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その日からの俺は、幾度も他者のベルに騙された。
「麦!」
チリンチリン チリンチリン。
そんな麦ご登場の音が聞こえれば窓を開けるのに、そこに彼女の姿は微塵もなく、肩を落とした俺は縋る様に名前を呟くだけ。
「麦……」
窓の外の景色が鉄筋コンクリートだったら、ここまで虚しくはならないのだろうか。これほどまでに、悲しくも。何故なら自室から見える空があまりにも悠々自適すぎるから、こっちは参ってしまうんだ。何の束縛を受けることもなく、ただ好き勝手に青くなったり赤くなったり星を纏ったり。病気の心配なんかミクロもない空なんて、ほんと、羨んでしまうよ。
麦が突として海を求め始めたのは、その向こう側にある遠国を感じていたのだろう。遥か遠い国だけれど、ちゃんと繋がっているのだと、この風も波も全部アメリカ産なのだと自分へ言い聞かせ、不安になる気持ちを解消しようとしていたのかもしれない。
麦が日本を発ち、ひとりになってから数ヶ月が経過しても、俺はあの海辺へ足を運ぶ。
秋めいた風が、身体を冷やす。冬の北風が、心をも冷やす。海までの道のりに、腰へあてられる温もりはもう存在しない。
凍てつく波をパシャンと蹴ると、陽の反射を受けた水飛沫が宝石の様にきらきら煌めく。その一粒を捕まえて、願いを込めて、俺は更に遠くの沖へ放り投げる。
「麦ー!日本産の波、ちゃんと届いてるかー!?俺が触った海、麦も触れてるかー!?」
海へ向かって大声で話しかける。青春映画さながらの光景に、集めた視線など気にならない。麦に届けばそれで良い。俺はアメリカ産の風を吸い、言葉を乗せて彼女へ返す。
「麦頑張れー!必ず戻ってこいよー!バイク磨いて待ってるからなー!絶対絶対、約束だぞー!!」
絶対絶対、死ぬなよ、麦。
叫び続ける俺の頭上、夏より穏やかな太陽が、きっと俺等ふたりを見守っていた。
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