兄の記憶

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家族旅行の写真。 家でふざける写真。 ビデオ。 何を見ても4人家族。 父と母と俺と弟。 それだけだ。 兄などいない。 それは明確な記憶のはずなのに。 でも一方で、夢というにはあまりに鮮明な、兄の存在も覚えている。 それに気づいたのは、大学生になって実家を出てしばらくした頃だった。 新しく出会う人々に、兄弟がいるかと聞かれて、弟が一人、と答えるたびに。 そうだ、兄などいなかったはずなのにと。 違和感が募った。 想像上の友のような。 想像上の兄だったのだろうかと思っていた。 就職して2年が経って。 盆に久しぶりに帰省すると。 弟のカズヤが古びた星空図鑑を広げていた。 「ただいま」 「おかえり」 カズヤの手元が気になる。 「それ」 「うん、兄ちゃんの図鑑、  ずっと借りパクしてたわごめん」 「や、いいけど」 中学高校と天文部に所属したカズヤは、研究発表で賞をもらって、私学の理工学部に進学して宇宙物理学を専攻している。 懐かしげに眺めていた。 「そうそう、  冥王星が惑星から外された時も、  兄ちゃんが教えてくれたっけ。  ここのページ見せながら」 「それ、俺のだっけ…」 記憶が。 兄が見せてくれた。 読み上げてくれた。 逆さまでも読むのが上手で… 「兄ちゃんのだよ。  よく読んでくれてたじゃん」 「兄ちゃん…」 「え?」 料理している母と、それを手伝う父も止まる。 おかしい。 でも、そう呼んだ記憶が確かにあった。 「俺、俺に兄貴なんかいなかったよな…?」 母を振り返る。 「でもなんか、  子どもの頃から繰り返し見てた、  夢なのかもしんないけど、  俺にも兄ちゃんがいた気がするんだ…  図鑑を読んでくれて、  円周率を使って地球の直径を計算したり、  天の川が銀河の中心の方だってこととか、  なんで流星群が毎年同じ時に降るのかとか、    なんで種子島から打ち上げるのかとか、  教えてくれたり…」 「それ、兄ちゃんだよ」 カズヤが言う。 「いや、  俺じゃなくてその上にさ」 「ううん。  これ、兄ちゃんが読んでくれたんだよ。  逆さまで読むの上手かったじゃん」 裏表紙に。 ササキケイスケと。 名前がある。 「俺が3年の時でしょ?  兄ちゃんが6年。  絵日記に書いたの覚えてるもん。  兄ちゃんが図鑑で教えてくれたこと、  全部書こうとして、  入らなくって、  母さんが紙を別に用意してくれて、  先生からも褒められて。  それからだよ。  父さんが天体望遠鏡買ってくれて、  毎年夏の課題で天体観測して。  中学も高校も迷わず天文部にして」 父ができた料理を運んでくる。 母はビールを。 「ケイスケ、昔からそういうとこあったかも」 「そういうとこ?」 席についた母はビールに口をつけながら。 「カズヤは言葉が出るのが遅くて、  マイペースであんまり友だちできなくて。  でもケイスケ、  カズヤが何も言わなくても、  何が言いたいのか全部分かってるの。  カズヤが困ってると一人だけ気づいて、  いつも助けてあげてた」 「カズヤのことが分かりすぎて、  カズヤの側の記憶があるんじゃないのか?」 父も笑う。 「待ってじゃあ、  俺の記憶の中の兄ちゃんって…」 なんでも教えてくれた。 理想の兄だと思ったのは。 「自分のことじゃんね」 「うっわ」 恥ずかしい。 言うんじゃなかった。 「まあ子どもって、  そういう不思議なとこあるもんね」 長年の謎は。 あまりに意外な形で。 あまりに恥ずかしい結論に至る。
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