君が好きだからーーー

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君が好きだからーーー

それから数時間後。 僕は、再びハナのいる病院を訪れた。 歯も磨き、風呂も入り、洋服も着替えた僕。 僕の心に、もう迷いはなかった。 僕が最初に向かったのはハナの病室ではなく、ハナの病棟のナースステーションだった。 ハナの病名、そして病気のことを全て聞くために。 しかし、こう言われた。 「師長の川越(かわごえ)です。患者さんの詳しいお話は、ご家族の関係者の方しかお教えできないことになっているんです。失礼ですが、あなたはどういったご関係ですか?」 その質問に、僕は迷いなくハッキリとこう答えた。 「彼女の婚約者です」 そう。 彼女は、僕が結婚したいと願っているたったひとりの愛する人だ。 僕にとっての、最愛の婚約者だ。 「ーーーわかりました。どうぞこちらへ」 師長の川越さんが、優しい眼差しで静かに小さくうなずいた。 「……ありがとうございます」 僕は深く礼をして、師長のあとをついて行った。 「ここでお待ち下さい。今、担当の先生が来ますので」 「はい」 空いている診察室に通された僕は、丸い患者用のイスに座った。 僕は、大きく深呼吸した。 覚悟していた。 なにを言われても、どんな過酷なことを聞かされても、全てを受け入れると決めたから。 そして、静かにドアが開き、ハナの担当医師が入ってきた。 「どうも、お待たせしましたね」 白髪混じりで、長年の経験と実績を積んだベテランの風格漂う医師だった。 「……よろしくお願いします」 僕は立ち上がって挨拶した。 医師がイスに座り、電気のついたパネルにレントンゲン写真を差し込んでいく。 そして、しばらくそれを見つめたあとに、静かに僕の方を向いた。 「あの……。ハナの……彼女の病気はなんなんですか?詳しく教えて下さい」 僕は、膝の上でこぶしをぐっと強く握った。 僕が息を呑んで医師の言葉を待っていたら、その医師は穏やかな口調で僕に訊いてきたんだ。 「君、いくつだい?」 「え?あ……26です」 僕が答えると、医師は少しだけほほ笑んで言った。 「若いなぁ。まだまだ人生これからだな」 「はい……」 「君、彼女の婚約者だそうだね。……彼女はこのことを知っているのかい?病院にはね、守秘義務というのがあってね。安易に患者の情報を教えることはできないのだよ」 「……彼女が僕に言いました。自分の病気はもう治らない、自分はもうすぐ死ぬのだと。僕は、ちゃんと彼女のことを受け止めたいと思っています。ーーー僕は、彼女の婚約者です」 僕は真っ直ぐ医師を見た。 「……さしでがましいようだが、君にはまだ長い長い人生がある。希望に満ちた未来が待っている。これからのことを、もう一度よく考えてごらん。それでも彼女のそばにいると言うならば、私は君に彼女の病気の進行状態を話そう。少しでも迷いや不安があるのならば、私の話は聞かない方がいい」 おそらく、どんな結果でも受け入れられる覚悟があるのかないのか。 僕達の関係がそこまでのものなのかどうか。 医師は確かめているのだろう。 でも、もう不安や迷いはない。 どんなことがあっても、ハナのそばにいるんだ。 一緒にいたいんだ。 ハナをひとりになんてさせない。 僕は、医師の目を真っ直ぐに見つめ、キッパリと言った。 「ーーー夕べ、ひと晩中泣き続けました。そして、改めて自分の気持ちを確信しました。彼女は僕にとって大切な人です。彼女といることが僕の幸せなんです。彼女のためにできることがあるのならば、僕はどんなことでもしたいと思います。そのために、僕は彼女のことをきちんと知っておきたいんです。