでもない。この捜索においては交渉材料として価値があり、わたし自身もそれを良しとしている。  主犯がカタギだとしたら、わたしは共犯者。  響きは案外悪くない。 「まあ明日も頑張りましょう」 「そのことだが、未夏」  ちょうど赤信号に停車したタイミングで、カタギは視線を正面に向けたまま言った。 「掲示板から足跡を辿るのは今日が最後だ」 「それはまた急ですね。どうして?」 「掲示板を出禁になった」  思いのほかシンプルな理由だった。いつかは来るだろうと思っていたことでもある。 「やろうと思えば他の端末を使ってアクセスもできるが、ひとつのアドレスがブロックされたということはもう潮時だろう。ここまで長続きしたことが不思議なくらいだからな」 「そういうものなんですか」 「とっくに掲示板の通報窓口で報告はされていたんだ。家出少女の特定をしようとしている二人組がいるって、複数人からな」 「わたしたち、話題の人だったんですね」 「指名手配犯としてだがな」  信号が青に変わり、発車する。 「おそらくあの掲示板は閉鎖される。間を置いてまた復活するだろうが。そうなったら俺たちのことも有耶無耶になる」 「……カタギさんが通報したんですか?」 「ああ」  カタギがしなくても、遅かれ早かれ警察へ通報されていただろう。あるいは既に警察も把握していて、立件のための証拠を掴むために泳がせていた可能性もある。よく似た事例を以前にも聞いていたから、そこまでは自然と想像できた。  青少年の保護と育成を目的とする条例。わたしたち未成年はそのルールに則って守られている。たった一文も知らないようなルールによって。 「これまで会ってきた人たち、悪い人ばかりじゃなかったです」 「そうかもしれない」 「掲示板が閉鎖されて、困ったりするんでしょうか」 「あいつらに同情しているのか?」 「どうだろう、わかりません。ただ、あの人たちの縋るものをひとつ奪ってしまったような気がするんです」  彼らの全員が法に触れていたかどうかを確認はしなかった。その確証があれば強請(ゆす)ることもできたかもしれないのに、あえてカタギはその手法を取らなかった。そこには彼なりのちゃんとした理由がある。 「やっていることは確かに間違っているかもしれません。だけどそうすることでしか正気を保っていられない人は、どうすればいいんでしょう」 「……お前は、少し他人に感情移入しすぎだ」  カタギは左手で空調の風量を調整する。強まった風が手首から袖口へと駆け上がり、腕をひんやりとさせる。 「そろそろ休暇が必要だな。明日、明後日は自宅待機してろ」 「カタギさんも休んでください。ひとりで捜索を進めるのはだめですからね」 「そんな疲れる真似するかよ」 「なんて言って、あなたが顔に似合わず仕事熱心なのはわかってるんです」  純玲の捜索に関して単独行動をするなら事前に申告する約束。家に母がいるわたしと違い、カタギはわたしに知られず調査を継続できる。信用はできない。 「ワーカーホリックなのかもしれませんが、お休みも立派なお仕事ですよ」  自分で言っておきながら、なんだかおかしな気分になった。少し前までは急かしていたのが、今はお節介にも休息を勧めている。いつの間にか変わっている自身の心境に、他でもないわたしが驚いていた。  この一週間で互いの人となりがわかってきたからかもしれない。第一印象と先入観が抜けた今だから見えてきた一面もある。私がそう思うのだから、あちらだってそうだろう。  けれど、それだけじゃない気もする。カタギがわたしの従兄だというのなら、過去に面識があってもおかしくはない。  あるいは、もっと別の、違う縁があるのかも―― 「わたしも疲れました」  いささか考えすぎだ。二日間しっかり休めば、この曖昧な引っかかりも解消できると思いたい。  カタギはそれから話すこともなく、黙々と車を運転し続けた。わたしは暮れていくグラデーションの空を窓から眺めながら、だんだんと沈む意識を持て余していく。  おやすみなさい。  その言葉が実際に自分の口から発せられたものなのか、それともわたしの頭の中でだけのつぶやきだったのかはもう、覚えていない。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加