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 兄は大学時代にカメラマン助手のアルバイトをしていた。このまま山岳カメラマンになるのではないかと、思う程に兄はボロボロの軽自動車で日々大学の合間をぬって山に通い、 風景写真を撮影していた。一人暮らしをして、地方大学に通う兄の部屋に何度か遊びに行ったことがあるが、ワンルームの部屋に入って驚いたのは、キッチンのある水回りが現像用の暗室として改造されていたことだった。部屋には風呂もトイレもなく、すべて共同だった。料理はどうしているのかと聞くと、兄は霞を食ってるのさと気障に笑った。ひどくやせているわけでもない兄は霞を食べていたわけでもなく、コンビニ弁当や外食をしていただけなのだと今思えばわかるのだが、当時はなんとなく様になっていて、このままプロの山岳カメラマンになるのだろうと私はぼんやりと思っていた。 大学四年になると兄は憑き物が落ちたかのようにカメラのことを話すことはなくなり、大学卒業と共に都内市役所の職員となった。入職するとカメラのことを話すことはなかった。当時私はそんな兄にがっかりとした気持ちを抱いた。それはカメラマンをあきらめたことに対して。挑戦し続けている兄は生命を謳歌しているように見えた。入所と共に兄が努力する姿は影を隠し、その勢いが失われた様を見ると、何燻ってんだという憤りを感じずにはいられなかった。まだ高校生の私である。何かに対する憤りを感じずにはいられない年頃だったのだ。なぜ兄は山岳カメラマンを目指すことをあきらめて市役所に入ったのか。今や結婚し、家庭を築いている。何が正しかったか私にはわからない。六年前の自分を探しに行くと言い残し、失踪した兄は八幡平の山奥で何を考えていたのか、なんとなく兄の考えの見当はついていたが、それを兄に質問する機会はなく、私は大学卒業と就職を迎え、兄の失踪は過去の出来事となった。両親もまた、兄の失踪を口にすることはなくなっていた。
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