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「……そう言えば僕、駅裏の輸入品スーパーマーケットの面接受かったよ。店長さんがフランス人でさ。妙に気が合ったんだ」
「そう。よかったわね」
軋むベッド。
弾む息遣い。
男と女は向かい合って重なり、微笑みながらキスを交わした。
「じゃあ明日から美味しいフランスパンが毎日食べられるのね」
女が長い髪を掻き上げながら言うと、その裸体を下から抱きしめた男が、その桜色の乳房に唇を這わせる。
「アスパラガスのキッシュもだよ」
その微笑んだ顔を、女の両手が包む。
2人は再度キスを交わした。
今度はもっと深く。
もっと激しく。
そこで枕の下に置いていた男の携帯電話が鳴った。
13年前。
「お父さんを殺してしまいました」
琥珀が震える姉の代わりにかけた電話に駆けつけてくれた刑事。
琥珀から事情を聞き、一緒に死体を台所の床下に埋めるのを手伝ってくれた彼のネームプレートを見たのは一瞬で、幼かった琥珀はずっと【原田】だと思い込んでいた。
先日、軽井沢に迎えに来てくれた彼は検問を共に通り抜け、2人を安全なところに匿ってくれ、偽造の名前と戸籍を与えてくれた。
これからも、世に放たれた犯罪者の撲滅に協力することを条件に。
彼女は嫌がるかと思ったが、全ての記憶を取り戻した後は、意外にもすんなり運命を受け入れた。
そして彼と2人で生きていくことを選んだ。
名前は失った。
故郷も失った。
それでも2人はこれからもずっと一緒だ。
男はディスプレイに表示された【小田原】という字を見ながら笑った。
「ーー仕事だよ。姉さん」
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