なにを言われても、受け入れる覚悟はできています」 そんな僕をしばらく黙って見ていた医師が、小さくうなずいた。 そして、優しい目で僕を見てこう言った。 「ーーー彼女は幸せ者だね。君みたいな素敵な彼がいて」 それから、静かにカルテを開いた。 ハナの病名は、ガンだった。 左腕の痛みの原因。 それは、間接付近にできた悪性の腫瘍、骨肉腫(こつにくしゅ)だった。 つまり、それが最初のガンだった。 ガン細胞は、ハナも僕も知らない間に着実にハナの身体をむしばんでいったのだ。 転移だ。 肺、肝臓、乳腺ーーーー。 ガン細胞は、ハナの身体中に転移していた。 若さゆえの進行の速さ。 「彼女は、長くは生きられないーーーー」 僕の目をそらさずに真っ直ぐ見つめながら言った医師の言葉が、僕の胸の中に染み込むように静かに入っていった。 もっと早く気づいていれば。 なにか違っていたのだろうか。 そう過去を悔やんでも、どうしようもない。 これが今の現実なんだ。 目を(そむ)けてはいけない。 これが僕らの『今』なんだ。 僕は、最後まで医師の目をそらさずに話を聞いた。 そして、全てをこの胸に受け入れた。 ハナの全てをーーーーー。 コンコン。 僕はハナのいる病室を訪れた。 ドアを開けると、驚きと戸惑いの表情で僕を見るハナの姿があった。 「トオル……」 僕はハナが寝ているベッド脇のイスに座った。 そして、そっとハナの手を取った。 「ハナ。一緒にいよう。ずっと一緒にいよう」 「……言ったでしょ?私はもう今までのようにはいられない。これ以上トオルに迷惑かけたくないの。お願い、私の気持ちもわかって……」 ハナが静かに顔をそらす。 「ハナは僕のことがイヤになったの?一緒にいたくなくなったの?」 僕の言葉に、ハナがこっちを向いた。 「イヤになるわけないでしょっ?好きに決まってるでしょっ⁉︎ 好きだから……!だから……」 ハナの目からこぼれ落ちる、大粒の涙。 「だったら一緒にいてよ。僕と一緒にいてよ。 僕はハナといたい」 僕はハナの手を優しく握り直した。 「さっき、担当の先生と話してきたんだ」 「え?」 「僕がお願いしたんだ。ハナの病気のこと、詳しく教えて下さいって」 「病気のこと……聞いたの?全部……?」 ハナの瞳が不安げに揺れている。 僕は静かにうなずいた。 「一緒に生きよう。ハナと一緒にいたい。……だって僕は、ハナのことが好きだから」 無言のまま、ポロポロとこぼれ落ちるハナの涙。 僕はその涙をそっと手でぬぐった。 僕は希望は捨てない。 例えどんなことがあっても。 ふたりで前を見て生きていけば、きっと後悔はないと思う。 ふたりで一緒にいられれば。 それだけで、僕らは幸せだ。 「……トオル」 ハナが、(かす)れそうな声で僕に言った。 「……私、たぶん変わっていくよ……?見た目も身体も……。それを想像するとね、怖くて怖くてたまらないの……。自分でも、まだ受け入れられないの……ーーー。だから、きっといっぱい泣くかもしれない。トオルを辛い気持ちにさせてしまうかもしれない。……それでも、私と一緒にいてくれるの……?」 「当たり前だろ。僕とハナだよ?離れる理由も、別れる理由もどこにもない」 「トオル……」 僕を静かに抱きしめるハナの華奢な細い腕が、ほのかにあたたかい。 「ハナ、もうひとりで苦しまないで。僕がいるから。なにがあっても、ずっとそばにいるから。だからもう心配しなくていい。大丈夫」 僕は笑顔で言った。 「トオル……。ありがとう……」 ハナの久しぶりの笑顔。 涙の跡がまだ残る、向日葵の笑顔。 僕の大好きな笑顔。 涙が出るほど、今日も彼女が愛おしい。
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