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最悪で最高の誕生日
僕がハナと出会ったのは。
今から3年前の8月7日。
僕の26回目の誕生日だった。
みんなから『おめでとう』と言われ、彼女とふたりでシャンパン片手に素敵な26歳を迎えるーーー
ハズだったのに!!
その日の僕ときたら、最悪だった。
なんと、誕生日当日に1年半つき合っていた彼女に突然フラれ。
おまけにそのショックから仕事でとんでもないミスを犯し。
取り引き先の企業からひどくクレームが入り、上司にさんざん怒られ。
罰としてみっちり余計な仕事を押しつけられ。
順調に仕事が片付けば、夜19時には帰れたところを、結局深夜近くまでポツンと残業……。
という、えらく惨めな1日を過ごしたのである。
会社を出た頃には、腕時計の針は23時38分を指しており、あと少しで日付けも変わろうとしていた。
最悪の誕生日……。
僕は深いため息をつき、ガックリ肩を落としながら歩いていた。
そもそも、なんでいきなりフラれたんだ?
トボトボ歩きながら、僕は考えた。
「…………………」
思い当たるフシが全くないでもなかった。
仕事の忙しさを理由に、ここのところ彼女とろくに連絡も取っていなかったのは事実だ。
お互いひとり暮らしだったけど、家もけっこう離れてたところにあって、ここしばらくはずっと会っていなかった。
まぁ、それでも僕的に『寂しい』とか『会いたい』とか。
そういう気持ちにさほどかられなかったということは、正直そこまで夢中になってた恋愛ではなかったのかもしれない。
おそらく向こうもそうだったんだろう。
彼女は僕より4つ年下の女の子で、まだ結婚に焦る時期でもないし、まだまだ遊びたいお年頃だろうし。
そしてなにより、僕より他にもっといい男がいると思ったんだろう。
友達の紹介から、お互いひとり身の寂しさを埋めるためになんとなくつき合い出した僕と彼女。
その彼女は、僕の26回目の誕生日の今日。
『気持ちが冷めちゃった。友達に戻ろう』と言い残し、笑顔で僕の元から去っていった。
さほど夢中になっていなかった彼女とはいえ、いなくなったらなったでやはり寂しいというか、侘しいというか……。
しかし、僕と別れることに関してみじんも寂しそうでなかった彼女。
むしろ、清々しささえ感じられたのは気のせいだろうか。
いや、気のせいではない。
仕事の昼休みに突然僕を呼び出し、別れを告げた彼女の笑顔には、もはや僕のことなど眼中になく。
これから始まるであろう新たな恋にワクワクしている楽しげな表情だった。
それにしたって。
なんのためらいもなくこんなにあっさり去っていくなんて。
僕は一体なんだったんだ?
そんなに魅力のない男だったのか?
しかも、よりによって誕生日の日にフラれるなんて。
彼女は、僕の誕生日と知っててあえて別れを切り出したのか。
それとも、そんなことすら忘れてて、たまたま今日別れを切り出したのか。
どっちにしても、やたら惨めな僕。
「はぁ……」
また深いため息が出た。
と、その時だった。
後ろからなにか迫ってくる気配。
「?」
振り向くと、この暗い夜道の中ライトもつけずに突っ走ってくる自転車が1台。
僕のいるとこめがけて突進してくるではないか。
「えっ?」
な、なんだっ?
お、おいっ!
「えっ。キャーーーッ」
「うわーーーっ!!」
キキキーッ!!
ガシャンッ。
あまりの突然の出来事で、一瞬頭が真っ白になってしまった僕。
でも、危機一髪のところで僕はよけきり、アスファルトにちょっと手を擦りむいた程度で大したケガもしていなかった。
な、なんだぁ……?
バクバクいっている心臓をおさえながら横を見ると、白い自転車が見事に倒れていて、カラカラと音を立てながらタイヤが回っていた。
そして。
その自転車の奥で、痛そうに足をさすっている女の人の姿が見えた。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
僕は立ち上がり、軽くスーツの汚れをはらってから急いで彼女の方に歩み寄った。
すると、ハッと我に返ったように彼女が顔を上げた。
「あっ!す、すみませんっ。私、ぼーっとしててっ……!」
ずいぶんなぼーっとし具合だ。
内心そう思いながらも、ペコペコ頭を下げながら必死に謝る彼女を見ていたら、不思議と怒る気持ちも全く湧かなかった。
「ホントにすみませんっ……!あの、ケガされてないですかっ?」
慌てて立ち上がった彼女が、心配そうに僕に訊く。
「僕は大丈夫ですよ」
そう言いながら、僕は彼女の顔を見てハッとした。
目が真っ赤で、涙の跡が見える。
泣いていたの……?
僕が言葉に詰まって彼女を見ていると、彼女はさっと顔をそらした。
「ホ、ホントにすみませんっ」
そう言いながら、落ちている僕のカバンを拾って笑顔で渡してくれた。
その彼女の明るい笑顔に、自分の胸が大きくドキンと鳴ったのを、僕は確かに感じていた。
「ど、どうも……」
カバンを受け取りながらふと視線をそらすと、ヒラヒラした膝下くらいまでの長めのスカートを履いている彼女の足から血が滲んでいるのが目に入った。
擦りむいていて傷口もかなり大きい。
「あの……足、大丈夫ですか?血が出てるけど……」
「ああ、平気です」
泣きはらした顔のままで笑う彼女。
なにがあったんだろう。
なにか悲しいことがあったのだろうか。
僕は、密かにそんなことを考えていた。
そんな僕の横で、痛々しい足を引きずりながら彼女は自転車を起こしている。
彼女の細い足からは、どんどん血が滲んでいる。
けっこう深く擦ったらしい。
あれは相当痛いハズだ。
僕はすぐ近くにあるコンビニに目をやった。
わずか数メートル先、目と鼻の先だ。
「ちょっとコンビニに行きましょう。消毒くらいはしといた方がいいですよ。そのまま放っておいたら傷口にバイ菌も入るし。僕がこぐので、ちょっと後ろに乗っててくれます?」
「えっ?」
僕は、落ちている彼女のバッグや紙袋の荷物などを自転車のカゴに入れ、少し低いサドルにまたがりハンドルを握った。
目をパチクリして驚いている彼女。
「さ、早く。すぐそこですから」
「あ……。だ、大丈夫ですっ。ホントに……」
ブルブル頭を振る彼女。
「大丈夫じゃありません。けっこう深いですよ、その傷。見るからに痛そうです」
僕がちょっと笑って言うと、少しの間戸惑っていた彼女もかすかに笑った。
「……じゃあ、お願いします。すみません」
「気にしないで下さい」
そうして、僕と彼女は近くのコンビニに走り、消毒液とガーゼと包帯を買って簡単な応急処置をしたんだ。
「ホントにありがとうございました。おいくらですか?今お支払いします」
コンビニの外のわずかな駐輪スペース。
その隅の石段に座っていた彼女が、よろめきながら立ち上がり、自転車のカゴから自分のバッグを取り出そうとした。
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