麦の音

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 麦が左胸を鷲掴み倒れた姿をこの(まなこ)で見てしまった俺は、彼女の心臓の虚弱さを痛感した。 「だからべつに、あれは大地のせいじゃないんだってば。少しくらい私が走ったら、観念した大地にプレゼント買って貰えるかもって思っちゃったの。だけど走るのは心臓に負担かかるかな、なんて思いもあって、どうしようどうしようって考えてたら、勝手にこの貧弱なハートがドキドキしちゃったのっ。そしたら苦しくなって倒れちゃったのっ」  麦が本屋から救急車で運ばれた数日後、花火大会当日の海辺。未だにその時のことを引きずる俺に対し、彼女はけろりと言ってくる。 「だから大地、その目やめてくれる?」 「その目?」 「まじで悪かった、すんませーんって目」 「いや、でも」 「ついでにそのへの字に曲がった口もやめて。なんか見てるだけで、心臓に悪い」  俺の口端を(つま)んだ麦は、無理にそこを(ほぐ)してくる。 「大地、笑って」 「はひ」 「ええ?」 「はひ!!」 「あはははっ」  敵わない、敵わない。俺はおそらく一生麦の下っ端。だけどそんなポジションも、意外と居心地が良かったりして。 「20パーセントと80パーセント、大地だったらどっちを信じる?」  花火大会特有の人混みを避けた俺等は、大会の会場よりもうんと遠くの砂に腰を下ろした。賑わう屋台からも仮設トイレからも離れたこの界隈(かいわい)は貸切かもと淡い期待を寄せていたが、残念ながら、そういう輩はちらほら居た。中継の為に宙を彷徨(さまよ)うヘリコプターの操縦士からは、肌に近い色した砂の上、俺等は点々と散りばめられた黒子(ほくろ)の様に見えただろう。 「なにその愚問。はい、麦の番」  花火打ち上げまでは後三十分ほど。その(かん)山崩しでもやろうと提案してきたのは麦の方。浜に転がり落ちていた一本の枝を砂で作った山へと突き刺して、俺等は向かい合って座っていた。枝を倒せば負けるゲーム。砂を(えぐ)る手は慎重だ。 「そう?愚問かなあ?」  砂山に目を落とした麦はそう聞きながらも、注意深く丁寧に両手を動かす。 「私は愚問だとは思わないけど。はい、大地の番」  ゲームを開始してから三ターン目。枝は斜めに傾いていた。
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