麦の音

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「走ってみてよ」  俺が何を言おうと言うまいと、どっちにしろ麦が選択する行動はひとつだけ。走らない。 「走ってみれば?麦が店員に注意されるの、陰から見ててやっから」  だから俺は意地悪をした。ほらっと麦の肩を軽く押し、それでもスタートを切らない彼女に「行け行け」と、ガキみたくしつこく催促して。 「走らねえの?だったらできもしねえこと、言うなし」  と、最後にもう一度だけその薄い肩を押した時、麦はその場に崩れて落ちた。 「え……」  左胸辺りを鷲掴み、無機質な床で苦しそうに悶える彼女。 「う、嘘だろ麦……?え、え、なんでっ……」  本屋では普段耳にしない、人間が勢いよく身体を打ち付けた音の元へ続々と駆け寄る人々。大変だ!や、救急車!と叫ぶ誰かの声。静寂から一転、喧騒に包まれた店内で俺はただひとり、呆然と立ち尽くすだけだった。
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