2人が本棚に入れています
本棚に追加
家族旅行の写真。
家でふざける写真。
ビデオ。
何を見ても4人家族。
父と母と俺と弟。
それだけだ。
兄などいない。
それは明確な記憶のはずなのに。
でも一方で、夢というにはあまりに鮮明な、兄の存在も覚えている。
それに気づいたのは、大学生になって実家を出てしばらくした頃だった。
新しく出会う人々に、兄弟がいるかと聞かれて、弟が一人、と答えるたびに。
そうだ、兄などいなかったはずなのにと。
違和感が募った。
想像上の友のような。
想像上の兄だったのだろうかと思っていた。
就職して2年が経って。
盆に久しぶりに帰省すると。
弟のカズヤが古びた星空図鑑を広げていた。
「ただいま」
「おかえり」
カズヤの手元が気になる。
「それ」
「うん、兄ちゃんの図鑑、
ずっと借りパクしてたわごめん」
「や、いいけど」
中学高校と天文部に所属したカズヤは、研究発表で賞をもらって、私学の理工学部に進学して宇宙物理学を専攻している。
懐かしげに眺めていた。
「そうそう、
冥王星が惑星から外された時も、
兄ちゃんが教えてくれたっけ。
ここのページ見せながら」
「それ、俺のだっけ…」
記憶が。
兄が見せてくれた。
読み上げてくれた。
逆さまでも読むのが上手で…
「兄ちゃんのだよ。
よく読んでくれてたじゃん」
「兄ちゃん…」
「え?」
料理している母と、それを手伝う父も止まる。
おかしい。
でも、そう呼んだ記憶が確かにあった。
「俺、俺に兄貴なんかいなかったよな…?」
母を振り返る。
「でもなんか、
子どもの頃から繰り返し見てた、
夢なのかもしんないけど、
俺にも兄ちゃんがいた気がするんだ…
図鑑を読んでくれて、
円周率を使って地球の直径を計算したり、
天の川が銀河の中心の方だってこととか、
なんで流星群が毎年同じ時に降るのかとか、
なんで種子島から打ち上げるのかとか、
教えてくれたり…」
「それ、兄ちゃんだよ」
カズヤが言う。
「いや、
俺じゃなくてその上にさ」
「ううん。
これ、兄ちゃんが読んでくれたんだよ。
逆さまで読むの上手かったじゃん」
裏表紙に。
ササキケイスケと。
名前がある。
「俺が3年の時でしょ?
兄ちゃんが6年。
絵日記に書いたの覚えてるもん。
兄ちゃんが図鑑で教えてくれたこと、
全部書こうとして、
入らなくって、
母さんが紙を別に用意してくれて、
先生からも褒められて。
それからだよ。
父さんが天体望遠鏡買ってくれて、
毎年夏の課題で天体観測して。
中学も高校も迷わず天文部にして」
父ができた料理を運んでくる。
母はビールを。
「ケイスケ、昔からそういうとこあったかも」
「そういうとこ?」
席についた母はビールに口をつけながら。
「カズヤは言葉が出るのが遅くて、
マイペースであんまり友だちできなくて。
でもケイスケ、
カズヤが何も言わなくても、
何が言いたいのか全部分かってるの。
カズヤが困ってると一人だけ気づいて、
いつも助けてあげてた」
「カズヤのことが分かりすぎて、
カズヤの側の記憶があるんじゃないのか?」
父も笑う。
「待ってじゃあ、
俺の記憶の中の兄ちゃんって…」
なんでも教えてくれた。
理想の兄だと思ったのは。
「自分のことじゃんね」
「うっわ」
恥ずかしい。
言うんじゃなかった。
「まあ子どもって、
そういう不思議なとこあるもんね」
長年の謎は。
あまりに意外な形で。
あまりに恥ずかしい結論に至る。
最初のコメントを投稿しよう!