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目が合うなり、結麻ちゃんはにっこり笑顔で近づいてきた。
さらさらと揺れる髪の毛。
隣にいたはずの間中くんが、緊張したように一歩後ずさる。
「めずらしいね、結麻ちゃんが1年生のとこに来るなんて」
「吹奏楽部の子たちに用があったの。今日のパート練のことで、いろいろ変更があって」
やわらかな結麻ちゃんの眼差しが、ふわっと私の背後に移る。
間中くんが、短く息をのんだのがわかった。
「こんにちは。この間トモちゃんと一緒にいた子だよね?」
(え……)
なにそれなにそれ! 結麻ちゃん、間中くんのことを覚えていたの!?
一ヶ月以上も前のことなのに!?
いきなりのチャンス到来。今こそ特訓の成果を発揮するときだ。
さあ、行け! かっこよく自己紹介しろ、クール系男子・間中勇!
「あ、え、ええと……うっす!」
違う、それじゃ、素の「間中くん」だよ!
しっかりして! ちゃんと「クール系男子」になって!
けれども、間中くんの視線はずっとグラグラしたまま。あまりにも動揺しているのか、今にもひっくり返ってしまいそうだ。
マズい。このままだと、ただの「挙動不審な声の大きい子」で終わっちゃう。
焦った私は、間中くんの腕をつかまえると、結麻ちゃんの前に引っ張り出した。
「結麻ちゃん、この人、同じクラスの間中くん」
「間中……」
「そう! 間中勇くん!」
よし、これで名前を伝えることはできた。
あとはアピールだ。
「彼、クール系男子なの、よろしくね」──ちょっと露骨すぎるな。
「普段は無口だけど喋ると面白いの」──これもなんか違う。
「サッカー大好き、サッカーバカなの」──クール系男子と関係ない!
どうしよう、どうしよう。必死に頭をフル回転させる私と、あわあわしたまま何もできない間中くん。
ところが、この状況を変えたのはまさかまさかの結麻ちゃんだった。
「間中くんって、もしかしてサッカー部?」
「へっ?」
「あ、違ってたらごめんなさい」
結麻ちゃんの控えめな微笑みに、間中くんは「いえ!」と大声をあげた。
「サッカー部っす! FWっす!」
「そうだよね、やっぱり」
え、えっ……どうして、結麻ちゃんがそのことを知っているの?
そんな疑問が、顔に出てしまったのだろう。
結麻ちゃんは、どこか楽しそうに口元をほころばせた。
「声がね、よく聞こえるの」
「声?」
「そう、朝練のとき。音楽室まで聞こえてくるくらい、毎日大きな声を出してる子がいるなぁって」
それで、気になった結麻ちゃんは同じクラスのサッカー部の人に聞いてみたらしい。
「そしたら『それ、たぶん1年の間中だ』って。キミのことだったんだね」
まさかの、驚きの展開。
間中くんなんて、さっきからずっと口を開けたまま。とてもじゃないけど、特訓の成果を披露するどころじゃない。
「サッカー部、次の試合に勝ったら決勝戦でしょう? 決勝は吹奏楽部も応援に行くから、がんばってね」
それじゃ、と微笑みを残して、結麻ちゃんは去っていった。
つややかな黒髪が東階段の踊り場に消えたところで、私は勢いよく振り返った。
「やったじゃん! 会話できたじゃん!」
「……」
「……間中くん?」
意外にも、間中くんは喜んでも興奮してもいなかった。
むしろ、困惑したような顔をしていた。
「どうしたの? 大丈夫?」
「……え?」
「なんかへんな顔してる。気になることでもあった?」
「……いや」
間中くんは小さく首を振ると、私より先に歩き出した。
その背中が、やけに頼りなく見えたのは──ただの気のせいだろうか。
(へんなの)
ようやく結麻ちゃんと話せたのに。
名前と顔を認識してもらえたのに。
(しかも、結麻ちゃんが間中くんのことを知っていたなんて)
声だけとはいえ、それってすごいことだよね?
なのに、なんで間中くんはぜんぜん嬉しそうじゃないんだろう。
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