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「そういやあさー、俺何度か麦のせいで、小っ恥ずかしい思いさせられてるんだけどー」
厳しい光線を浴びせて来る太陽と睨めっこをしながら、する会話。自転車で風を切っているとどうも語尾が伸びてしまうのは、俺と麦だけの癖なのだろうか。
「なにー?」
「麦さー、いつも俺に用がある時、自転車のベル鳴らすじゃーん」
「うんー」
「だから俺にとってはさー、部屋の外から聞こえるベルが全部麦の音に思えんのよー」
「えー、そうなのー?」
「昨日もさー、夜にチリンって外で鳴ってさー」
「うんー」
「なんだよ麦、って窓開けたら誰もいなかったー」
「あはははっ。ただ自転車で通りすがった誰かが鳴らしてたってことー?」
「そうー」
「ウケるー」
早朝のベルは少し勘弁して欲しいけれど、それ以外はウェルカムな俺。だから小っ恥ずかしい思いをした後は、決まって落胆してしまう。ああなんだ、麦が俺に逢いに来てくれたわけじゃなかったんだって。
腰の温もり、愛おしい。
麦の笑い声は、この町で一番最初に羽化した蝉の声と重なり耳へ届いた。
「それ何回くらい経験あるのー?」
「十回くらいー」
「あははははっ、超多いじゃーん」
ミーン ミーン。
まだたった一匹の蝉の声。この時の俺はまだ、知らずにいた。この町が蝉たちの大合唱で包まれる頃には、麦と離れ離れになるなんて。
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